例の陵辱ゲームについてずっと気になっている。
正義や理念、価値感を押し付けられるのは、誰だって気分がいいものではない。
まして、自分の個人的な楽しみを、悪だと決めつけられたら腹も立つ。
それはほとんど攻撃として感じられるし、だからこそこちらも反撃したくなる。
ただ、私は特に今回の件に関して、攻撃された⇒反論する、というやり方だけでは、
結局のところ、時代の流れに押し流されてしまう気がしている。
もっとこう、単に自分たちの既得権を守ろうとするだけでなく、
よい落とし所を探していかないと、戦略的な部分も含め、
エロゲーム、エロアニメ、AV、エロ小説そのものが、相当厳しい規制の下に置かれることになると思うのだ。
これはテレビアニメの話だけど、今時の子ども向けアニメにパンチラシーンがないのは、
海外に売れないから(昔の作品では、その部分をカットしていた)
で、海外に売るつもりがなくても、インターネットでアクセスできるものに関して、
「世界的な合意とルール」を作ろうとする動きは絶対に出てくるハズだし、
すでにいっぱい出てくる。
その度に反対の声も湧き出て、今はまだ割と自由だけれど、
それが守られているのは、単に反対の声が圧倒的だからだけではなく、
それなりに自主的な方策がとられているからだと思う。
KIOSKモードなどブラウザの対応もそうだし、年齢制限や内容について警告するページを設置するなど、サイト側の工夫もそうだし。
私は喫煙者なので、実はかなり肩身の狭い思いをしている。
嫌煙権運動と健康増進法のかねあいや、昨今の流れには正直不気味なものを感じているし、
日本たばこの生き残り戦略についても、どこかうさん臭いものを感じる。
ただ、10年前、20年前、と昔であればあるほど、
確かに(自分も含めて)喫煙マナーは総じて悪かったし、
非喫煙者の権利が侵害されていたことは確かだと思うのですよ。
もちろん、煙草の害は科学的に実証されているから、陵辱ソフト反対とは性質が違うという意見もあるでしょう。
また「健康増進法」は、もちろんタバコだけでなくメタボ対策や介護予防検診などを含んでいるから、高齢者の医療費上昇を少しでも押さえるという別の目的もある(筈)。
しかし、少なくとも「リスクを減らす」という目的そのものと、
「煙草の煙を嫌う権利」である「嫌煙権」との関係を考えると、
「人々が何を支持するか」というのが、非常に大きな要素のひとつであることは間違いないと思うのだ。
だって、どれだけ交通事故が問題になった時でも、「自動車そのものの量を規制しよう」という話にはならないし、(もちろんエコカーの開発や環境保護のための規制は素晴らしい取り組みだと思うけど)、今まで延々と反対運動が続き、かなり深刻な事故も結構たくさん起きても、原子力発電所はなくならない。柏崎も安全点検を終え、運転が再開した。
つまり、人々が本当に必要だと思うものに関しては、「リスクを受け入れる」ってこと。
しかし逆に、多くの人(マジョリティ)にとって必要でないタバコは、リスクを受け入れる必要はない。
タバコの煙が苦手だったり、歩きタバコの炎が触れてやけどしたことのある人は、公共の場で喫煙禁止になることを望んでいたし、煙草を必要としていない人も、そうなって困らない。
必要としているが害に関しては理解している人も、「たばこの害と嫌煙権について」理解が進めば進むほど、それはやむを得ない処置だと納得する。
(私も不便は感じるが、受け入れている。できる限りマナーも守っているつもり)
実は、陵辱系ゲームその他アダルト作品に関しても、似たような状況にあると思う。
陵辱系の作品を嫌いな人は多数存在する。
レイプ被害者はもちろんのこと、子どもに見せたくない親、そして女性の多くも好まないでっしょう。
彼らは、程度の差はあれ、陵辱系のゲームやアニメやAVや小説がなくなることを望んでいるかもしれないし、少なくとも、自分の目に入って欲しくないと思っている筈だ。
また、興味のない人、どっちでもいい人もまた、それなりにいると思う。
その人たちは、たとえ陵辱系のゲームやアニメやAVや小説がなくなっても困らない。
