「家庭内盗撮の妄想」――道化師さんのブログ(
http://pierrot.sblo.jp/)で、過分なお言葉と共にEGO[イーゴ]をご紹介頂きました。(大感謝!)
お礼というのも恐縮ですが、道化師さんのサイトを紹介させて頂きながら、私も「官能小説について」考えてみたいと思います。
「家庭内盗撮の妄想」は、そのタイトルにあるように、愛と盗撮と露出をテーマにした小説がメイン。ヒロインの年齢も割と高めで、デフォルトの嗜好は「妻」。(他人妻、自分妻かはこの際問題ではありませんw いわゆる『ヅマー』というジャンルなのだと思われ)
でも、じっくりと練られた構成と伏線、抑揚を計算し尽くしたストーリーテリングは読み手を選ばず、物語それ自体の面白さを楽しめるエンターテインメント作品です。
もちろん、官能小説としての魅力も十分。
丁寧に選ばれた言葉は、ねちっこく、いやらしく、官能を刺激する。しかし、ぎりぎり野卑にならないところで、常にある「姿勢のよさ」を感じさせられるのも、実は心地よい。それはもしかしたら、官能小説としてだけでなく、小説としても面白いものを書きたいという作者の意欲が、通奏低音のように流れているからかもしれません。あるいはまた、キャラクター一人ひとりへ優しい眼差しを向け、エロに特化するのではなく、「愛」をも包括する形でエロスを描こうという強い思いに支えられてのことかもしれません。
官能小説としての魅力と小説としての面白さ――。
自らのブログで「官能小説」に対する多層的な分析を試みられている道化師さんならではの、絶妙なバランスがそこにはあります。
そして私は、エロを求めてその作品に触れながらストーリーに埋没し、物語を楽しむつもりで読み進めるうちにエロスを刺激され、(どこか悔しい思いと共に)満たされ、あるいは翻弄されたりお預けを食らわされたりしながらw
「オンラインでフィクションを読む」という行為が、まさに私の現実であることに気付かされるのです。
肉体や意識は、リアルな外部だけで成り立っているわけではありません。
テキストの羅列にすぎない彼の作品は、私の視神経から脳細胞を刺激し、はたまた肉体にまで、ある「効果」を及ぼす(爆
それは作者である道化師さんが実際に体験したことですらない。(いや、それはどうだかわからないけどw)
にもかかわらず私は、あたかもそれが実際にあったことのように追体験し、見ず知らずの登場人物と共に、興奮し、躊躇い、欲情する。
作者は、いくつかの仕掛けをそこに施しています。
ただ官能小説の道具として配置されたかのように思えた登場人物が、いつの間にか意思を持った者として動き出す。
ある一定の距離を持って、「密やかな、しかし、さして没入する必要もない娯楽」としてフィクションを楽しむ筈が、いつの間にか「感情移入」して共に戸惑う感覚を味合わされる。
どうやら道化師さんは、「官能」+「小説」=「官能小説」の全体を俯瞰しながら、その両方の興奮とトータルな幻惑に読者を引きずり込もうとしているようです。
私たちは、なぜポルノグラフィーを欲するのか?
その答のひとつは、満足することではなく、欲求することにあると私は思っています。
人は、欲がなければ生きていけない。
だから、欲をかきたてるものを、私たちは必要としている。
――そのように思います。
では、私たちは、何を求めて小説を読むのか?
もちろん未知の体験や現実には成しえない冒険に対する欲求もありますが、同時に「居心地のよい味わい」が期待されているようにも思います。
「官能小説」が「官能」+「小説」のトータルな在り方を目指す時、激しく突出した「官能」は、ひとまとまりの完結した世界を描く「小説」に融合せずにはいられません。そしてそのことにより、逆にどこまでも先鋭化することが可能な、安心できる豊かな楽しみとなる筈です。またそれこそが、様々な試行錯誤と実験を含む、エロスの追求を可能とするかもしれません。
もちろん道化師さんの作品は、まず第一にエンターテインメントとして書かれていますし、私もまたそうでありたいと思います。
しかし同時に、作者の思惑はもちろんのこと、あるいは意図せぬ何かが含まれてしまうことも多々あります。
エロくて、面白くて、そして味わいのある話を書きたい。
ネットのあちこちに、(たとえテーマや考えは違っても)似たように考える方がおられることは、私にとっても大きな励みです。
しぶとく、ねちっこく、楽しく、続けていこう。
道化師さんの作品に触れて、今改めてそう思います。感謝。

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