今日は 先日ゆりっちさんから質問のあったリハビリ拒否について
私が経験したきた範囲でお話したいと思います。
ゆりっちさん ここ見てくれてますか?
お返事のメールが届かないようですので此処に書きますね。
ばぁの場合。ばぁは今までに3回 脳内出血を起こして そのたびに辛いリハビリを繰り返してきました。
1回目 2回目の時は 最初落胆はあったものの 徐々に頑張ってリハビリに通うようになってたと思います。
でも、3回目は やっぱり違いました。
ここでも最初 落胆したものの いつもの療法士先生の顔を見て安心したのか
笑顔でリハビリに励んでいました。
時には 鬼気迫る雰囲気で 一心に神経を集中させていました。
それもこれも また前のように動けるようになりたい。
食事も食べられるようになりたい! と思う気持ちただそれだけ。
その回復は 周りもびっくりするものがあるほどでした。
だけど・・・ 徐々にばぁの顔から笑顔が少なくなって
満面の笑顔。 というものが無くなっていきました。
その頃から リハビリに行くことに消極的になって
病室に呼びに来てくれても休みたい。と言うこともしばしば
そんな時、療法士さん達は あくまでも穏やかに 無理強いするようなことはしませんでした。
そして、病棟から リハビリ棟へ引っ越しして
それからは レクレーションという名のリハビリが毎日行われましたが
ばぁは 最初 本当に嫌な顔で 無表情で こういったんです。
『あんな・・・ばかばかしいこと。。。』って
ばぁにとってそれは、まるで保育園の遊びのように思えたんです。
確かに脳出血で障害が残り、「記憶」と言うことは困難になったけど
今までの記憶は残っているから。
手先が器用で 頭も良くて、2回目の出血のあとでさえ記憶力は抜群でした。
ばぁの頭の中では 自分が先生とまで呼ばれたままだったんですね
だから子供の遊びのような事が馬鹿馬鹿しくて やる気も起きなかったんでしょう
それに、その頃からばぁの食への執着は日に日に強くなっていきました。
食べることしか楽しみを見いだせなくなっていたんです。
大好きな手芸も 全くしようとしませんでした。
ただ、療法士さんとのリハビリだけは、可能性 という希望を捨てずに頑張ってくれていたように思います。
でも、レクには 出たり出なかったり・・・
出てもあまり楽しそうじゃありませんでした。
仕方なく って感じですね。
そんな中で 少しでもやる気を出してほしいと あれやこれやと考えたもんです。
まず、ばぁに対して大事な事は 無理強いをしない。ってこと。
だって本人は しっかり解って居るんです。
リハビリが大事な事も、本当は頑張らなきゃいけない。ってことも。
でも、やる気が起きてこない。
この頃 ばぁは抗うつ剤も処方されて飲んでいました。
病気と障害と ダブルパンチで 可笑しくならない方が奇特なんです。
そんなばぁの側で 私はただ ちまちまと色々な事をしていました。
はい、これが私の考えた方法。
ばぁの好きそうな手芸とか、身の回りの小物を作っていたんです。
ただ作っていただけ。
その私の姿を見てて 初めは無表情で見ていたのが 段々と、興味を示すようになり、私はその一瞬のチャンスを逃すまい としてました。
だって興味の無い物をさせようとしたって無理ですよね
少しずつ 私のしていることを自分もしてみたいなぁ って気にさせるんですね。でも、その気にさせてもそれからが大変です。
ばぁの右半身麻痺と 記憶障害は やる気という物を奪うに値するほどの物だから。
毎日毎日 根比べです。
紙に大きく やり方をかいたり、数をかいたり、(例ビーズ)
そのうち編み物に興味を持ちだしてからは 付きっきりで目数を教えたり
そのうち出来るようになってくると、開けてもくれてもそればかりするようになって、周りが心配するほどでした。
今思えば ばぁは病気の苦しさから逃げるために 闇雲に手を動かしていたのだと思う。
眠れない夜、息苦しくて横にもなっていられなくなる。
そんな時は 何かをすることで気を紛らわせていたのかなぁ
そのうち、私が介護に付く時を 待ってましたとばかりに。
だって解らなくなるから。
リハビリって、心の戦いでもあるんです。
ただ 体が動けるようになるため という簡単な思いだけじゃない。
今まで 自分が出来ていたことが出来なくなる、と言うことを思い知らされる瞬間でもあるから。
だから心が元気でなくてはリハビリは出来ないと思う。
そんな時 力を発揮してくれるのが 興味 なんです。
そしてそこから広がっていき、出来ることが増えて 楽しみが増え 更にリハビリに力が沸いてくる。
少なくともばぁの場合は そうでした。
じぃの場合は また違うのですがね。
じぃのリハビリへの力は ズバリばぁへの思いだったと思います。
自分がしっかりしなきゃ! という責任感。
これが一番強かったと思います。
だから自宅介護になってからも、何かしらじぃの仕事を作りました。
もちろん出来る範囲で。
そうすることで 頼りにされているんだ。と 自分は必要な人間なんだ。と そうすればもう頑張るしかないですよね
だけどじぃ自身介護の必要な体です。
それを上手くコントロールする必要がありました。
さて、みーさんの場合ですが
これまた両親の時とは全くケースが違いました。
高次脳機能障害。 これは本当に大変な障害です。
それに加えて みーさんの場合 好きな趣味という物がありませんでした。
事故にあうまで ただひたすら田畑を愛することだけが生き甲斐。といっても過言じゃないほど、早朝から 日暮れまで 土に触らぬ日が無いほど。
そんなみーさんに さぁ 何かを? と思っても・・・
何もありませんでした。
ただ唯一 病院に居たとき、療法士さんが考えてくださったリハビリが
カイワレ作りだったんです。 この時はまだ良かったんですけどね
施設に入ってからは、益々元気がなくなり レクの時間以外は 何もせず
ただ車椅子に座っているか ベッドに寝ているだけ。
自分から何かをしよう。という気持ちには なってくれませんでした。
今は・・・ 多分今も・・・
レクも 連れて行かれるから仕方なくって感じなんでしょうね
だってみーさんの頭の中も ばぁのあの時と同じ 記憶は昔のままだから。
リハビリ拒否も 何度もありました。
「今日はなぁもしとねぇえ」 と言って 無気力な顔で
最初 周りの事を理解しきれていなかった頃の方が 笑顔が沢山出ていた。
お喋りも沢山 訳解らない内容でも いっぱい話してくれていた。
それが、心 という重しで動けなくなっていったんですね
昔の記憶の中では 自分は元気なままだから。
動けなくなった事が ただ 情けなくて 鬱にさせてしまった。
でも、もし、みーさんの場合も
ばぁの時のように私にパワーがあったら
もしかしたら 動こう!という気持ちを少しは起こさせられていたかも?しれない
あくまでも仮定だけどね
やる気って 周りの環境が凄く左右すると思う。
じぃなんて、ディに昔からの気の合わない人が居た。ってだけで、ディ拒否までに発展したもんね
心 って 凄く大切。
子供は 誉めてのばせ! って言うけど、 大人も同じ。
気分良くなることがあれば 自然と気力は起きる。
じぃなんて あのお遍路さえ克服したくらいだもんね
でも、持続となれば それは凄く難しい。
夢がないと! 希望がないと! 可能性が見えないと。
人は頑張ることが出来なくなる。
どこかに 絶対 落とし穴が出来てしまう。
そんな落とし穴は・・・ 作りたくないから
せめて私は 出来る限り 笑顔で接していたいです