BBSにも書いたことなのだけど、オフ会に参加したことでEGOまわりの作業やノリを思い出した。
夏以降、仕事やオフでの暮らしを優先する必要があったのも確かなのだが、それだけでなく、創作のノリとでもいうようなものが「よい加減」に醸し出てこない。
2年以上ホッタラカシのヒミハコの新章は、相変わらず八割方書けたところでストップしている。
それでも夏までは、ほとんど毎日同じ書きかけのファイルを開き、読み直し、それまで書かれた部分をチョコチョコと手直しして閉じる、というようなことを繰り返していた。しかしその先の、肝心かなめの展開が何とも進まない。
「ぜらやなたり。」でノリを掴んで、キーが走る日もなくはなかったが、後から読み直すとどうにも上手くない。
これは多分、今は書けないのだと、腹を括った。
――というより、手を放すことしかできなかった。
この世界は、私の知らないことだらけだ。
知識の話ではない。……いや、知識だって圧倒的に不足しているのだけれど、より深刻な問題は「今までわかったつもりになっていた」ことであるような気もする。
それに、たとえ頭で理解したと思っても、それが自分の身になっているかどうかは甚だ怪しい。
「自分には知らないことがある」というのは、それなりにポジティヴな発見だと思う。しかしその「知らないこと」が何なのか、それは「知って」みてからでないとわからない。
そして、この「知る」ということは、案外面倒なことだったりする。
人の脳は、その人のシナプス・ネットワークに馴染まない情報を容易に無視する傾向がある。目でモノを視て、耳で音や言葉を聴いても、フィルターで弾かれてしまう情報は少なくない。
まして、日々悪戯に歳を重ねることで強化されていく認知の枠組みの中で、目は何も視ず、耳は何も聴かず、大事なメールであってもSPAMとして自動的にごみ箱へ振り分けられてしまう。あるいは視て聴いたとしても、強引に(自分にとって)わかりやすい言説に形を変えて、内容を斟酌されることもないまま馴染みのラベルを貼られ、倉庫に保管されるだけだ。
その、体験しても経験として蓄積されない情報の中に、私の知らないことが詰まっているように思う。
そして、それこそがヒミハコ遅延の大きな要因であるようにも思えるのだ。
作者の意図通り無理やり話をすすめてみてはどうか?
そもそも小説なんて嘘八百なんだから、多少強引であってもストーリーを進めることで説得力が出るもんだ。……そうも思う。
――でも。
嘘八百だと一番わかっている作者が不自然だと思ってしまったら、それを本当らしく伝えることはできない気がする。
稚拙であることを恥じる気はないし、誰にも文句のでない話を書けるとも思わず、また書きたいとも思ってはいない。
ただ、少なくとも私は、熱い物語が好きだ。
「こういう物語を読みたい」と作者がそう思って綴る物語は、それだけでなにがしかのパトスに溢れている。そのパトスが、巧拙を超えて、設定や表現手法の何歩も前に歩み出る。
そういうお話を読みたいし、書きたいと思う。
だから、展開以前に、登場人物たちの動きやセリフが自然に流れない箇所は、私にとって大問題だ。それは彼らの責任ではなく、設定の不備でもなく、恐らく私がまだ知らない大事なことが隠れているせいであるような気がする。
そこでノブアキが何もいえなくなってしまうのは、彼の罪悪感だけが原因なのではない。
そこで絵梨が黙り込んでしまうのは、絵梨の性格が問題なのではない。
時間が凍りついてしまうのは、そこに時間が凍りつく必然がある筈だ。
予感はある。
このような時、人はどのように行動し、どのように振る舞うのか。
そのすべてが計画されたものだとは思わないが、なにがしかの判断や選択は存在する。
たとえ「生きること」に意味や目的がなくても、瞬間瞬間の行動には決断がつきまとう。
そのすべてを理解することなど到底不可能だし、私ゴトキが小さな脳味噌を振り絞ってもでてくるのは汚れた膿くらいかもしれない。
ただ、そこで物語がストップしているというそのことに、微かな希望と予感を感じている。
――そこが素通りされなくてよかった。
そう思う。
夏以降、完全に創作はストップしていたのだけれど、ようやく最近、重い腰を持ち上げたい気分になってきた。「ぜらやなたり。」のまとめページと「お蔵だし」を画策して、時折テキストファイルの詰まったフォルダも開くようになった。
ヒミハコのファイルはまだ触れていない。でも、すでに何度となく読み直しているから、何がどう起こるのか、どこで立ち止まっているのかは頭に入っている。幾つかの課題、クリアすべき(あるいは変更すべき)展開も思い浮かべることができる。
したいことは明確にわかっている。
でも、どうしたらそうできるのかがわからない。
――そんなこと、誰にだってあるでしょう?
残念なことに、幸いなことに、私は口下手である。
あるいは、口で伝えられないことを伝えたいという欲深である。
だから、文章を書くことを愛する。
文章を書くのって、結局は個人プレイだ。
愛すべき孤独な作業だ。
そこにまだ私の知らないことがあるというそのことが、書きたいというパトスと繋がっている。
キー打てば、指先寒し。
されど、あな不思議、生体はATP(アデノシン三リン酸)回路の発熱よ。

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