木曽川文化会館、「いちいしんきんホール」という名称になるのだとか。名称はともかく音楽ホールとしての音響効果までは期待できないと聞いています。
音楽家さんはそういうことに敏感だから、基本構想をつくるころ「名古屋飛ばし」なんて夢を見ていたことが、自分でほほえましくなっちゃいます。
それはともかく、基本構想の作成に住民サイドから参加してがんばった人たちが、ともかくも完成を待ち望んでいます。
自分たちが企画運営に参加できるホールが実現される。企画から切符もぎりまで実践体験しとかなきゃあと、40数回に及ぶコンサートを実施してきました。すごいなあと思います。完成までにこれだけの年月がかかるとは思っていなかった、という結果なのですが。
元町長は「合併後の市政にはかかわらない」と、ハシモトサンみたいなことを言って岐阜に隠居してしまった。その人たちはあきれたり怒ったり・・・
それでも粘り強く市関係者に交渉陳情を続けられた人たち、1年後の開館が見えてきたころ、「オープニングを自分たちの手でやりたい。指定管理者にゆだねられるのでむつかしいという返答だが、なんとかならないか」と、私に“最後の努力”を求めてこられました。
会館の完成を一宮市中でもっとも強く望んでこられた人たちだから、当然オープニングに名乗り出る“権利”がある!・・・そう思った私は、い役所に行きましたよ。
実は合併直後に木曽川町の人からの意見を市役所に持ち込んだら「住民代表は議員さんだから、議員さんを通じてきてください」と言われて、「もっともだなあ」と思った私、それ以来市役所には足が向かなくなっていたのです、公民館や地域づくり協議会の役員会以外は。
でも、行ってきましたよ、市役所へ!
素人が町長になってすぐ読んだ“参考書”に「行政職員はまず“やれない理由”から説明し始める」と書いてあったのでよく心得ていたつもりだったのですが、違いましたねえ。
「木曽川文化会館基本構想」や合併協議議に関する資料をちゃんと読んでくださっていて、私が訪れた理由をよく理解してくださっている。なんか昔の私を憶えていてくださった!と思えて、うれしかったです。
あ、自分の事を喜んでちゃあいけない。で、ちゃんと“やれる理由”から説明してくださったのです。
オープニングにかかわりたい市民団体はいっぱいあるはずだから、具体的にどうなるかわからないけど「なんとか木曽川のみなさんの思いを反映させる」という感触を得られたので、もう少し待ってみようと思っています。
今日は和光会の「やってみよう!感じてみよう!なるほど職業体験」、私「子どもサミット」のまとめ役になっているので、さあ、朝ご飯をいただいて行ってきます!
(長々と書いたなあ)

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