潟<jコン創業者会長の
田中恭一氏の講演会が、
玉堂記念木曽川図書館で開催されました。
メニコン創業碑建立の際、同図書館と木曽川町内の学校に
図書をご寄付いただいたお礼に、図書館が企画したものです。
講演の核になるのは
「新しいものを生み出す情熱とチャレンジの物語」でありましたが、ふるさと木曽川町とのかかわりから、ご趣味の
「達磨刻画」、ご兄弟でメニコン技術顧問の
田中勇輝氏による世界最高の
「ボトル・アーキテクチャー」に至るまで、幅広い内容にお話が及びました。
特に印象深かったのは次の2つのお話
「コンタクトレンズの試作品は全部
自分の目で実験確認をしました。目玉は2つ、1つつぶれてもまだ一つあるという度胸で臨みました。なぜなら
『痛い』というのは文字で表せば1文字だが、痛さの感触には100以上もの違いがある。それを一々他人を実験台にしてデータを分析にしていたら、研究は前に進まないからです。」
「
がむしゃらに開発を進めてきた反面、商品化への準備は周到、これまで数え切れないほど新商品を世に出してきましたが、
失敗作は一つもありません」
と、講演は聞く人の夢をかきたてるすばらしいものでしたが、郷里木曽川町とのかかわりの紹介のなかで、こんな画像が出てきましてね、
白山神社の本殿新築のお話になったんです。
会長さんのお顔の後ろに
「白山神社」と書いた額の写真がありますね。
これが以前ご紹介した、竣工と同時に本殿に掲げられる
扁額なのです。
広いひたいから
汗が出ましたねえ。
字を習ったこともない私は自分の字にまったく自信がない。
ましてや
刻字刻画の達人である田中会長に彫っていただく文字の原画(?)が私の字!
しかもそれがこの先何百年も
衆目にさらされる!冷や汗かかないほうがおかしいんです、これは。
1枚目の写真の会長のお顔の上に映っている
「木曽川図書館」の文字も私が書いたもので、図書館
玄関の石の表札になっています。
これは「町長の仕事」として書いたものだから、かなりあっけらかんとしていますが、今回は違う。裏に会長さんのお名前とともに私の名前も残される。
あ、
裏だから黙っていればわからないのか・・・
「あの扁額はメニコンの会長さんが彫らっせたものやげなけど、字がなんやしゃん頼りなゃーなあ。誰ん書かっせた?」
後世こんな風に言われるだけなのだ。とりあえず汗を拭こう。
講演終了後も、
質問・サイン攻めで休む暇もない会長さん。
こんなときの
にこやかな表情にも、会長さんのお人柄がしのばれます。
市民のみなさんに良い機会を与えてくださり、ありがとうございました。

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