今回は、ロートル・マカーばりばりですw
意味不明な方、ごめんなさい。
かれこれ8年ほど、ARENAというメーラーを使い続けてきた。
他にいくらもフリーのソフトがあるというのに、わざわざ有料のものを選んだのは、そのファインダライクで分かりやすいインターフェースに魅かれてのことだった。もちろん当時としては、それ以外の機能も十分だったように思う。
だが、時代は移り変わる。
そもそも、すでに開発もサポートも打ち切られて久しいアプリだ。今となっては、モダン・メーラーに必須の機能がいくつも搭載されていない。
さすがにそろそろ限界を感じていたところに、OSをバージョンアップしたら不具合が発生した。
結局、Mac OS Xに付属しているMail.app(Apple Mail)に移行した。ようやくアップトゥデートなアプリの機能の恩恵に浴し、その快適さに感心した。
ただ、未だにどこかしっくりこないのだ。
ARENAでは、メールのTOPウインドウには送受信のボックスの他に、アカウントや振分け用に作成したメールボックスがOSと同じフォルダの形で並ぶ。ゴミ箱もあるし、メールボックスを収めるためのフォルダを作ることもできる。
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この説明では、どこが普通のメーラーと違うかわからない、ということに後から気づいた。
単に立ち上げた時点では、以前に送受信したメールのリストも本文もいっさい表示されない。
上記の送受信のボックスと下書きボックス、ゴミ箱、それに自分で作ったフォルダやメール
ボックスのアイコンがウインドウの中に並ぶだけである。
興味のある方は、こちらをご覧ください。
⇒
http://arena-internet-mailer.org/products/interface
(20090210追記)
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ARENAのその独特なインターフェースは、旧MacOSの「デスクトップ」に倣って設計されている。パソコンの画面を「デスクトップ(机上)での作業」に見立て、階層構造は書類を束ねて保管する「フォルダ」と、その中に格納された「ファイル」という形で表現したものだ。
だが、そのすぐれたメタファーも、今となってはレガシーOSのルック&フィールとなりつつある。旧MacOSに準じたARENAのインターフェースがOSXのデザインにはなじまないのは当然だったかもしれない。
そして、ARENAとMail.appの違いは、そのまま旧Mac OSとMac OS Xの違いに感じられた。
たとえばOS Xのウインドウは、旧Mac OSよりもWindowsのウインドウに近い。
それはファイル・ブラウザであり、「窓」を通して様々なフォルダやファイルにアクセスするためのものだ。(Windowsの『窓』という名称がまさにそのものズバリだったのだと、今頃気づいたw)
旧Mac OSでは、一つのフォルダに一つのウインドウという関係が忠実に守られる。だからフォルダを開き、その中のフォルダを開き、さらにその中のフォルダを開いていくと、その度に新たなウインドウが開かれ重なっていく。
奥の階層のものを開こうとするといたずらにウインドウの数が増え、画面を占有してしまう。必要なものが隠れて、わけがわからなくなることも多い。Windowsのタスクバーのように、開いているウインドウとファイルを同列で表示する機能はMac OSにはない。(アプリケーションならば『アプリケーション切替え』で選択可能)
だがそれは、フォルダ、そしてファイルという名称に忠実に、デスクトップ(机の上)に散らかった状態をそのまま模倣した結果だともいえる。
旧Mac OSではこれを解決するために、option+ダブルクリックで現在のウインドウを閉じつつ新しいウインドウを開く機能が用意されている。(OS Xにも同じ機能があるが、ファイル・ブラウザとなったウインドウにおいてはまるで意味がない。ウインドウ右上にあるツールバーの表示/非表示ボタンを押してツールバーを隠すと旧Mac OSと同じ動作になり、この場合のみoption+ダブルクリックが意味を持つ)
さらにOS 9からは、リスト表示の場合はOS X同様、フォルダの中身を▼のツリー構造で見せる機能も追加された。
確かに、意図的に閉じる操作をしない限り開き続けるウインドウは邪魔だ。
しかし、「フォルダをダブルクリックすることによってそれを開き、その中身をウインドウで表示する」という操作と一対一対応の関係は、デスクトップという概念を具現化するにあたって最も自然なインターフェースであったように思う。もしかするとそのような分かりやすさこそが、時折マカーが口にする(あるいはアップルが何度も繰り返し宣伝してきた)「直感的な操作感」の所以だったのではないか。
OS Xのウインドウは、classic Mac OSよりも数段便利である。
カラム表示はディレクトリ構造を一目でつかむことが可能だ。