確かに「人権」というと、妙に理念っぽくて現実に即さない“おためごかし”のように感じる人もいるだろうけれど、
少なくとも民主主義の国において、「法律」はすべて「人権」を守るためにある。
(それが成功しているか、よい法律になっているかどうかはさておきw)
生存権ってのが人権の最下層にあって、あと、他人に傷つけられない権利、とか、
自由に発言していい権利、とか、
……まあ、人類が歴史とともに発見していった、あるいは発明していった。
もちろん、(みゃふりんの指摘にあるとおり)
人類の歴史はレイプの歴史でもあるw
ただ、そんなことが日常的に平然と行われる社会は、とても安心して暮らせる場所ではないので、
ルールとして「それは駄目よ」としたわけで。
もちろんルールだから、破るヤツもいるけれど、破ったらペナルティが課せられる。
「陵辱系のゲームやアニメやAVや小説には害はないどころかよい効果がある」という意見があって、逆に「大きな害がある」という意見もあって、今のところそれが拮抗していたり、はっきりしなかったりする。
その状態で、「嫌だ」という権利と「見たい」という権利が対立してる。
ただ、(少数者ではあるかもしれないけれど)たとえば間違いなく実際のレイプ被害者は「陵辱系のゲームが出回っている」という事実を聞いただけで気分が悪くなる(場合によってはフラッシュバックその他の症状が出る)わけで、その時点で実は「被害はある」といえる。
そして、「嫌『陵辱』系」の機運が高まる中では、たとえ正確さに欠けていたり信ぴょう性に疑問が残るデータであっても「陵辱系の作品が人に悪い影響を与える」という報告があれば、
それを判断材料にする筈なのだ。
──それが正しいといっているのではないっすよ? 念のため。
そして、たとえ日本の国内販売向け/国内閲覧向けのものであっても、
インターネットで簡単に商品が買えたり作品が閲覧できたりする以上は
それが問題になるのも自然なことだ。
さて、しかし、その一方で
陵辱系ゲームやアニメやAVや小説を見る権利、作る権利、売る権利も当然ある。
ただ、リスク(人々が嫌悪を感じる、悪影響が出る)が高ければ高いほど、
当然のことながら、見る権利、作る権利、売る権利よりも「安全」を優先すべきだというっ結論になる。
なぜなら、見なくても、作らなくても、売らなくても、具合が悪くなったり、将来に悪影響が出るわけじゃないからだ。
もちろん、それで商売をしている人は生活に困ったりする可能性も高いが、
しかし、そこは民主主義の「多数の幸福は少数の幸福に勝る」という原則にのっとって、決まっていく筈だ。
私自身は、基本的に民主主義をよいものだと思っているけど、この「多数が正義」っていう価値観や、結局は多数決で決めるしかない仕組みがあまり好きではない。
ただ、少なくとも独裁国家でない限り、およそその仕組みで動いているし、
多数の賛同が得られる考えが、(準)正義として、政策や法律に反映されていくことは受け入れざるを得ない。
(もちろん、それだけで決まるわけじゃないけれど)
そこで、見たくない人、見せたくない人の権利を守りながら、同時に、見たい人、作りたい人の権利も保障する方策が、ゾーニングだった。
(元々性犯罪抑止のための方策ではない。「未成年には見せない」ことで誤った認識を植え付けないという主張をしているのは、「見たくない・見せたくない側」ではなく、「見たい側」)
イギリス議会で問題になったのは、
「ネット上でそのようなものが簡単に手に入る状態」であることに気づいた誰かが、
問題として取り上げたということでしょう。
人によっては、理念とか正義とか理想といったものそのものが、
現実的でなく、矛盾だらけで信用ならないものと思うかもしれない。
でも、理念がないまま現実的な対処のみだと、他者の在り方に左右されやすく、
また、「理解を得られにくい」ということもあるように思うのだ。
これまで日本の内外で行われてきたゾーニングは、上にも書いたとおり、
「見たくない・見せたくない側」からの要請で行われているではなく
「見たい側・作りたい側・売りたい側」が自分たちの権利を守るために行ってきた方策だ。
