もう20年以上前のことだ。
高校生の私は、今では信じられない量の本を買っていた。小遣いのほとんどを本に費やしていたといっても過言ではない。(あとは、喫茶店代か……)
SFとその周辺ジャンルのものが多かったけれど、他にもエロス&バイオレンスのハード・ロマンっぽいものも買っていた。もちろん圧倒的に多かったのはマンガだ。
その中には当時の私のオタク仲間が必ず買うような本もあったし、ちょっとハズれたものもあった。そのハズれたチョイスが、逆に何人かの友人に歓迎された。(いや、それはそれで十分オタクだったしw)
その頃つきあっていたカノジョか、あるいは女友だちか、
多分その両方だったと思う。
私が買ったある本の作家に、どちらかがファンレターを書き、
やがて二人とも、手紙のやりとりをし始めたことがあった。
(その作家の方は、非常にマメに読者の手紙に返事を書かれていました)
ある日とうとう、彼女らはその作家に会いに出かけていった。
そして多分、その時初めて、
実は二人とも自分で本を買ったのではなく
私が買った本を読んでファンになったのだと、そう相手の作家に伝えたのだ。
……よくよく考えたらとんでもなく失礼な話だw 若いって恐ろしい。
でも、さらによく考えたら女子高生のすることぢゃん?
そりゃ許すに決まってるw
元々その作家はエロスとグロテスク、そしてロマンティックが売りだったし、女子高生ファンに甘くたって当然だ(爆
さて、その頃の私は、今では顔から火が出るほど恥ずかしい“お話”をノートに書き連ねていた。当時から「そんなこと恥ずかしがってるバヤイぢゃない」とばかりに、ものによってはエロも盛り込んでいた。
――どちらにしても、人に読ませるような作品ではなかったことだけは確かだ。
しかし、今となんら変わることなく厚顔無恥な私は、自分が書いた“SFもどき”を、ちょっと興味を持ちそうな友だちには全員に見せていた。趣味のあう仲間と同人誌も作っていた。
――中には完結した短編もあり、未完の長編もあった。
って書けば書くほど、今とほとんど変わりがなく、
何の進歩もないのがまるわかりで恥ずかしい限りだけど、
それはともかく……。
さて恐るべきことに、その作家に会いにいった彼女たちは、
本の所有者である私がSFっぽいお話を書いてるなんてことを伝えたのだった。
そこでどういう話になったのかはわからない。
想像するに、恐らく社交辞令として、その作家さんは「だったら今度見てみたいなあ」なんてことをいったのかもしれない。
そして、さらに恐るべきことにカノジョは
「じゃあ、送りますよ」なんて答えたらしい。
さすがに厚顔無恥な私も、その時自分が書いているものが、作品として通用するなどと思ったわけではない。ただ、相手が読みたいといっていて、しかもその話をとりつけたのも自分自身ではなく、さらには郵送作業すら自分でする必要がなかった。
「……というわけで、書いてるもの、読みたいって。送るって約束しちゃったから、しばらく貸して」
「あ、うん、わかった」
そんなやりとりがあっただけだった。
私は自分が書いている物語のノートと、友だちと作った同人誌、それに演劇部でボツになったシナリオまでを束にして、彼女に手渡した。
そして、なんだかワケわからないうちに、汚ない手書き文字で書かれた稚拙な私の創作物が、プロの作家に郵送されたのだった。
今から考えるとその作家さんは、親切で、好奇心おう盛で、しかも阿呆なワカゾーに対して非常に優しい視線を持った人だった。
ある日、私の家の電話が鳴った。
信じられないようなことかもしれないけれど、その人からの電話だった。
これまたとんでもなく失礼な話だが、10代の小生意気なワカゾーは恐れを知らない。
「あ、どうも。初めまして」
「読ませて貰いましたよ」
落ち着いた穏やかな声で彼はそういった。
そして「ありがとうございます」のひとつも満足にいえないワカゾーに対して、特に怒る様子もなく「いやぁ、若いっていいよねえ」というような感想が返ってきたように記憶している。
もちろん、どこかの出版社や編集者を紹介するというような段階ではないと、そこは正直に伝えられた。だが、それと同時に、書きたいという気持ちがちゃんと伝わってきた、ともいってくれた。そして「このまま書きたいものを書き続けてくださいね」と、何度かそういわれたように思う。
