オフラインの生活の方がちょっとバタバタしています。
普段とは別の初めての場所に行き、普通は味わわない体験をする。初めての場所で、ぽっかりと空いてしまった何もすることのない時間――。霧の煙る中、山道を散歩し、ぐるっと一周してまた元の場所に戻る。それで1時間を過ごし、その前の1時間は頭の中に浮かんだ言葉をメモ帳に書き綴ったりしていた。
それは、まさにその時体験したことを、多少の感傷を含めてストーリーとして頭の中に収める作業だった。
………………
ストーブがしゅんしゅんと音をたてる待合室で、私たちは出会った。長椅子の端と端に腰を降ろし、どこを見るでもなくただじっと待つ私と、見知らぬ男。
彼が、さっき見かけた男とは別人であることは間違いない。しかし、私の目には、彼も、先刻目にした男も、どちらも同じに見える。
懐かしさとともに、病院の玄関を入った時、目の前を初老の男が通りすぎた。彼はごみ箱の中に唾を吐き捨てて、廊下の奥の病室へと消えていった。
その野蛮で不潔な行為は、しかし彼の怒りと無力感を表しているように見えた。恐らくその蝕まれた身体と鬱屈した心の皴には、どんなに掻きだしても完全には取り除けない「やりきれなさ」が、黒くしみ込んでいるに違いなかった。
自分の手を見た。そしてそれが見た目には不潔でないことを確認しながら、同時に目には見えない血がついていることを知っていた。
「人を殺したわけでもないんだろうに『血』だなんてそんな大げさな……」
多分、そういわれるのがオチだろう、と思った。
確かにそれは、夢想好きの私が深刻な物語をでっち上げているだけなのかもしれない。
しかし、私はこれまでたっぷりと肉を食べてきたし、その肉には私のかわりに誰かが殺した動物の血が含まれている。私の手が血で汚れていないのは、手を汚さないですむ殺戮の恩恵を享受し、考えずに済んでいるからにすぎない。
考えずに済む仕組みは、私を幸福なままでいさせてくれる。
そしてそれは、腹に収まって私の身体となった動物たちだけでなく、誰かの栄養にもならずにただ死んでいった人びとのことも忘れさせる。
私はまったく別種の「やりきれなさ」を抱えながら、その存在の無力さと、怒りを放出することすら制限されているという点で、ごみ箱に唾を吐き捨てる男となんら違いはないのだと思う。
このせわしなく傷ついた星の上に今いる男と女のうち、100年後も意識を残している者はそう多くはない筈だ。その長くて緩慢な死を身近に感じながら、私は結末へと向かう物語の上の一瞬を、静かに呼吸していた。
ストーブの音だけが聞こえる静かな時間――。そして、ここへ辿り着くまでの慌ただしい道のり。その二つの極を繋ぐように存在する風景の連続写真。一瞬の場面に切り取られた記憶を、情緒過多な脳が時系列に編集し、そしてストーリーを紡いでいく。
でも、それは現実なのだろうか?
そもそも、本当にあったことなのだろうか?
いや、確かに私がこんなところにいるのには、ワケがある。記憶を辿れば、どのような経緯でここに今いるのかということを説明することも可能だ。
しかし、たとえ個々の断片が確かな事実であったとしても、それぞれをコマとして映写した時に語られるストーリーと映像は、自分に都合のいい物語に編集され、歪められ、あるいは捏造された記憶なのではないだろうか?
長椅子の端にいる男が立ち上がり、どこかへと消えていく。
それに促されたように私もまた立ち上がり、廊下にある自動販売機で缶コーヒーを買って飲む。喫煙室で煙草をふかし、それからまた長椅子に戻る。
すでに何度も確認した腕時計は、まだ30分も経過していなかった。
………………
突然できた他に何もすることのない時間。かといってゆっくりとくつろげるわけでも、眠ることができるわけでもない変な待ち時間。
私にはペンとメモ帳があり、(それはもちろんPDAでも携帯端末でもいいわけだが)そこには描写すべき世界がある。
自分以外と自分自身という二つの観察すべき対象があって、その二つは同時に不思議な関係で繋がっている。
何のエンターテインメントでなくても、私はどうやら書くことで生きているらしい。やりきれなさもユーウツも、まるで空気のように、私と世界に満遍なく存在し、「言葉にしてくれ。文字にしてくれ」と私に囁きかける……。
いやいや、別にウツになってるワケではなく、ただただせっせと日常をこなしているだけなんですが、ちょびっとしんみりとしたことを、残しておきたくなったのでした。
仕事もいくつか片づいたことだし、また小説の続きにとりかかろうと思います。

0