……つまり、相手の権利に最大限配慮することで、自分たちの権利を守ろうとしてきたわけです。
さて、その上で、
今回の件でさらに規制を求める意見は増えていくと思うし、
エロ表現に対する風当たりは強くなっていく感触がある。
確かに、特に陵辱系+ロリに関して日本は他の国々よりも非常に規制が緩く、
(それが正しいかどうかではなく)世界的な常識としては異質だ。
そもそも欧米はキリスト教ベースの善悪の基準があり、
その価値観からしても、日本の陵辱系+ロリは「絶対に許せない」(それがフィクションであったとしても、楽しむなんてもっての他)。
で、もしそれに対抗して、陵辱系+ロリを存続させたいのであれば、
なんらかのコンセンサスが得られる方策と同時に、何らかの理念が必要なのではないか、と思った次第。
ただ、それが何なのか、それなりに意味と説得力のある理念を構築できずにいる。
……日本独自のオタク文化について、とか、(ぱにゃにゃんが指摘している)「草食男子」化と同じ線上にあるかもしれない「どういう文化を築いていくか」みたいなところで、何か「よい理念」が生まれることはないのだろうか?
いや、実際に日本は都市化が進んで、どんどん清潔で健康で小奇麗になっていってるし、それが望まれているし、それはもしかしたら、欧米を中心とした先進国全体がそうであるわけだけど、それにはどうにも気分が乗らないw
ちなみに、どこで見た話だったか思い出せないため、参考までになんだけど、
あまりストーリー性のないシューティングゲームと、
仲間同士の助けあいや善悪の戦いなどが描かれたアクションゲームとで、
どちらがよりプレーヤーに攻撃的な気分が発現しやすいかという調査があって、
結果は後者だった。
普通よいとされている「意味のある戦い」の方が、暴力的w
なぜそうなのか……、これは私の意見にすぎないが、
もしかすると、「よい目的のためになら暴力を振るってもいい」という価値観が生まれるってことなんだと思う。
ちなみに、暴力は人類の永遠のテーマだと思うけど、
アルカイダがテロるのも、アメリカがイラク空爆したのも、「よい目的のため」だし、
ナチスがユダヤ人虐殺したのも、イスラエルが前線で民間のパレスチナ人をマシンガンで打ちまくるのも、「よい目的」が正当化してくれるからねえー。
もちろん、北朝鮮が核ミサイル実験を再度行おうとしているのも、「国家の生き残り」をかけた正義のためでしょw
そんなわけで、私は正義を理念にはしたくない。
ってあたりも、疑似「草食男子」(ただし、陵辱ゲーはするってところが肝要w)的オタク文化の新しい地平は開けないものだろうか。
ただ、その時に忘れてならないことがある。
「催眠術とか未知の力、技術とかで、女のコを無理やり発情させたり、行動を縛ったり、感情を操ったり、認知をねじ曲げたりして、エッチなことをするのが大好き」
っていうのと、
「催眠術とか未知の力、技術とかで、女のコを無理やり発情させたり、行動を縛ったり、感情を操ったり、認知をねじ曲げたりして、エッチなことをする『物語』が大好き」
っていうのは、ほとんど違いがないってことだ。
もし現実にそういう力を得た者がどうするか、というのを、リスクも含めてシミュレーションするってのは、私の好きな描き方のひとつだけど、
しかし、たとえば、ネットではエラソーに能書き垂れながら、
自分の書いたもの公開していても、オフでは
そういうこと話してもまあ許されるだろう、あるいは興味を持ってくれるだろうと思える人にしか、
私は自分の作品を紹介しない。
まして、ほとんど数回しか会っていない「女性」と、多少気さくに話ができるようになったからといって、
「実は私、催眠術とか未知の力、技術とかで、女のコを無理やり発情させたり、行動を縛ったり、感情を操ったり、認知をねじ曲げたりして、エッチなことをするのが大好きなんです」
なんて言うことはネバーない(汗
アブナいヤツだと思われたくないとか、ドン引きされたくないとか、
自分の中にある支配的な傾向とか嗜虐性とかを見せたくないとか、
そういう保身ももちろんある。
でも、それだけではなくて、よい関係、スムーズな関係において、
そういう「野蛮さ」を前面に押し出すのはみっともないどころか、相手を脅えさせたり関係を悪くするからだ。
