45歳で初めて合唱の世界入り、もちろんアマチュア合唱団。
活動を重ねるにしたがって男性(主におっさん)の中から「いい年になって、なんで先生に叱られながら歌をうたないかんのだ」「忙しい生活の中、楽しむために歌いに来とるのに」という声が上がり始めました。私をはじめ「そうだそうだ!」と言いたい連中があたらしい合唱団をつくりました。巻き添えを食った女性も加わりました。
それと並行して、常々「男声カルテット」をやってみたいと思っていた私は、あっちこっちの「男声」に声をかけて、曲がりなりにも男声カルテット、というより「おっさんカルテット」を結成しました。20何年も前のことです。
変声して声が低くなったころから私は『ダークダックス』が大好きでした。中学校では先生から「山口君、低音で教科書を読んでください」、高校では「おい、ダークダックス、教科書読んでくれ。あ、一人やでダークダックやなあ」などとよく命じられました。だからダークダックスやデュークエイセスの「バス」が好きになりました。
ところが大きな合唱団ではおおぜいでワーッと歌うもんだから、周波数の低いバスはテノールやソプラノに負けて、せっかく歌っても目立たない。そこで、男性の4声がそれぞれ1人ずつで「がんばれば低音も目立つ」というグループをつくったのです。
当初「私たちのモットーは心を一つにすること、その一つの心とは『自分だけが目立ちたい』です」なんてことを言ってました。
その後メンバーも徐々に増えました。

(すいません、一番新しいメンバーの似顔絵が見当たりません)
絵の順序はゴチャゴチャです。あ、それからピアニスト以外に女性が加わったのは、けっこう仕事が忙しい者が多い中で高音のテノールが欠けることが多かったため、安定して出席してもらえる高音の女性に支えてもらうことにしたためです。
というわけで、なんせ「自分だけが目立ちたい」がモットーだから、ちょっと「精度」は低いけど「明るく楽しく、なれなれしい」グループが出来上がっていきました。
こんな風にあっちこっちで歌って、おかげさまで一宮・岐阜を中心に月3〜4回もの出番をいただいたりするようになり、アンケートでは「ステージが楽しい」と言っていただけるようになりました。こんな風に新聞に書いてもらったこともあります。
といううれしい状況の中で、れっきとした合唱団で歌い続けてきたメンバーの中から「お客様の期待にきちんと応えるためにも、合唱の精度を高めよう」という声が上がるようになりました。
「なんで叱られながら歌わないかんのや」派の私はやっぱり責任を感じて、メンバーの適材適所の活躍によって合唱力を高められるように、代表として「改善」を目指したのですが・・・
まことに突然ながら「合唱メンバーとしては退団の上、自分が指揮者をつとめよう」という極端な意見が出てきまして・・・
とここまで書いたところで「一宮七夕まつり」に出かける時間になりました。今日は午後5時から「FMいちのみや」の七夕仮設スタジオ(オリナスいちのみや内)で1時間ほどおしゃべりのお仲間入りをさせてもらいます。
G5の「新生の悩み」についてはまた。

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