脳内のストライキが終わり、仕事に追われています。
でも、ひとつ片づく度に、テキストファイルを開いたりもしています。
書店に足を運ぶまでもなく、ちょっとネット漁るだけで、確実に読み切れないだけの小説がある。
その中には私の興味をそそるもの(たとえばエロとかw)も多数あり、それ読むだけでも一生かかっても無理なんじゃないかと思うほどの量。
しかも、さらにその中には、これはもう唸るしかないほど巧い文章、ドキドキワクワクが止まらない面白い物語が転がっている。
にもかかわらず、なんで私は自分で新たな物語を書きたいんだろう。
特に、ローカルに溜めている現在の状況では、ただただ自己満足以外の何物でもないというのに。
いや、そりゃもちろん、これが完成した暁にはどこぞに投稿したり、自サイトで公開したりして、みんなに読んで欲しいと思う。
そしてできたら面白がって欲しいし、褒めてほしいし、ちょっとした工夫やアイデアを認めて貰いたい気持ちもたっぷりある。
そしてそのためには、地味で面倒な「書く」という作業を続けなければならない、ということもよくわかっている。一つの章が完成した時の「達成感」をバネにして、何とか最後までたどり着きたい、とも思う。
こないだのオフ会で、「一話書いて満足する人って少なくないよね」という話になり、「やっぱり延々と書き続けたいと思うのは『業』が深いかも」という意見も出たw
確かにそれはあって、ひとつの話を書いていると、その物語には入らない別のアイデアが生まれてきて、どうしてもまた別の物語を書く必要性が生じる。
ただ後からそれは、「何故、書かなければならないのか」という答の半分でしかない、とも思った。
あえて自分で書きたいと思うのは、まずどうしても、読みたいものがあり、それが他の人ではなく自分自身の手によって作られることを欲する、とてつもなくエゴイスティックかつ自意識過剰な行為だからだ。
しかも、たとえば私が多く書いている「MCエロ」というジャンルについて言えば、超巨大MCエロ小説サイトがすでにあり、その中にはとんでもない量の作品があって、とんでもなく巧い書き手がいて、……単に面白い「MCエロ」が読みたいだけなら、何を無理して自分で書かなきゃいけないのか、意味不明だ。
ただ、私に関して言えば、まず最初にまだ手付かずの場所があり、その場所でなら好きなことができるんじゃないか、という期待がある。
まだ書かれていない物語、恐らく私にしかかけない物語があるような気がして、どうしてもそれを読んでみたい。
もうひとつ、「物語を書く」という行為それ自体が、それだけで十分楽しい。
ジョギングも登山も肉体を疲弊させ、実に面倒くさいことこの上ないが、しかし多くの愛好者がいるように、「物語を書く」ことは実に面倒くさいことこの上なく、そして楽しい。
それはサイト・ビューイング(観光)にも似ているし、対話にも似ている。
新たな風景を見ながら、意外な発見に出会えることもある。
脳⇒手⇒キーボード⇒パソコン⇒モニター⇒テキスト⇒目⇒脳⇒手⇒キーボード……
そのフィードバックによって、言葉が生まれ、修正され、繋がって、ひとまとまりの文章になり、それがシーンやシークェンスになって、ひとつの物語に変わっていく。
その断片、たとえばちょっとした会話を描くだけでも、そのありもしない世界に没入し、コイツがこう言うと、コイツはこう答えて、このような行動をとる、ということをひとつひとつ追いながら、同時にストーリーを組み立てていくのは、時に「組み立てる」作業だったりもするし、時には「響きを確認する」作業だったりもする。
ストーリーを組み立てるのは多分コンストラクションに近いけれど、私の場合、会話はどちらかというとコンポジション、あるいはさらにアドリブの「演奏」に近い。上手く奏でられない場合は何度でも繰り返し、同じ小節を記録し直す。
大体は好きなフレーズで、自由にシンセを弾き続けるのと同じように書き、後から修正する。
特に、先にプロットが出来上がってる状態のものは、全体のイメージに沿ってアドリブで書いている感覚だ。
……つまり、それが楽しい。楽しくてしかたない。
ブログもそうなんだけど、同じことの繰り返しになってもいいなら、ずっと書いていてもいいくらいだw
そんなわけで、書くことは楽しい。
それをひとつのまとまった物語にするのは、あんなに大変なのにw

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