しばらく止まっていましたが、年末年始の休みを利用して、
また少しずつ書き始めました。
ヒミハコは、ノブアキの一人称で雑念も含めた内言までたっぷり書いています。そういうことを続けているとどっかで境界が曖昧になる瞬間があります。
ヒミハコを構成する文章は、かなりの分量をノブアキの妄想が占めています。それはもちろん作者である私の創作であるわけですが、つまり私はノブアキが妄想していることを妄想して書いているわけで、なんていうか、不思議な入れ子状態になっています。
もちろん、作者は登場人物とイコールではありません。
境界が曖昧になっているということは、わりとノッている証拠でもあります。少なくとも私のヒミハコに関する創作スタイルとしては、決して悪いことじゃありません。
ただ、ノブアキの脳内フィクションが、私に楽しめる部分とそうでない部分は間違いなくあり、そこにちょっと変なひっかかりというか(笑
微妙な齟齬を感じるわけです。
まあ、ノブアキと私では歳も違いすぎるし(爆、
ヒネくれてるとはいえ、ノブアキは純粋だし……。
現実の私は、「恋愛はフィクションである」というように思います。
頭の中にできあがった相手のイメージに人は恋する。そして相手も同じように、自分のなかにできあがったイメージに恋する時、それは両想いになる。
個々人が抱えるフィクションは、常に現実と繋がっています。いや、脳の内部にだけ存在するフィクションだけでなく、すべてのフィクションは現実と無関係ではいられません。
ただし、本や映像や、あるいはWEBで公開されたフィクションは、一度メディア(紙なりビデオなりゲームなりHTMLファイルなり)に定着されることで、変更には手間がかかる。でも、人の脳の中にあるフィクションは日々刻々と変更が可能です。
恋人たちは、少しずつイメージを変更しながら、時間とともにフィクションを更新していく。それぞれの頭の中にあるイメージを互いに強化したり、時には少しずつ修正しながら、同じフィクションを共有できれば、恋人たちはハッピーでいられます。
でも、往々にしてそうはいきません。
ノブアキの頭の中にある菊地絵梨と、現実の菊地絵梨には差がある。ノブアキがどんなに目を凝らして必死になって考えても、菊地絵梨のすべてを理解することはできない。逆もまたしかり、絵梨の頭の中にあるノブアキは現実のノブアキとは違う。
この、互いのイメージの誤差が、恋愛というドラマの基本にあるのだろうと私は思っています。相手を完全に理解したり、支配したりすることはできない。もっといえば、「あの人のことをぜんぶ理解したい」と願うこともまた、やはり支配欲だろうと私は思うのです。支配したくて、支配したくて、しかしできなくてフィクションを修正する。それでもまだ足りなくて、うまくいかなくて、再び修正する。その繰り返しをヘながら、私たちはそれを「恋愛」と定義してみたり、「純愛」だと定義してみたり「悲恋」だと定義したりする。でも、「手に入れる」ということを手放さなければ、手に入らないものもある……。(これもまたフィクションの定義にすぎないのかもしれないけれども)
そして私は、随分前にそう書いたように、「秘密の箱」を支配の物語として書いていきたいと、今再び強く思っています。「手に入れる」ということと「手放す」ということの両方を、ノブアキが自分の欲望とどう折りあいをつけて、どこまで追求することができるのか、書いていきたいと思います。
人の脳内に生まれたイメージやフィクションは、実はそう簡単に変更・更新されたりはしません。細部は修正されるものの、たとえば「この世界は勝つか負けるかだ」「この世界は、いい人もいれば悪い人もいる」「私は愛されるべきだ」「おなかがいっぱいの時、人は幸せになれる」といった自分や世界に対する思い込みは、良くも悪くもその人が生きて幸福を追求する時の基準です。「好きな人が死ぬのは悲しい」「好きな人と一緒だと嬉しい」というような、アタリマエと思われている感覚ですら、ある意味、人が生き残り生き延びるために必要不可欠なフィクションであると私は思っています。
人はそのように、フィクション抜きには生きていけない生き物なのでしょう。
そういった、個別の脳に蓄えられたフィクションの延長線上に、物語は生まれます。個々の人びとがそういったフィクションを抱えているからこそ、創作された物語がエンターテインメントとして成立するのだともいえる気がします。
延々と語り継がれるおとぎ話や歴史に名を残す名作が優れているのは、時代や地域を超えて、人々に共感を呼ぶ普遍性を持っているからです。
そういった優れた作品に遠く及ばないのは当然としても、もし私の書くものが読んでくださった人の脳に何らかの刺激を与えることができたら、こんな嬉しいことはありません。
そしてもし、書いている時の私が妄想の入れ子状態になるように、読んでくれた人の中で、書かれていないノブアキや絵梨の言動が浮かぶようであれば、それに勝る喜びはありません。
ノブアキの中のフィクションを私は妄想します。
絵梨の中のフィクションも私は妄想します。
亜美香の中のフィクションも私は妄想します。
しかし残念ながら、彼等のフィクションは、どれもこれも、私の妄想にすぎない。
願わくは、私の妄想が強く大きく膨らむことを。
そして、あなたの妄想と、ともにフィクションを共有できることを。

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