【お母さんの思い出】
60何年も前の夏、ぼくと弟はお母さんのお手伝いをほったらかして悪さをしていました。たまりかねてお母さんはお父さんに訴えました。
「おとーさん、この子んたあちょっともいうこと聞けせんで怒ったってちょう!」
いきなりお父さんが現れました。
「悪ぃーのはどっちや? お前ゃーか!」
と言っていきなり弟をぶんなぐりました。弟は、
「おれやなゃー! お兄ちゃんや!」
と言って泣きました。
その夜は「みょーけんさま(妙見宵祭り」でした。お母さんはおこっていたので、どうしてもお小遣いをくださいませんでした。ぼくたちはどうしてもみょうけんさまに行きたいので謝りました。そうしたらようやく10円ずつくださいました。ぼくと弟は走ってみょうけんさまに行きました。でも夜店はもう片付けが始まっていて、空気を入れるとピョンと跳ぶゴムのカエルしか売っていませんでした。ぼくたちは一つずつ買って、走って帰りました。
・・・そんな頃、写生大会で描いた「宮田用水」の絵です。先生は「電線が遠いとこも近いとこも同じ太さやでいかん」と言いながら、名前を付けて張り出してくださいました。ぼくは入賞したのです。

「四梅」は「四年梅組」です。60何年前の絵なので、クレパスにカビが生えています。
こんなことよりほんとうは愛知県美術館に行ってきたことを書きたいのですが、時間の都合でとりあえずクイズを出しておきます。芸術に関してはまた。


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