この日、リハビリ病棟の院長から紹介された病院へ診察に出かけた
そこは完全予約で診察に半日かけて診てくださると言う。
早朝、6時に病院で起床、顔を拭き、自宅から持参の朝食を食べさせた。
車で30分ほどかかるから、ゆっくり食後は休んでから
7時45分、病院を出発。
父も心配で一緒に着いてきてくれた。
嫁さんと合わせて4人。天気は良くて、ドライブ日和だけど、行き先は病院。
福井県立の 痴呆性老人医療介護教育センターの病棟部門。
色々な原因を調べ、痴呆からくる諸症状を改善・相談してくれる病院。
そこへ8時半予約で飛び込んだ。
まだ新しい感じで 広々していて気持ちのいい病院だった。棟づたいに ディサ−ビスをする部屋がある
母はこれから何をするのか少し不安そう・・・
二手に分かれ、父は母の付き添いで検査へ・・・
頭のCT・胸と腹部のレントゲンを撮るのだ。
そして私と嫁さんは相談員と話し合いに。
時間にして1時間くらいだろうか?母の生い立ちから今に至るまでの生き様を話した。
そして今、何を一番悩み、問題にしているのか
病気の事は今は横に置いておき、ここは心のケアをお願いするところ。
母の、今の状態は とにかく食へのこだわりが人生の全てで、
その結果、食べられなくなったことが気分の落ち込みや 激しい苛立ち、苦痛になって 鬱のような症状になっていること。
その為、波の大きな時は もう死んでしまいたい!とまで落ち込んでしまう。
それをなんとか軽く、少しでも毎日が楽しく暮らせないかと
それだけを願い此処にやってきた。
病気のことは天に任すしかないけど、せめて今ある人生を少しでも笑顔で過ごして欲しいから!
気晴らしのつもりでドライブに出ても、買い物に行きたいと言うから車椅子ひいて連れて行っても
どこに行っても食への誘惑ばかり・・・
そのたびに、食べられない悔しさ、惨めさ、辛さで所構わず泣きだしてしまう。
「もう、どうなってもいいんや。食いたいもん食って死んでもいいんや!」と
他にもまだまだ楽しいことがあるよ。となだめても、心の中は食への欲で満たされてしまっているからどうしようもない。
以前はこんな性格ではなかった。
脳障害が引き起こしたにすぎない。
脳溢血は時として性格さえ180度変えてしまうことがあると医師が言った。
この先、どのように接していけばいいのか・・・
家族の苦痛も不安も本人には届かないから
時間いっぱい出来る限り話をさせてもらい、二人の所へ戻った。
そこで母の第一声は・・・
「先生 なんて言った?もう何でも食べていいって言ったか?」と
母の頭の中では、 新しい病院での診察・治療=何でも食べられるようになる。 なのだ
答えようが無かった。
真実を言えば落ち込むのは当たり前。目に見るより明らか。
後で今度は病院のお医者さんと話があるからね。と
待ってる間、とろみ茶を飲ませたが、その横で飲む父の飲み物をけなるそうに見て、
それをくれ!とよばる。
ばぁにはこれがあるでしょ?これしか今は駄目だからね と言うと
案の定また泣きだしてしまった。
どうしようもないけど、辛いよね・・・
やがて医師に呼ばれ 診察室へ・・・
正面にCT写真やレントゲン写真が貼られていた。
何回も見て、おなじみの写真だが・・・
多発性肝嚢胞のため、胸が圧迫されて押し上げられ小さくなっている肺。
いくつもの黒い塊が映し出されているお腹。
そして何回も出血や脳梗塞を繰り返されて、白い跡の残る脳。
別にそれらの説明は今更聞くまでもないが・・・
今日、何故此処に来たか?
それを医師は母に問うた。母は?首を横にふりわからない・・・と
質問を変え、じゃぁ今、一番辛いことは?と聞いた。
すると、暫く考え・・・そして泣きだしてしまった。
医師は穏やかに、けして慌てず、ゆっくりと聞いてくれた。
何が辛いのですか?と
母は、「食いたいもん 食いたい・・・」と言ってまた泣きだした。
「ちゃんと食えるのに、回りはすぐ大げさに言って、あれあかん、これあかんって」と
じゃぁなぜ家族がそう言うのか解りますか?と聞くと、わからないと答える母。
今日の母はわけのわからない子供の状態になっている。
意識がはっきりしているときは、自分は脳障害になって、飲み込みも悪くなってしまった と理解出来るときもある。
そんな時は、多少でも食べられるものがあるから良かったぁと言える母だ。
でも、今の母は? 回りはすべて悪者になっている。
楽しみは?の問にも 食べること!と答える。
他に好きなことはないんですか?と聞かれても、したいことは沢山あるけど、どれももう出来ない。させてあたらん。と
確かに脳障害の後遺症は器用だった指先を麻痺させ、立って歩くこともままならず、
好きなお風呂もディサービスに頼るしかない生活。
今、一番何がしたいですか?と聞けば、
「じぃと(夫)二人で一緒に どこか行きたい。」と声を詰まらせる。
ご主人はどんな人?と聞けば、「優しい、一緒に居て一番楽しい」、と
母は 父と一緒に居れば好きな物を食べさせて貰える と思っているようだ。
だから二人でどこかへ出かけて、美味しい物を食べたいのだ。
お嫁さんは? 「嫁さんは良くしてくれて ありがたい。優しい嫁さんや」と
じゃぁ娘さんは? と聞けば・・・「これはきつい・・・あれあかんこれあかんって 悪く考えすぎや!」と
う〜〜〜ん・・・予想道理の答えで でも、ちょっと胸グッサリ!
