ウィルスの襲撃に必死で抵抗していた・・・オーバーに表現すればそんな感じだった1週間(「だった」で終わればいいのだが)、
「クラス閉鎖」は解けたものの予断は許されない。
地球の隅々までわがもの顔に入り込んでいった人間に対する、これは
ウィルスの逆襲ではないか・・・
「鳥インフルエンザ」の脅威に対して、そう警告を発した学者もいたように記憶している。
こんな事態の中でこどもたちを守るという立場に立って、かの
「新宿の保育園長」さんはどんな対策をもって臨んでおられるのかと思ったりした。
「新宿の」では失礼かと思うが、ご本人に自分を売り込むような姿勢がまったくないからこちらもお名前など気にしなかったし、せっかく買った著書はみんな保育園にあるしで、今回も「新宿の」である。これがいいのだ。
突然だが、こんなことをおっしゃったことを思い出した。
「オリンピックの覇者ボルトも“多動性障害云々”だと言われている。彼は陸上競技という場を得られたために、世界に名をとどろかせることができた。もし、日本の親がみんな望んでいるように“東京のオフィスで働く”という道に進んだら、そうはいかなかったろう」
ちょっと極端な例ではあるが、今問題になっている
軽度発達障害児の増加について、
「少子化」「地域や家族の変質」という環境変化に視点を置いて追求しないと、問題解決にはならない。そういう持論にたっての言葉だと、私は解釈している。
そういえば、私の
息子にも似たようなところがあったなあ。
保育園も学校も
「あずけっぱなし」でのぞいたこともなかったが、小学校に入ると同時に
「父親学級」というものが催されることになり、私ものそのそと出かけた。
そうしたら、である。授業中だというのにうちの息子だけが、席を立
ってあっちへ行ったりこっちへ来たり、べらべらべらべらほかの子に
ちょっかいだして・・・見ようによっては、オヤジが珍しく学校に来たからこの際目立とうと思って愛想を振りまいている、と言えなくもない・・・が、まったく先生にとっては迷惑だろうなあという思いと、ほかの親さんたちに申し訳ないという気持ちで、
(この馬鹿、親に恥をかかせやがって)とうつむいていたことをおぼえている。
習い事をまったく受け付けず、むりやり
習字の塾に行かせたら親が呼び出され、「お宅ではこういう風にしつけされているんですか?」と問われた挙句
即退塾という徹底振りだったが、
サッカーだけは根性を持ってやり通した。
学校といっしょで、試合などまったく見に行かなかったが、あるとき母親に「たまには見たりゃー」といわれて行ってみた。すると、相手チームの監督が
「10番マーク!」と叫んでいる。10番は誰だと探してみると、なんとうちの息子である。
適材適所というやつだなあと思ったものだ。
その後、知的障害のある子をいじめる同級生を
ぶん殴ったということで、先生が
「私たちがやれないことをやってくれまして」と母親が感謝されたという、ま、
伝説のようなものがあったりして・・・本人自身も小さい頃は怪我が絶えず、
救急車代わりをやったことも二度三度・・・。
それが今は
商社マンとして、やれロシアだインドだ、それラオスだカンボジアだと、
地球上を「多動」しているから、人生はおもしろい。
同級生にそんな話をしたら
「お前の息子やでしょんないがや」という。
あれ? いつの間にか自分の息子の話になって・・・?
それよりも、いっしょに研修を受けた園長グループの中にも
すばらしい人がおられた・・・こちらを書いておかなきゃ。
岐阜市の
「わかば保育園」の
松園直美園長さんの著書。しみじみと感動が湧いてくるすばらしい本である。物語の向こうに
すてきなお母さんが見えてくる。すてきな
保育士さんが、といってもいい・・・。
すばらしい保育関係者に出会えて、うれしい気持ちになるとともに、肩にますます
重荷を感じて・・・ああ、
不安になってきた。

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