こどもとお母さんを取り巻く社会情勢の急激な変化・・・おそろしいような、悲しいような部分もあるが、これに目を向け続けないと、クニの「子育て新制度」への動きを見誤る恐れがある。
「ブリーフかトランクスか?」なんてことから、いきなり漢字だらけのやっかいな問題に横滑りしてしまったが、これがボルシチのようにぐちゃぐちゃなじいちゃんの脳味噌の、通常の動きなのである。
日本社会の構造的な変化に対応する制度の変革のうち、保育についてはマスコミがなぜか淡白である。なぜか?・・・売れないからだろうなあ。
わずかに、ハトヤマさんがおそらく東京の現状ばっかり見ながら「タイキジドー!」と声を上げた時点で、小さな山場が訪れた。
それが社会的な議論にまで広がらず「ミンシュトーだマニフェストだテーコーセーリョクだ!」と、コップの中の嵐に収斂しそうな気配である。
保育関係者まで「どうなるんでしょうね?」とか「制度が変わったって保育は変わりません!」とかおっしゃっているような状況にとどまっている。
なんてエラソウなことを言って、じいちゃんは何をやったというのだ。
はははは、なーんにもやってないか・・・ただ、じいちゃんには町長時代からなーんとなく先のことを感じながらなーんとなく物事を進めていくくせがあって・・・なーんとなくでよく町長がつとまったものだが、いつも心配だけはしているのだ。
3年前、エンチョーとしてボルシチの脳味噌をかき回してひねり出した保育理念・保育方針が
「開かれた保育園」だったり「みんなの保育園」だったり「誰もが希望をもてる保育」だったり・・・
こんなところに新しい保育への思いを表しているのだが、そのじいちゃんが今「人権」という言葉に直面している・・・といったらまた「似合わない!」と言われるだろうか?
中学校で勉強というものを強制されてから何年経つのだろう・・・今頃になって人間社会の基礎の基礎が「人権」であり、だから保育もまた「人権」という観念の上に成り立つべきものだということを実感したのであります。
きっかけは案内チラシになんとなく引かれて「こどもの人権」についてのワークショップに参加したこと、いやあ「勉強」でこんなに感動したのは初めてかもしれない。
じいちゃんも、脳味噌はぐちゃぐちゃだが、まだまだ人間なんだなあ・・・!
それにしても「誰もが希望を持てる保育」・・・まちがってなかったなあ!
それにしてもこのことを伝えた本部での会議、みんなつれなかったなあ。誰も感動しないんだもんなあ。
なんてこといっていて、つぎはきっと「ブリーフかトランクスか?」に話がそれていくはずだ。それがじいちゃんの脳味噌なんだ。

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