医師は、カルテや紹介状を見ながら、嚥下障害の事を聞いてきた
母は 重度の障害で、鼻注栄養のレベルであり、100%気道に微量づつ流れていく状態です と話した。
しかも、むせない誤嚥すなわち,不顕性誤嚥である と
これが母を勘違いさせている要因でもある。
本人は むせないから しっかり物を飲み込めている!と思いこんでいるから
だから私達がいくら危ないから と言っても理解できない。
いや・・・理解出来たときもある。
でも、今の状態ではそれがない。
だから回りは全て意地悪な五月蠅い小姑くらいにしか見てくれない
当然鼻からの栄養も考えたが、本人の希望が強いから。危険を承知で嚥下指導のもと、この方法を選んだのだ。
胃ろうは?と医師が聞いた。
胃ろうはお腹の嚢胞があるので無理です と。
医師は う〜〜ん と言いながら質問を変えた。
夜は寝れますか?
母「はい!寝れます」 私は横で首を横に振った。
「夜は約1時間事に目覚めて おしっこをします。寝てるときの方が腎機能が働くからそのせいで尿意がでるのかも?と言われました」と。
母の生活パターンは ここ数十年変わっていない。夜は長くて2時間しか眠れない。
その繰り返しで朝になる。
医師と母のやりとり以外は 始終小声で私と嫁さんが家での様子などを話した。
両親は耳が遠いため聞こえない。
それを利用したわけではないが、聞こえない方が良いこともある。
透析の事も話した。
すでにクレアチニンが5まで来ていて透析レベルだが・・・
母の血管はあまりに細くて固くて点滴の針さえ難しい。
その母にシャントを施しても果たして上手く血管がつながるか?
つながったとしても、透析の繰り返しに血管が持ちこたえるか?
担当医でさえ 苦い顔をして難しいかもしれないね。と言った。
だから今後は腎臓食を出来る限り徹底していくことが少しでも腎臓を持ちこたえる手段なのだと。
それすなわち?今まで以上に食の制限が増えると言うこと。
大好きな 山芋・大根下ろし・バナナなどはカリウムが多いのでもってのほか・・・
豆腐も唯一そのまま食べられる物だったのに、豆製品は蛋白制限で1日1/2しか食べられない。
もちろん魚も卵も今までのようには食べられない。
今でさえこんな状態で?この先どう対応していけばいいのか?
嫁さんの不安もピークになる。
本当に落ち込んだら・・・自分で自分を殺めるかもしれない。その恐怖。
医師は 難しい顔をして、これは珍しいパターンなので何とも言えませんが・・・
と言いながら、まず少し食欲に対する意識を薄くする薬を少量づつ飲んでみましょう と
副作用は?
人により様々だけど、副作用もある。
もし、変な症状がでたら すぐ飲むのを辞めるように!と
手足の痙攣 胃腸障害 など・・・
眠気もあるらしい。 本人には 少しでも眠れるようになると良いですね。と話した。
その結果、母は 薬=眠れるようになる=今の体の痒みもなくなり楽になる と解釈してしまったようだ。
はっきり 抗うつ剤とは言えないよね。
どうなるかはわからないけど、藁にもすがる気持ち とはこういう物か?
出された薬は ルボックス錠25 それを始め3日間は1/4錠 その後4日間1/2錠
そして経過を見て1週間後にまた来院することになった。
つまり当然今の入院も伸びることに・・・ウンウンとうなづいていたが?
はたしてどこまで理解してくれたかなぁ〜
取りあえず私達は その薬をもってまた病院から病院へと帰っていった。
午後からは点滴とリハビリもあるね。
疲れたかな?
でも、私達は母を病院のナースに任せ、後ろ髪ひかれながらも帰宅した。
今夜から薬を飲む。どんな変化が出てくるのか不安ではあるけど?
どうか少しでも心穏やかにすごせるように・・・
食への感心が少しでも薄まれば、他に目がいくようになって、楽しいことが見つかるかもしれない。
それを切に願う私だった。