しばらく電話で話した後、ノートを返却したいという話になった。
そこで彼は私に「もしよかったら一度会いませんか?」とまでいってくれたのだ。
「ノートは送り返してもいいのだけれど、もし時間があって最寄り駅まで来てくれるなら、喫茶店で少し話でもしないか」という提案だった。
阿呆でマヌケなワカゾーだった私は、その申し出がとんでもないサービスに満ちていることすら気がつかずにいた。
まるで対等な関係であるかのように、大した礼も述べずに私はただ何となく、会いに行くということを決めていた。
私は何もわかっちゃいなくて、ただ向こうの提案に問題がないという理由での決定だったと思う。
そして私は東武線に乗り、彼のペンネームの由来でもある駅で降りて、数時間その人と話をした。
話題は当然、彼の書いた小説のこと、好きなSFの話、彼の書きたいもの、私の書きたいもの、(当時)ちょっと前に高校生デビューした女流SF作家の話、作家としての彼のスタンスについて、血液型の話、恋について、エロスについて、グロテスクについて……。
情けないことに、私は自分の幸運に関し何ひとつ理解していなかった。――人は時として、ある非常にラッキーな瞬間をそれとわからずに体験し、不幸なことに随分長いことその価値に気づかない。
人に勧めまくるほど好きだった作家であるにもかかわらず、私にはそういう人と会うのだという喜びは、さほど湧いてこなかった。
彼が話した内容の細部も覚えていない。
なぜか、喫茶店でパフェを食べた気がする。パフェに入っていたメロンを見た記憶がある。多分、彼がご馳走してくれたんだと思う。
その時間はあっという間に過ぎ、私はまたたどたどしく礼を述べて帰宅した筈だ。
その後も、彼の新刊本は買い続けたけれど、ファンレターやお礼の手紙を書くわけでもなく、ただ彼女たちを通してよろしく伝えてもらっただけだったように記憶している。
なんて不躾で不遜なワカゾーだろうと、今では思う。
でも、その時のワカゾーは、後悔も含めて今の私に繋がっている。
はるか昔のことなので何時のことだったのか定かではないけれど、受験を控えた夏休みのことだったように思う。
それから様々な紆余曲折があって、ミニコミの編集やライターの仕事に関わったことはあるものの、小説に関してはWEBで発表するようになるまで、ほとんど書いてこなかった。
それでも、特に誰に読ませるでもないものをワープロに残したり、誰かの同人誌にちょっとした物語を載せてもらったり、断続的ではあるものの、創作から完全には離れずに今日まできた。
つい最近、ふとしたはずみで上に書いたような記憶が呼び覚まされ、いいようのない不思議な気分になった。
そこには思春期の熱と憂鬱がある。それと同時に、多少なりとも大人の視線を得た今の私の、過去の自分に向かうメッセージが隠されている。
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今さらなのだけど、この歳になってようやく私はいえる。
「先生、あの節は本当にありがとうございました」
才能も知識も技術も足下にも及ばないし(相手はプロ中のプロだから当然)、話したのはたった一度の短い時間きり。……それでも間違いなくあなたは私の師匠です。
自分勝手に師と仰ぐことも失礼極まりないことかもしれませんが、未だに先生のおっしゃった通り、「自分の書きたいものを書き続けて」おります。
趣味で未熟な話をだらだらと書いている不肖の弟子です。
それに、先生の作品が持つテーマの一部は間違いなく身体に染み込んでおります。一言いわせてもらうなら、エロから離れられないのもそのせいかもしれません(爆
いやもちろん、たとえどれだけ書いても、師匠のように書ける筈もありません。それでも書くことは今でも楽しんでいます。
すでに帰天された先生が、もしこの広大な宇宙のどこかに別の存在としておられるのだとしたら、私の記憶にある穏やかな眼差しで見守っていてください。
SFやSMのネタを降ろしてくださるのはもちろんウェルカムですw
かように成長もなく相変わらず不躾な者ですが、忘れていた記憶に触れ、少しは居ずまいを正しました。
「先生、本当にありがとうございます」

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