10.3以降に搭載されたExposéでは、ファンクションキーもしくはホットスポットへポインタを移動することで、すべてのウインドウを並べて俯瞰したりデスクトップの上下左右にしまうことができる。隠れていた必要なウインドウをすぐに選択、アクティブにできる機能だ。
それこそ直感的に目的のウインドウやファイルを選ぶことのできる優れたインターフェースだと思う。
だがその便利さは、「デスクトップ」というメタファーの統一感を削ぐことにもつながっている。
これは恐らく現実の世界の変化と無関係ではない筈だ。
インターネットがこれだけ普及し、多くの人びとがブラウザでWEBサイトを閲覧するのが当たり前となった今となっては、パソコンの画面に見えるものが、あえてデスクトップ(机の上)である必要はなくなったのだ。
テレビのリモコンを操作して次々とチャンネルを変えたり番組を予約したり、ゲームでステージを移動していく感覚でウインドウの中身を移り変えることは、デジタル機器の使用法として普通になった。
バーチャルな操作に慣れた今では、デスクトップというメタファーを必要としなくなったと言うことなのかもしれない。
かくいう私は、最近ようやく本格的にMac OS Xを使うようになったばかりのオジサンであるw 未だに旧Mac OS(OS9)に切り替えることも多い。OS9環境のエミュレーターである「classic」も使っているが、ソフトや周辺機器によっては古いOS9で立ち上げないと動かないこともある。
過去の様々な資産が足かせとなっているのと資金不足が重なり、intel Macは愚かOS9起動の出来ないPower Mac G5ですらない。中古で買ったG4が我が家の最新機種である。
完全に新しい技術・環境には移行できず、取り残された老人の気分だw
そんなロートルの身としては、「歴史」に価値を置くしかない(爆
Macintoshではこれまで、68KからPowerPCへCPUの切替え、classic Mac OSからMac OS XへOSの切替え、そしてPowerPCからIntelへのCPUの切替えと、3回ほど大がかりな変更が行われてきた。
移行には当然、過去の資産を活かし可能な限り動作するよう工夫がなされている。だが、それも時間とともに対象外になっていく。
ただ、68KからPowerPC、PowerPCからIntelへというハードウェアの移行は、OSそれ自体や各種ソフトウェアのメーカー、そしてフリーやシェアでソフトを開発している多数の開発者たちの苦労のおかげで、一般ユーザーにはさして大きな問題は起きなかったように思う。
もちろんあれこれ不具合は発生した人もいるだろうが、メインで使うアプリケーションがまるで動かないというようなことは、あまり起きなかった筈だ。
※ちなみに、かつてMacintosh IIci(68KのMac)上のSystem(漢字Talk)6.0.7で使っていたIllustrator v3.2が、今試したところMac OS9.2.2で全く問題なく動く。さらにはOS Xのclassic環境でもちゃぁんと動作してビックラこいた。(アプリケーションの容量が1MBというのにも驚いたが)
MacOS 8の頃にWEBページの動作確認のためインストールしたNetscape Navigator v2.02もclassicで普通に動いてる。xmlの宣言やJavaScriptに対応していないため表示できないページも多いけどw
一方classic Mac OSからOS Xへの移行は、(私にとっては)かなり大きな障壁となった。
完全に違うOSである。どういじっていいかわからないw
それまでも、MacにBeOSをインストールしてみたりはしていたけれど、実際に作業に使うにはいたらなかったし、Windowsマシンを使うというのともワケが違う。
その場合は、そもそも設計思想もそのOSが動くPCも全く違うものだという認識を持って触ることになる。
だが、「Macのクセに(爆)」まるで操作や考え方が違うとなると、そうはいかないw
そもそもキーボードの配列やタッチが微妙に違うだけでイライラする私にとって、慣れ親しんだ操作ができない、あるいは別の結果がもたらされることは、苦痛以外のナニモノでもなかった。
それに、そもそも5年で陳腐化する機械ってのが、私には我慢ならない。
古い蒸気機関車が未だに現役で動いている姿を見ると、「やっぱ機械はそうじゃなきゃ」と胸が熱くなるw
幸い、一体型でないMacは(さすがにディスク系は交換が必要だが)本体が故障することは非常に少ない(気がする)。古いMacであっても、その当時のOSとアプリでなら問題なく動くし、高い買い物だからできるだけ長く使いたい、というのもあった。
ただ、とにかく古いものが好きというわけではなく、新しいものに興味がないわけでもないw
かれこれ2年ほど、Mac OS X 10.3(Panther)のままだったが、新しく(中古で)買ったマシンに無理がない範囲で最適化されたものならバージョンアップしたいと思い、Mac OS X 10.4(Tiger)をインストールした。
