2泊3日で、リアス式の海岸線をなぞれば650キロメートルという陸中海岸の被災状況を見て回ろうというのだから、旅程には土台無理がある。
飛行機を使わなければ成り立たないから、まずは花巻まで一っ飛びということになる。
宮沢賢治をせっせと読み直して、はじめてあこがれの花巻を訪れたのが41年前!
鉄道で花巻駅に入り、「花巻電鉄」のチンチン電車に乗って花巻温泉へ。
賢治も加わって設計された温泉郷は、なだらかな山の斜面に花壇を中心として数件の旅館が全体の景観に配慮しながら配置されており、それぞれの旅館の門柱に「○○館」とか書かれている以外は看板などなにもないという、まことに静かで美しい「郷」ではあった。
その面影がわずかに残っている。
その後、私の話に興味を持った後輩が花巻温泉郷を訪れ、報告してくれた。
「先輩、チンチン電車なんてもうないし、デッカイ温泉ホテルが建ってるし、先輩の話と全然違ってましたよ!」
ある事件で名が広まった“全日空の小佐野さんが開発しちゃった!”というのである。
その後その確認のように訪れた私もびっくりしたのだが、それはコンクリートのホテルが新しくてあまりにもピカピカで、まだ景観になじんでいないからの印象だったのだと、今思う。
地元との協議による再開発計画によって現在の温泉郷が整備されたのだそうで、それが証拠に、今では宮沢ケンジよりも堂々と、小佐野ケンジさんが新しい温泉郷を眺めていらっしゃる。
さて、花巻がこの度の震災・津波とどうかかわっているかというと、かくのごとくである。
花巻は日本海と三陸を結ぶ交通の要衝、折りしも津波で壊滅的な被害をこうむった大槌町のホテルに秋田県のある町の人々が宿泊していた。
その人たちが、ホテル従業員の機転と献身的な努力によって救われ、花巻経由で秋田に帰ることができた。
それを記念して花巻に交流広場が開設され、それぞれの特産品による交流を図りながら、復興支援を訴えていこうという活動が展開されている。
広場の名は「結海」(ゆうみ)、太平洋と日本海を結ぶという力強いネーミングである。
スクリーンによって、広場開設の意味が訪れる客に常時解説されている。
なんせ「大好きな東北」を一歩一歩確かめながらということになるから、長くなりそうだなあ。

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