25日の昼いち。
電話が鳴った。
みーさんが今、入院している病院の看護士から。
すぐに旦那に電話した。
「なぁ!今 病院から連絡きたで!お義母さんの状態が悪いって!」
「血圧が上がらないって! 病院に行かんと!」
たまたまこの日、旦那は会社の葬儀で午後から休みだった。
ちょっと顔色を変えた旦那が帰ってきて・・・
病院へ行く支度を始めた。
「私も行く方がいいよね、弟さんにも連絡した?」
とにかく、行かなきゃ様子がわからないし・・・
雪の中、二人で病院へ向かった
私も少し 鼓動が早くなっていた。
私「なぁ、お義母さん、ほんに悪かったん?」
旦「ん〜 熱はずっと出たり下がったりしてたけど、痰がひどい」
私「・・・・・・・・あんたは何も私に話してくれんもんな・・・」
旦「・・・・・・・・ 」
病室に向かう足は早いけど、胸のドキドキで震える。
ベッドに横たわるみーさんを見た。
この前より さらに痩せて、もう以前の面影がまるでない。
ほんとに、骨と皮。
昨夜からまた高熱が出て、下がらないから今また薬を入れたそうな
血圧は上が100をきり、70〜90
酸素も いっぱいにしても70ほどにしかならないって。
痰は始終絡んでいて、 見ていても辛そうで・・・
看護士も こういう場には慣れているせいか、そう再々吸引もしない。
辛いね。しんどいね。
でも、それすら言えない。
ときおり、うなり声をあげる。
看護士が「あら、今日はまだ声が出るから良い方やね」と
そうなんだ?
体は寝返りも、指一つ自分では動かせない状態。
それでも目はしっかり見えている。声も聞こえている。首もやんわり動く
ベッドの横に立つと、その者の顔を まじまじと見る。
だけど、それが誰なのかは? 解らないのかな
だけど、旦那が横に来ると明らかに見てるよね?
だから横に向けられている方向にいるよう旦那に言ったわ。
だって、首は動くから逆に居ると辛そうに振り向いているから。
きっと、解っているね。
担当の看護士が来て、説明をしていった。 そして
今のうちに 会わせたい人に連絡した方が良いですよ。 と
その言葉を 漠然と聞いていた。
妙に冷静な私は 旦那に電話をかけるよう促した。
せめて、みーさんの兄弟に。
一人に連絡すれば その後は その人が他の人に連絡してくれるから、と。
その中には、ここまで悪くなっていることすら知らせていない人もいる。
ビックリするよね・・・・
どのくらいそこに居ただろう。
連絡した義弟夫婦も偶然今日は休みで、駆けつけてくれた。
みーさんの兄弟も 一人、二人と 顔色を変えてやってきた。
みーさんの状態は?
熱は下がってきた。 薬が効いてくれたんだね。
でも、足の甲が ぱんぱんに浮腫んでまん丸になっていた。
血圧は?少し上がってきた?100になったね
酸素も、吸引をすれば90まで上がった。
息づかいが さっきより楽そうに思った。
そう思うだけでも 見ている者の心は軽くなる。
(今日はここにお泊まりかな・・・)
外は 雪がますます激しさを増していた。 よく積もるなぁ
私「ねぇ、今日はここについてる?」
旦「ん〜〜 もう少し様子みてから・・・どうするかな」
私だったら
私が この状態で 自分の親だったら・・・
ばぁの時を思い返す。
きっと、 絶対 帰れない。帰りたくない。
だけど私は薄情な嫁だね
そんなみーさんを置いて、家に帰ってきてしまったわ。
旦那も
血圧が落ち着いて 熱も下がったし、とりあえず今はもう大丈夫だろうからって
弟夫婦も一足先に帰り
みーさんの兄弟も 帰り
最後に私たちも 一人病室にみーさんを置いて帰ってきてしまった。
それでいいの? と 何度も旦那に聞いたけど・・・
その帰り道、
朝から頼んでおいた持ち帰りのお寿司を受け取って帰宅したわ
今日は・・・ 私の誕生日。
連絡を受けた直後から もう諦めていた。
家族で 夕飯を一緒に食べることを。
でも、おかげさんで 今年も一緒にお祝いしてもらえたわ。
旦那からはなんもプレゼントなかったけど
仕方ないよね。
病室では今も苦しんでいるであろうみーさん。
その姿を ぎゅっと目を閉じ思い出さないように・・・
思い出すと心がつぶれそうになるから。
きっと
私の心は ごめんね・ごめんね・ごめんね とエンドレスに唱え出すから
病室でも 私は みーさんの前で声を無くしていた。
ただ、心の中で
私のせいだ。 私のせいで・・・私が・・・ごめんね。
と、
でも、それは声にはならない。
みんなが席をはずし、私だけになったとき、やっとかけた言葉が
「わたし、 わかる?」
それだけ。 やっと、 しぼるように言えた言葉。
みーさんは そんな私の顔を見つめ、かすかに口を動かした。
硬く握りしめている掌をそっとほぐし、にぎにぎを指の間に入れ直した。
そして、ただ 見つめるしかできない私。
だめじゃん。 だめだめじゃん。
情けない。
もっと色々話しかけることないの?
この日から旦那は 二日に1度の様子見を 毎日行くようになった。
そして私は、帰宅した旦那に 毎回、聞くようになった。
「今日はどうだった?お義母さん」
今なお 油断はできない状態だけど
それでも頑張っている。
危険と言われた25日も、ばぁの命日だった26日も
みーさんは無事持ち直して、 新年を迎えた。
そして今日も病院へ行く旦那。
私は・・・?
12月は 辛い思い出が多いから それを振り払って明るく振る舞うけど
これ以上増やしてほしくなかったから救われた。
でも、 多分もう 長くないと思います。
延命処置は しないと兄弟で決めたそうです。
どこまでがそれに値するのかは?解らないけど
いつかは 必ず来るその日まで
どうぞ、少しでも苦しまず、今を少しでも安らかに
それだけを 切に切に 切に願う。
