(2005年早春記)
母が居なくなり もう3ヶ月になろうとしてる
私の生活の中では、なんら変わりなく、ただ自由な時間が増えただけで
毎日を平凡に過ごしている。
でも、
ひとたび思い出の中に返れば・・・それはふいの涙に変わってしまう
この 私の家の中にはそれを思い返す材料があまりないから
だから忘れていられる時間ができる。
忘れすぎて、居なくなったこと自体忘れそうになることも・・・
でも・・・
父親は・・・・
毎日の中で・・・
朝、目覚めたその瞬間から、この現実に思いやられるんだね
いつも横に居たその人が居ない。
いつも一緒にご飯を食べていたその人が居ない。
それがどんなに辛く悲しいことか・・・
否応なしにその現実を叩きつけられる
毎日 毎日 写真の前で経を唱える父の背中はすごく小さい
そんな父から、先月、一冊のノートを受け取った
母の日記帳だった。
数年に及ぶ物だが内容はすごく飛び飛びで、数枚しかないけど
でも その内容は父にはかなりショックな物だった
「これ 読んでみぃ ほんで感想をじぃに教えてくれぇ」と
その日私は眠れなかった
いったいこれを どう理解し どのように父に話せばいいのか?
母の日記
いや、これは母の心の叫び。まさに苦しみだけを綴った物だった
きっと我慢強い母は、誰にも愚痴をこぼせずに、
堪えきれず このノートに吐き出していたんだなぁ
だから楽しいことなど 一行もなかった
ただ・・・悲しい・・・辛い・・・悔しい・・・と
そんな内容ばかりで
それを偶然父が
母の居なくなってしまった部屋で見つけ
そして読んでしまった。
「しらなんだ〜こんな事あったんか。こんな思いをしてたんかぁ」と
そして私に 救いを求めるようにノートを渡してくれた
聞きたくても、もう本人は居ないから
父の中で どう理解し受け止めていけばいいのか
きっとあれだけを読めば 残るのは後悔だけだろう
でも、違うよ!
あれは母の いわば心のゴミ捨て場だったんじゃないかな?
どこにも吐き出せない思いをノートにぶつけ
そして笑顔を取り戻していった。
私だってそうだから・・・溜め込むのは苦しい
だからあのノートには辛い事しか書いてないんだよ
楽しいことも沢山あったのだから・・・
だってほら、沢山笑顔の写真も残ってるよ?
でも、今の父には その私の言葉がどこまで通じるだろうか
どうやって話せばいいのだろう
先日も父から催促の話が出たらしい。
早くみんなの考えを聞かせて欲しい と。
今 誰があのノートを持っているんやぁ〜?と
私が一番で預かって、今も私がもってるよ。ごめんね
だって、まだみんなの心も落ち着いてなかったからね
私の所で止まらせておいたんだよ
私でさえ・・・何日も考えがまとまらなくて
冷静になるまでに時間がかかった。
そんな状態で父にみんなが話しかけたら益々落ち込んでしまうよ
ちゃんと理解して、色々思い出して・・・
自信をもって話せるように
そうすれば 母のあの言葉もきっと・・・
あの疑問の言葉に答えが見つかると思うよ!
あの言葉・・・
「私の 人生はなんだったのだろう・・・」の言葉に