──そこには、どこかにたっぷり「後ろめたさ」がある。
エロ小説書いてますって堂々と言える、ってのはそれなりにカッコいいけど、
「堂々と言えないもの書くな」って言っちゃうと、ちょっと違う気がするw
──実は以前はそう思っていた。自分の後ろめたさを、否認するためだろう。
考えが変わったので、近々『「児童ポルノ」と「児童ポルノ禁止法」に関して』を書き直す予定。
サイトのトップや注意書きも少し変更しないと……。
エロい妄想を楽しむことは決して悪だとは思わないけれど、別に善ではない。
そのことを忘れると、単に対立する二者の権力闘争となり、
結果として明確にきちんとした理念や基準を打ち出せない側は、安全・安心・健康・清潔、そして人間が理性によってコントロールするという理想に負け、過激なエロは徐々に駆逐されていく気がする。
私たちは、後ろめたくあるべきなんじゃないだろうか。
確かに、日本はアメリカやイギリスに比べ、性犯罪は低い。(統計に上がりにくいという可能性を差し引いても)
http://74.125.153.132/search?q=cache:1BFz1o157coJ:www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/2660/05/Bzemi/WordFile/seihannzai_matsuda.doc+%E6%80%A7%E7%8A%AF%E7%BD%AA%E3%80%80%E7%B5%B1%E8%A8%88%E3%80%80%E5%90%84%E5%9B%BD&cd=3&hl=ja&ct=clnk&gl=jp
しかし逆に、性犯罪が多い国では、問題意識が高くなって当然だともいえるし、
陵辱ゲームに過敏な反応になっても当然だ。
性犯罪が多い理由は、
a,性暴力に関して、(キリスト教ベースの)枠組みや基準が割とはっきりしている
b,女性・子どもに関する人権意識がアジア諸国よりも概して高い。(そもそも人権に関する枠組みそのものが違うという意見もあると思うけど)
c,性犯罪に関する研究や対策に関して歴史があったり、取り締まる側の本気度が違う。
⇒そのため告発されやすい、表面化・事件化しやすい ⇒ 犯罪発生率が統計に上ってくる ⇒ 性犯罪率が高い
ということも考えられるし、
もうひとつ、
c,キリスト教ベースのモラルが深層に存在している。
d,女性・子どもの人権に関する意識が高い
e,男性性(役割)に対する要請がアジア諸国に比べ高いor明確?(「男はこうあるべき」というような要請)
f,もしかしたら、(男性同士の)競争がより苛烈?
⇒それ故逆に、反動・反発としての性暴力が存在する、……というのもあるかもしれない。
(以上は、飽くまで私のいい加減な推測を元にした「意見」にすぎません、念のため)
イギリスとアメリカでは、状況も環境も随分違うから、簡単には言えないと思うけど、性犯罪が多い理由がどうであろうと“世界標準”の中核を担っている国々であることは間違いなく、性犯罪に関する調査・研究も盛んだから、そこでの意見は説得力を持って他の国々を動かすだろう。
BBSにも書いたけれど、人類の欲望とそれを実現しようという意欲が技術革新を生んできた。
まだまだ先だろうと思っていたパーソナルユースのロボットだって、すでにAIBOが実現しているし、日本製のアザラシロボット「パロ」が、介護用として世界へ輸出されている時代だ。
産業総合研究所のロリ入った美少女ロボの先には、愛玩用や陵辱用ロボットの可能性だって広がっている。
http://www.aist.go.jp/aist_j/press_release/pr2009/pr20090316/pr20090316.html
その時にまだ、ロボットはフィクションだから、とはなかなか言えない気がする。
リアルとバーチャルの境界線が消失しようとしている今、どれだけ考え込んでも早すぎるということはない気がするんだけど、どうだろう?

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