そろそろ一年くらい経ってしまったので、忘れないうちにピンク・フェアリーズにまつわるエピソードを書いておこうと思う。
昨年行ったヨーロッパツアー前半、英国ブライトンでリハーサル後、ダムドのキャプテン・センシブルの家に招待された。
彼の家の話とかはじめると長くなるので、省略。
家に到着してリビングで最初にかけたCDはマイルス・デイビスの「KIND OF BLUE」。で、その後ディナーをご馳走になり、キース・エマーソンがいたナイスをかけはじめた。「ELPはクソだけど、ナイスは大好きだ」と言う。「この音はオルガンのフィードバックの音なんだよ」と得意げに話す。
自分はELPも好きだしナイスもアルバム持っているよと言うと、同好の士だと思ってくれたようで、ノリノリで「サイケデリックバンド辞典」みたいな分厚い本をとりだして見せてくれた。
パラパラとページをめくってみると、「P」の項目でピンク・フェアリーズをみつけた。
キャプテンにそれを指差しながらピンク・フェアリーズは大好きだと言うと、興奮気味にこんな話をしてくれた。
(英語はたいして話せないので若干間違いもあると思いますが、概要はこんな感じです)
「74年か75年頃、ピンク・フェアリーズのライブを見た事があるんだ。
その時期はどこのバンドもでかいステージでしか演奏しないし、「ハ〜イ(オカマ風に)」っていうようないい子ぶったのばかりだった。
だけど、彼らはトレーラーをステージにして演奏してて、そういうメジャーなバンドとは全然違っていた。すごくかっこよかった」
その時期だとラリー・ウォリスがギター?トゥインクはいなかったんじゃない?
「いや、トゥインクもいてツインドラム編成だった。
トゥインクはヘロヘロで全然演奏できなかった。そうしたら、ステージ上でダンカン・サンダーソンにぶん殴られたんだよね。
でもそのステージを見た俺はすごい衝撃を受けたんだ。
音楽っていうのは、彼らがやっているような衝動やエネルギーが大事なんだと実感したんだよ」
音楽について自分もそう思うと話し、握手した。こんなにピンク・フェアリーズについて熱く語るなんて意外だったが、とても楽しい時間だった。
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というエピソードが前振りのつもりだったが、これでもう十分だなぁ。でも、あと少しだけ。
自分にとっても、ピンク・フェアリーズを20代の前半に聴いた事は、大きな影響になっているんだろうなぁと思う。すっかりハマっていた時期があって、オフィシャルなんだかブートレグなんだか微妙な、同じような内容のアナログを何枚も買わされた。
3枚のオリジナルアルバムの中では、やはりトゥインクが在籍してツインドラムだったファースト「Never Never Land」が一番好きだ。あんまりツインドラム感がないが、まぁ細かい事は気にするな。
今でも、ザッパの「ROXY & ELSEWHERE」とこの「Never Never Land」で、自分のツインドラムへのこだわりみたいなものが育まれたんじゃないかと思う。
なんていっても、ツインドラムでサイケデリックでロックンロールだ。
現在手に入るCDではボーナストラックで最初のシングル曲、「THE SNAKE」が収録されているので完璧だと思う。
ちなみに、「THE SNAKE」は、昔テキサコ・レザーマンのおおさまが「あの曲、GBHの「SICK BOY」と似ているんだよね」と指摘しているのだけど、他でそういう指摘を見たり聞いたりしたことはないのが不思議だ。イントロとか何だか似ているんだけどなぁ。

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