年取ると頑固になります。変なことにこだわります。私には意地でも食べないものがあります。
@カレーライス
私、戦中生まれの終戦後育ち、お米はとても貴重で「白いご飯」はあこがれだった。主食は麦飯、お米だけというと「おかゆ」、おやじは「うちの子どもんたあはおきゃーさんが好きやで助かるわ、わっはっは」と笑っていた。しゃびしゃびでも真っ白なおきゃーさんがよかったんだ。
カレーライスはなんせ洋食だから子どもは好きなはずだった。でも、麦飯の上にジャガイモだの野菜だのがいっぱい入ったカレーをドサッと乗せたのが出てくると、コメの消費を減らすための親の陰謀としか思えなかったのだ。だから家でも外でもカレーライスは食べない。
Aうなぎ丼
私、児童会長とか生徒会長とかをやらされて、先生に「そんなことで会長がつとまるか!」といつも叱られていた。
中学時代のある日、タマネギ畑のネギ坊主に石をぶつけると「パーン!」と気持ちよく破裂して倒れるということを友だちから教わり、さっそく仲間と実践した。あくる日タマネギ農家のおじさんが学校に来て「この学校にはこんな悪さをする奴がおる!」と、折れたネギ坊主を先生に預けて帰られた。
先生は生徒会長の私を呼び「朝礼でみんなに注意しろ!」と言いつけられた。私は朝礼台の上からみんなに「こういう悪いことはしないようにしよう!」と呼びかけた。「クスクスッ」と笑い声が聞こえたような気がして冷や汗をかいた。
こんな経験から、私にはねじくれた正義感が育ち、変なときにそれが頭をもたげるようになった。ウナギが「絶滅危惧種」であると言われるようになった。それ以来私はうな丼を食べようとしなくなった。
そして私は
買い物が苦手・・・かつて大型商業施設の誘致にはかなり精力的に取り組んだが、世の中そんな店ばっかりはやるようになると、なぜか買い物に行けなくなってしまった。
靴と眼鏡と本だけは自分で買うほかないので行かないわけにはいかないが、ある時あの「イオンモール木曽川」という巨大マーケットに行って、文庫本1冊だけ買って帰ったら、女房殿から「なんでそういうときにシャツの1枚も買ってこれんの!」と言われた。
そんな中でちょっと寂しいお話を聞いた。木曽川中学校北の河村文具店さんが、7月いっぱいで店を締められるというのだ。大変親しくさせていただいて、時々買い物にも行っていたのに・・・だんだん私でも行ける店が少なくなってくる。
今日お店に行ってみた。奥さんが「ご迷惑おかけしますけど・・・」と切り出された「主人も80過ぎましたでねえ・・・」と。
うまくご挨拶できないので、言葉代わりにお絵かき教室などで使う画用紙とか鉛筆とかペンとかを買うことにした。
「まあまあ、そんなぎょうさん買ってまって」「いつもお世話になって」「まけとくでねえ」「また来てちょうだいと言えんでいかんけど」
こんな言葉のやり取りは大型商業施設では無いもんね。せいぜい、あっち向いて「ありがとござました〜〜」だもんなあ。
さっそくこんなの書きましたよ。明日はひなたぼっこクラブの「音楽教室」だから。
こんなことばかり言っていると、ほんとに行くところなくなっちゃうかもなあ。
ケータイすら満足使えないから「大震災が来たらお父さんだけ行方不明になる」と女房殿に言われたいるもんなあ。

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