ゴールデンウイークに、皆さんはどこかお出かけになられましたか?
私は、日々の買い物と、ちょっとした散歩&行きつけのファミレスで食事した以外は、ほとんどずっと家にいました。
そのかわり、
布団でも、机でも、タバコの自動販売機までの道のりでも、
ずっと別の場所におりました。
脳内で別の場所を歩き、初めて会う人に会い、
その人の行動を見て、その人の語る言葉を聞き、
できるだけ細部までそこで起こることを記憶しようとしました。
机の前でパソコンに向かって
頭の中で行った場所で起きた出来事を、書き記そうとしました。
頭→腕→指先→キーボード→CPU→メモリ→モニタ→目→頭と
情報をめぐらせました。
時には、頭→胸→腹→胃→口→頭といった具合に
身体の感覚を確かめました。
腹が減ったら飯を作り、お茶をして、伸びをして、テレビを見て、
そしてまたデスクに戻る。
そんなことを続けているうちに、気がつくとゴールデンウイークは終わっていました。
月曜日、片づけなければいけない仕事をギリギリまで引き延ばし
どうしても書いておきたいところまで、続きを書きました。
しかし、なんて因果な趣味なんでしょう。
寝ても醒めても、というのは嘘で、寝ている時は寝てるわけですがw
仕事している時も、趣味の時間も、
私のしていることはほとんど何も変わらない。
猫から見たら、キリンから見たら、モンゴルの遊牧の民から見たって、
私はただ机の前で、マウスか、あるいはキーボードをカチカチやっているだけ。
目の前にはモニタ、時々椅子をぎしっとゆらしながら、
脚を投げ出したり、椅子の上で正座してみたり。
カップが空になって随分たってから、立ち上がりコーヒーを入れて戻ってきたり。
いつのまにかいっぱいになっていた灰皿を交換したり。
身体揺らしながら、ほとんど無意識のうちに我慢しているうちに
ついに我慢しきれなくなって慌ててトイレにいったり。
そんなことの、何がそんなに面白いのだというのでしょう。
偏った脳の喜びの中でも、さらに偏った楽しみを私は味わっている気がしてなりません。
そして私は、ふと思うのです。
もし明日この世界が滅びるとしたら、今日私がしていることに
一体どんな意味があるというのでしょう?
その問いに対する私なりの答は、いずれ公開するであろう新しい作品に
書くかもしれないし、書かないかもしれませんがw
とにかく私は、そんなふうにゴールデン・ウイークを過ごしました。
それなりに小さな幸福を感じながら。

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