8月
母のSTさんによるリハビリも始まった
口のマッサージから始まり 飲み込みの練習
一番最初に口にしたのはミカンのゼリーだった
母は ほんと〜〜〜に 美味しそうに 幸せ一杯な笑顔で
「ああぁぁぁ おいちいぃぃ〜〜〜〜」 と言った
その笑顔は 本当に満面の笑顔で 涙までこぼしながら
そして、母にとって 一番の楽しみな時間になった
STの先生も かつてからお世話になっている先生だし
私も安心してお任せすることが出来た
そして、少しずつ食べられる物も お粥、味噌汁(とろみつき)、ミキサー食と増えていった
もちろんSTさんの指導つきで、

食後の20分座り姿勢はしなければいけないが、食べられる喜びは大きいよね
良かったねぇ〜 一つずつ 少しずつ前進だね
8月15日
この日は市の夏祭りで花火大会だった
私はこの日のために、母と頑張ってきたことがある
それは車椅子に乗り移ること
まだ一人では当然動くことはできないから
何人かで車椅子に移動させる
それを私一人でも出来るよう そして少しでも座っていられるよう
何故なら・・・ある計画を考えていたから
それはこの日の花火大会!
なんとその花火はこの病院の真ん前で行われる
それを見ないでどうする?って感じで?
私は母を勇気づけて励ましてこの日を迎えたよ
夜になって、外が暗くなり、始まりの合図の花火が上がった
さぁ出かけるよ〜!頑張ろうね♪
母を抱えて車椅子に移動させる。しっかりと固定して
いざ出発!!
屋上へあがると そこにはすでに沢山の患者さんが集まっていた。みんな考えることは同じだねぇ
オヤツにゼリーを持ってきて母と一緒に食べた
寒くない?大丈夫?辛くない?
再々母の顔を伺いながら しばし夜の大輪の花を楽しんだよ
良かったねぇ 来れて良かったねぇ
次はこの病院から外に出られるように頑張ろうね
2003年8月17日
食べ物は相変わらず・・・
朝、ヨーグルトが出るんだけど美味しい♪って喜んでた
でも、始めは美味しいって食べてた流動食も段々今度は固形が欲しくなってきて最初みたいに嬉しそうじゃ無くなってきた感じ。
仕方ないよね。そうでなきゃ頑張る気持ちもうまれないし進歩もない。
次のステップに上がりたいと思う欲が大事なんだよね
でも、やっと食べれた時の幸せも忘れないでよ!
もし今焦って誤飲したら大変だしね。
早く色々食べさせてあげたいけどグッと我慢です
そうそ、嬉しい知らせ♪
鼻のチューブが とうとうおかげさまで取れたんだよ〜
食べる量も増えて・・・
リハビリもこれからもっとガンバって!ファイトなのですぅ♪
2003/8/25(月)
ばぁちゃんが昨日から高熱がでる。持病のお腹からだろうか それともただの疲れ?
神経使う人だから前の病室では胃が悪くなり今度は熱?
精神的な物なら落ち着けば大丈夫だろうけど
万が一また腹が炎症起こしたら、それが心配でたまらない。
どうか何ともありませんように!
2003/8/26(火)
また点滴の生活になってしまった。
夜になると高熱になる。レントゲン CT 血液検査。
でも原因はわからない。血液に炎症反応があるだけでどこからきてるのか?
一番心配なのは お腹だ。何ともなければいいが、ここに炎症があると命にかかわる。
深夜 母はうなされてよばりまくる。
だだっ子のように暴れて意味不明な言動で困らせる
どうしようもない。点滴も検温も何もかもが気にいらない。
なんで〜!?もう熱ない〜!とって〜と泣きわめく。
なだめても すかしても 私の言葉は届いてくれない
やるせない辛さ。泣かないで!
今夜も長くて朝は遠いね・・・
2003/8/28(木)
どうしてだろう。本当はすごく眠くて疲れててだるいはずなのに母は熟睡というものができない。
お腹が辛い時はわかるけど そうじゃないときでも 極端に眠りが浅い。
特に夜、5分程しか横にならず すぐ起きようとあがく。
ベッドサイドに座ってウトウトしながら今にもこけそうになる。
それでも横になるとまたすぐ目が覚めて 起こしてとばかりにあがく わめく 泣く。
昼間は その寝不足のせいか 目はうつろになり 意識はわけわからない状態で 意味不明な言動やあがきで私を困らせる。時には怒りちらし私にあたりまくる。だってロレツのまわらぬ言葉で突然叫ばれてもわからないよ。
そうこうしてると「おまえ意地悪や!嫌いや!」とか言われて そのたび悲しくなって落ち込んでしまう。
どうしたらいいの?母は重なるストレスで心が病んでしまってるのだろうか。
夢でうなされ 寝ることもできず 別な病気になるよ。
そして私も笑顔で軽くやり過ごせないほど弱ってしまう。
わかっているけど泣けてきそうになる。
泣かないさ!疲れてるんだ。心を軽く穏やかに、
いつも笑顔でいなきゃね!