※OSXの最新版は2年前に発売された10.5(Leopard)だが、旧MacOSのエミュレーターである「classic」がなくなったため、古いバージョンを選択した。切り替えて使えるんだからそれでいいという話もあるが、一瞬だけ旧MacOSを使いたいという時は、やっぱりclassicが便利。
さて、話をメールソフトに戻そう。
私のEメールは、Netscape Navigator 3のNetscapeメールで始まった。その後Postino、Dolphin、そしてArenaと、なぜかEudoraやOutlookといった大御所を回避して今に至っている。
どうもメーラーに対しては、使い勝手と同時に、何か面白い特色のあるインターフェースを求めていたような気もする。
最終的にARENAに落ち着いたのは、(当時としては)過不足ない機能で検索も高速だったことに加え、やはりそのルック&フィールが使いやすかったからだろう。
そもそもARENAは、classic Mac OS時代に開発が開始したソフトで、当初から68K版が用意されていた。OS Xが登場するとすぐに対応したが、最終バージョンのひとつ前のv2.1.1では、OS X用、classic Mac OS用の他に、68K版も用意されている。
実際、PowerPC搭載の私のMac(Power Mac G4)では、OS9、OSXのそれぞれに同じ最終バージョンのv2.2.1を入れていたが、OS9のフォルダ(ディレクトリ)のエイリアス(Winでいうところのショートカット)を置くことにより、データを共有していた。どちらのOSで送受信しても、もう片方のOSへ反映されるというわけだ。
未だにClassic環境の呪縛から自由になれない私には、他に選択肢がないとさえ思えた。
だが上に書いた通り、OSをバージョンアップした途端、「送信したメールが依然として送信ボックスに残ったままになる」など、いくつか不具合が発生した。
ググって見ると、同じ症状でメールを移行した人がいる。
というわけで、メールに関してはOS9上で使用することを諦め、OS X上で完結することにした。
移行アプリの候補は、Mac OS X標準のApple Mail(Mail.app)か、mozillaのThunderbird。(とりあえず、OSXに関しては初心者なので、すぐに目に付いたのがこの2つw)
あれこれググって移行のための情報はどちらも手に入り、両方とも試したが、OS Xとの親和性の高そうな(そりゃMac OS X標準なわけで)Apple Mail(Mail.app)にデータを移行した。
しかし、これがなかなか大変だった。
移行用のフリーソフトを公開してくれている奇特なプログラマーもおられたのだが、結局はテキストエディタで古いメールをいじる必要があった。アカウントだけでなくARENAの機能を最大限活用して振分けで大量のフォルダを作成してあったせいで、その作業だけでもかなりの時間を費やした。ずいぶん前にARENAに移行した時に、DolphinやPostinoの中に放っておいたものがあることに気づきそれも移行しようと試みた。だが、そのための手段がなかなか見つからず、見つかってもさらにEudoraを経由したりしなければならず、さらにはファイルやボックスごと一部壊れているものもあった。可能な限り復旧と変換を試みたが、変換不可能で取りこぼしたものもある。
そうでなくても、ついつい「歴史」に価値を置いてしまったせいで、大量のメールを処理するのに時間もかかった。
だが、メールに歴史あり、だ。
Netscape3でやりとりしていた10年以上前のメールがMail.app上に表示されるのは、なんだか頭がクラクラするような体験だった。
ここ10年で自分や自分のまわりの環境、交友関係、社会やインターネットの有り様が、大きく変わったことに気づかされる。当時の自分の幼さ・愚かさに、穴があったら入りたい気分もしてくるw
もちろん、この際全部捨てたってかまわないのだ。
データとしての価値など殆どないし、何かの拍子にOS X Tigerの検索機能であるspotlightがメール本文から何かとんでもなく恥ずかしい一文をピックアップしないとも限らない(爆
しかし、実際の私の部屋とは違って、PCの中は広大だw
本や書類や古い機材で狭い部屋がさらに狭くなるのは(実際そうなってる……orz)これ以上カンベンだが、たかがメールなら歴史に押しつぶされるようなこともないだろう。HDも安くなったことだし。
ちなみにMailのメールボックスは245MBくらいだった。
10年ちょっとのメール(移行を諦めたものと添付は除く)が245MBというのが、多いのか少ないのかはわからない。そのくだらなかったり恥ずかしかったり嬉しかったり悔しかったりするテキストの山が、何かの役にたつこともまずないだろう。
それでも、Illustratorというアプリケーションが1MBだった時代を考えれば、その膨大さに驚かされる。
多分、人の一生には、殆どが無駄な情報の交換と集積が必要なのだ。

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