病室に戻り、母の髪を撫でながら、私は謝るしかできなかった
「ごめんね、辛いね・・・ホントはもっと楽に居させてあげたかったのにね」
母の目は カッと開いて瞬きをしない
「目が乾いちゃうよ 痛いよ 瞬きしなきゃぁ」
そう言いながら瞼を時々ふさいであげるが、また開きっぱなしになる

何を思っているのだろう・・・
その目には何が見えるのだろう
間近に顔を寄せて、手を握り、じっと見ているのに母との目線が合わない
最後の最後まで 母の気持ちを聞くことはできなかった
最後に母から聞いた言葉は「うそつきやぁ・・・」だった
そうだね、私は嘘つきだね。元気になれるからって
嫌な点滴も家に帰るためだからねって言いながら
お風呂も入れてあげられなかったね ごめんね
私はただ、そばに付いていることしかできない
時折苦しそうに息が荒くなる
でも、もう体を動かすだけの力はない
足の両側にも大きな水ぶくれが出来ている
耳は横になってる下側が茶色くなってくっついてしまっている
当然肩や腰や腕も・・・床ずれはできているよね
でも、今の状態では母を反対側に向き変える事もできない
何故なら、顔を上に向ければその一瞬で気道に血液が流れ込む可能性が高いから
そうなれば、即呼吸困難になる
暫くして、副主任が違う酸素マスクを持ってきた
今までのより太い。
これをすればミストがよく出るし、酸素の勢いも大きいから・・・と
少しでも息が楽になればいいね・・・と
点滴はモルヒネだけを機械で投入されている
量は変わらずだが、もう腎停止してるし、肝臓も働いてないだろう
そんな状態で、普通ならもう人間の限界を超えているのに
それでも母は呼吸を止めない
必死にお腹で息をしている
ミストにしてからは少し酸素量も増えたようだ
でも、顔は徐々に浮腫 マスクのゴムが食い込んでいる
私はそこにティシュを挟み、痛くないようにするね と顔を撫でた
突然モニターの危険を知らせるアラームがなる
心拍を伝える数字がグンと下がる!
一瞬 私の胸が鋼のようにドキン!と波打った
そしてまた数字は元に戻る。
まだ私の胸はドキドキとしている こんな事で自分大丈夫なのか?!
と思った。
覚悟していると思っているのに、いざ直面すると自分どうなるだろう
父はさすがに疲れて、横にあるソファで寝ている
父まで倒れたら困るよね。
娘らが昼前、おにぎりを沢山作って持ってきてくれた
少し塩加減が薄いね、でも、シャケが入っている。
色んな形があるね、でも、一生懸命作ってくれた・・・ありがとう!
それを一つつまみ、気持ちを落ち着け、また母の横に座り込む
ベッドの横に座布団をそのまま置いて座り込んで、ずっとそばに居た
姉に代わろうか?此処に座る?と聞いたが首を横に振る
此処に来て手を握ってあげればいいのに と思いつつ・・・
昼過ぎ、ヘルパーさんがおむつ交換に来てくれた
見れば沢山出ていた。
こんな状態で、きっとヘルパーさんも恐いのではないかなぁと思いつつ
でも、その人は 優しく話しかけながら 綺麗にしてあげるねぇと
嬉しかった・・・いつもと変わらぬその姿が・・・
しかし、この時、すでに母の肛門は開きっぱなしだったそうだ
これの意味することは・・・
その後 アラームは益々増えだした
そして午後からは、その音は止まる方が少なくなって・・・
止まると逆にドキッとした。変なの
鳴ってる方が当たり前みたいな感覚になってくるね 逆なのに
時折口から血が流れてくる。
それをティシュで吸い取りながら、軽く口からも吸引してもらった
でも、奥まで入れることは出来ない。
母の血管は限界まできていて いつ破れてもおかしくない状態で
口の中には血だまりが出来る
私はと言うと、そんな母の姿を見ながら
もういいから・・・もう十分頑張ったから・・・と
早く楽にさせてあげたい気持ちで一杯だった
でも、その最後は私達が思っていた状態とはまるで違う
もっと本当は 意識のない苦痛のない 夢の中でいかせてあげたかったのに
だけど実際、もう意識レベルは無いのかもしれないね
無意識に呼吸を続けているだけなのかもしれないけど
でも、こんな、気道がふさがれて悶えるような苦しい様はさせたくなかった
辛いよね・・・でも、頑張ってるね
最後までちゃんと見てるよ!その生き様をここで見てるよ!
夕方・・・嫁さんが一旦家に帰った。
昨夜から一緒に居る5歳の娘を連れて帰るために・・・
アラームは依然鳴り響いている。でも、昼からその状態は変わらない
急変したらすぐ電話してね と言い残し急いで帰っていった
父も起きてきた。でももう覚悟を決めてじっと母を見ているだけ
すでに日は赤くそまり また夜がやってきた
丸4日・・・腎停止して・・・
それでも母は生きている。これでもか とばかりにギリギリの所で戦っている
私はそんな母の横に座り ただ ただ 延々と頭を撫でていた
すると、突然!母は咽せるように血を吹き出した!
ドロドロの塊が口の中から吹き出す
「あぁぁっ!ナースさん呼んで!!吸引しないと!」
私は母の口の中にティシュを入れて吸おうとするが、歯を閉じようとする
すぐさま駆けつけたナースが吸引ホースを入れようとするが
母は歯を食いしばろうとする
「割り箸!!」私は叫んだ
舌が出てきたのだ。このままでは自分の歯で舌を噛んでしまう
管も入らない。
指で口を開かせ 割り箸を縦に噛ませ、吸引する
しかし、舌はその間から出てこようとする
血で手を染めながら、ナースと二人気道の確保をしようとした
だが・・・・・
次の瞬間・・・母の瞼が・・・
あれほど閉じなかった瞼がふさがったのだ
え!? お母さん??
その顔は一瞬にして、本当に不思議と・・・すごく安らかな顔になった
鳴りやまぬアラーム 呼吸停止
でも、まだモニターでは心臓は僅かに動いていた。
弟が「ばぁちゃん 息止まったのに、まだ心臓動いてるんかぁ強いなぁ!頑張ったなぁ!」
と言って号泣した
それは軽い電気信号なのだが・・・
父も「よう 頑張った!!」と言って泣き崩れるように手を合わせた
ふと見ると、そこには嫁さんがいた
ナースと同時に帰ってきてたのだ
母の最後に間に合わすかのように・・・
いやそれとも、母が彼女の戻ってくるのを待っていたのか?
担当のドクターが連絡を聞いて走ってきた。休みの日なのに待機していてくれたんだね
神妙な顔で・・・一礼して母を診た
モニターを切り、深く頭を下げて、時刻をつげた
12月26日 午後7時57分 母はやっと永遠の眠りについた
私は母の口元を拭きながら、頑張ったねぇ と・・・
やっと穏やかな顔になれたね と
唇を噛みしめて泣くのを堪えていた
お母ちゃん・・・家に帰ろうね