ばぁの病歴は
こちらのカテゴリでも書いていますが
私ら子供から手も離れ 自分の人生これから!って頃に病気発覚して
追い打ちかけるように脳溢血 障害 後遺症
どんなに悔しかったろうね
そんなばぁの元気だった頃の作品の数々は今も残っています
我が家にも 狭いながら置ける限り持ち込んであちこちに飾ってます。
ばぁの作品は 様々な日本人形と 水引細工。
最初は和紙の人形から始まり、本格的な人形作りへと上がっていきました。
木目込みや 材料だけでもかなりの高額になる大きな日本人形まで
でも、本当に楽しそうで 毎日イキイキしてたんですよ
そのうち水引にも興味を持ちだして ばぁの探求心と意欲はとどまることをしなかったわ。
私と姉の結納の時には ばぁの丹誠込めて作られた水引の数々で彩られました。
その時の作品は お茶をしている友達へ譲りましたが
こんな感じの
こちら もっと大きくて立派な作品でした。
そしてようやく師範の資格も得て 名前も貰って 看板も作ったのに
それらが全て 出来なくなってしまった。
そう言えば 人形の前は着付けも習っていたのよね
あと少しで免許が貰える って時に 玄関先で事故にあった。
背骨ががたがたになって 力の必要な着付けは出来なくなった。
でもそこで挫けずに人形の道に入っていったのにさぁ
神仏はホントに居るの? こんなに信仰しているのに。って思ったなぁ
そのばぁの ストレス発散方法に ゴミ燃やしがあったわ
本当は危ないからさせたくなかったんだけどね
家から 交通量の多い道を挟んだ向こう側の道ばたで
家中のゴミを集めては燃やしていた。
玄関先に座り込んで じ〜っとゴミの炎を見守りながら
火が消えるまで番をしていたよ
そんなばぁが ついには自分の作品までも燃やそうと始めたときには焦ったわ
Eちゃんも
「お姉さん!お母さんが今までの人形とか処分し始めたわぁ!」と
焦って電話してきたのを覚えている。
自分の物は 自分で綺麗に片づけて処分してしまおう。って
どうせ誰もいらんやろう って
半分 やけになってたと思う。 そりゃ歯がゆいよね
何かで鬱憤はらさないと心が壊れそうだったんだと思う
私は すぐに駆けつけてそれを止めたさ
だって、どんなに小さい物一つでも、ばぁが心を込めて作った作品だもん
ばぁだって心の中では悲しいと思う。
誰かに貰ってもらえばいいのに?って話すと
『物の価値が解る人にしかやりとうない!あげても家の隅にやられるなら自分で燃やして空にやった方がいい!』って
痛いくらいその気持ちが解った。
そうだよね。
何度かの脳内出血でも頑張ってリハビリして作ってきた作品もある。
可愛いよね。 大切だよね。
でも、だからこそそれを私は無くしたくなかった
「じゃぁ もし、価値が解る人で買いたいって人が居たら いくらで売る?」
って聞いてみた。
中でも立派な人形とか色あせてない水引の数々全て合わせて。
ばぁは暫く考えて 5万か・・・7万までかなぁ って
それって材料費だけの値段やん!って思ったけど
ばぁにしたら 大事にしてくれさえすれば貰ってくれるだけで嬉しいのよね
でも、家のたしにもしたいし 孫にもお小遣いあげたい。
けして安い金額でもないけど、多すぎもしない金額だ
「よし! 買った!! 今日からそれ 私のだよ!!」
私はばぁに言った。
「待ってて、今お金持ってくるし。だから燃やしたらあかんよ!私のやで」
と言って、びっくり眼のばぁに念押してお金をつかんできたさ
(^m^)あの時のばぁの顔。 ホント目がまん丸だった
この娘は何を言い出すんだ?って思ったろうねぇ
もちろん当時の私には その金額はかなり高額で・・・半年分の小遣いさ
だけどねぇ〜 それくらい鬼気迫ってた感じだったのよぉ(笑)
確かに 何かを思いきり捨て去る時
それが愛着あればあるほど かなりの勇気と思い切りが必要で
でも、それをしたあとはある種の ヤッター感が出るのよね
スッキリする っていうか、
だけど、同時に寂しさもやってくる。
私はなんとか残しておきたかったし
でも、問題は私の家はウサギ小屋より狭いってこと。
ばぁに、「これは私のだけど、取りあえず今は此処で預かっておいてね!」
って、念押ししてお願いしたさ。
今も その品々は実家のガラスケースの中に飾ってあるよ。
何度か展示会に出したけどね でかすぎて運ぶのも大変なのよ〜
確かに色は年月とともにあせてきてしまうけど
それら全て ばぁの生きてきた証。
頑張って頑張って 乗り越えてきた道の証だから
一つ 悔やまれることは
よくばぁが言っていた。
『ばぁが元気なうちに誰でもいいで ばぁの技術を習いたいもんえんのかぁ』
『高い金つこてぇ 墓には持っていけんのに 捨てるだけやな』って
ばぁは教えたかったの。
自分が習ってきた事全て。 自分はもう出来なくなっても
それらを引き継いでくれる人が欲しかったのね
そうすることで 自分が今までしてきたことが無駄では無かった。って思いたかったのだと思う。
でも その時私は まだまだばぁは大丈夫。って思っていた
自分は子育てや仕事や家事で とても余裕も無かったし
だけど、数回 娘らを習いに行かせたときは そりゃ喜んでたわ
その時作った物の一つに 貝雛がある。

毎年我が家に飾ってるよ
長女がばぁと一緒に作ったお雛様。
私も 習えば良かったな…
他にも色々 色々
実家に残った物は 手つかずの材料と私が買い取った作品だけ。
ばぁの技術は 受け継がれなかった。
ごめんね。
あの作品も写真に撮っておかなきゃねぇ
沢山の材料も 今度はじぃがなにやら処分始めそうだし(汗)
生きた使い道をしてくれる人に分けてあげたい。
春になったら・・・ 実家の大片づけ作戦!だな(^^)
今日も応援ありがとう!

貴方のワンポチに感謝です