男兄弟三人、おふくろの期待に順に背いていった様子が、八十歳頃の
おふくろの日記に痛々しく記されていた。
長男は高校3年の正月、親父に問屋筋の会社に連れて行かれて、
「これがようよと高校出て商売を継ぐで、よろしく頼む」
と紹介された。
ところが生まれつき
中途半端だった長男は
(戦前派でも戦中派でも戦後派でもない世代なのだ!)、その親父の望みを裏切って、非常に
中途半端に大学へ行くことになってしまった。
おふくろから
「お兄ちゃんが大学へ行ったで、金がかかってしょうがなゃー」と繰り返し言われていた
次男は、お金持ちの友だちから
学費を借金して大学にいってしまった。これは中途半端ではない。
二人の兄を見ていると、いずれも
“青雲の志”を抱いているわけでもなければ、何か目的を持って勉強しているようにも思えない。そこで
三男は、
「親に苦労をかけてまで大学なんか行けせん!」
と言い出した。
学業成績は三人のうちで一番良かったから、おふくろは愕然とした。
兄が二人いるから相談に乗って善処してくれるだろうとおふくろは期待したが、「中途半端」と「ちゃっかり」の
兄は何の役にも立たず(おふくろの日記にそう書いてある)、結局三男は、
「そうも言うなら大学受けやええんやろう!」
といって
T大を受験して落ちた。
この辺のいきさつが日記には、
「私が“お金がない”といったのがいかなんだのや」
と記されている。しかも4回も5回も・・・それを思い出すと
夜眠れなくなる、とまで書いてあったりする。
結局大学なんて縁のないような家系から(
「商売人に学問は要らん!」とおやじは言っていた)三人も大学へ行くことになったのがおふくろの気苦労の始まりで、日記を読み返すたびに、
「長男さえ私の期待にこたえとってくれたら・・・」
との思いが伝わってきて、今度はこちらが眠れなくなったりする。
三人とも身体も大きく腕力も強く、いずれも小中学校で児童会長・生徒会長に選ばれたりしていたので、おふくろの
期待が必要以上に高まったのだろう。
ただしそろいもそろって
「根性不足」で、ある日三男坊がつぶやいた言葉が一番的確に不肖の息子どもを評価しているような気がする。
「俺たちは‘親の遺産’を食い潰しとるだけや」
‘遺産’は金や土地ではなく(そういうものはなかったから)、
おのれ自身である。
「私に金と暇があったら、あんたんたちにまっといろいろやったれたのに・・・」
が口癖だったおふくろ、
三人そろって・・・「ごめん」

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