音楽のある新しい生活様式  音楽ビジネスって何だ!?

今なお、活動再開できないミュージシャンの一人ですが、頭の中で「専門家」という言葉がグルグル回り続けています。

一時期のどうなるか分からない状況の時は、世界の学者や哲学者といった専門家の寄稿文をネットで読んだりして、客観的な視点を持つように心がけていたように思います。

違和感を感じ始めたのは、日本で感染症の防止にあたって専門家がまとめた「新しい生活様式」が提言された時でした(今は市民会館等に配布された資料を含め、改善されています)。

それを見て、音楽が娯楽としてパチンコや接客を伴う店と同じ括りにされているように思えてひどく落胆しました。音楽の世界で生きてきた者として辛かったです。

でも、すぐ冷静になって「専門家って何だろう」と考え始めました。専門家とは特定の分野に精通し、専門的な知識や技術を持つ人だと思います。

太鼓を作る職人さんならば、太鼓に使う素材を見極め、道具を整え、製造していくすべての過程を通じて世界に通じる「ひとつの価値観」を形成している人だと思います。

感染症の専門家の方々も一生懸命に考えられたと思いますが、ミュージシャンという立場から再認識できたことがありました。

それは、専門家が一般社会に向けて何かを発表する際、その専門性ゆえに社会との間にはズレが生じやすいということです。音楽やダンスといった表現活動において「なんだこりゃ!?」と思われる作品が多々あるように。

音楽やダンスといった表現活動においては、感情が溢れ、イメージを描き、音を作って必死にリハーサルを重ねてきたのだから、絶対に素晴らしい世界が表現できると思うわけです。また、音楽の世界では社会をつなぐパイプ役として、プロデューサーという存在がいます。

しかし、先に提言された「新しい生活様式」においては、プロデューサー的な役割を担う人がいなかったのか、その方の想像力が足りなかったかも知れません。どなた!?(笑)

写真:自粛中に佐渡が姉妹から送られてきた山菜の下ごしらえ初挑戦!

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ところで、日本も文化に対する支援策が発表され始めましたが、SNSでは「時期尚早」とか「自称アーティストに支援する必要ない」とか、とても辛辣な書き込みが多く見受けられます。一部の人とは言え、私はここでも一般社会とのズレというか溝を感じました。

悶々とする日々が続く中、提言された生活様式を具体的に想像しているうちに、ある記憶がよみがえりました。

それは、ドイツが東西に分かれていた1980年代に東ドイツ側のベルリンで行われた公演。

町を歩いても色はなく、強いて言えばグレー。スーパーに行っても棚には何もなく、パンを買うにも配給のように長い列に並ばなければなりませんでした。当時、経済イケイケの日本から来た私には鮮烈な記憶として残っています。

書き込みをするスマホやパソコン。着ている服。座っている椅子。飲み物のパッケージ。目に入ってくるもののデザインがじわじわとグレーになって、なんの感情も湧かない音が流れ、生気が失われいく日々を想像してしまいました。

音楽やアートは不要不急とケチョンケチョンに言われましたが、今までのように広告代理店が過剰な宣伝費を掛けて注目を集めているだけの、つまりエンタメ化したものにしか反応しない社会ならば、仰々しい演出が色褪せていくのも早いかなと思ったりしました。

視点を変えろ!

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私がこれから何ができるのか分かりませんが、まずは音作りの視点を変えてみてはどうかとチャレンジしています。今まではライブで演奏することを前提に作ってきましたが、逆にライブでは絶対無理!という曲ってどんなだろうとか。

具体的にアイデアが出始めているのですが、もしかしたら「太鼓はやっぱり生演奏」という甘えの構造から脱却できるかもしれない!

そして、前にも書きましたが、配信・レコード・CDそれぞれに相応しい曲を作り、それぞれ異なる再生方法によって「音楽のある新しい生活様式」を提案できたらと思います。

全世界が同じ問題に直面して、これからどうあるべきか(特にミュージシャンは)考える時間が与えられていると思っています。

私自身、もの凄くハードルを上げていますが、元に戻るのではなく、自分と向き合い、良い音を届け、多様な個々と出会い、マジで豊かな音に包まれて生きていきたいと思っています。

うだうだ思いを書いてないで、曲を書けっ・・・てか。

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11月初めに行われたオムニバス・ライブツアーを含め、この1か月に私が直面した出来事。

いずれも今後の私にとって大きな意味をもち、今も整理がつかない中、この1か月がオムニバスだったのかと思うほどです。

まず、ツアー前日に某渋谷の放送局で番組収録がありました。急遽、メンバー変更もありましたが、久しぶりのタップ・アンサンブルとのセッションはやはり楽しい!

皇太子と雅子さまがご臨席予定でしたが、喪に服されていたため、私たちのパフォーマンスを見ていただくことはできませんでしたが、ご臨席されていたらどれだけテンションが上がっていたことか。

テレビらしい制約の中、高いテンションを保ってくれたメンバーに感謝!そして、浦上雄次君や洞至君らと国内外で数々の場を踏んできた時の流れを感じました。

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そして、京都(ホール)、四日市(ライブハウス)、伊勢太鼓祭(屋外)という条件が全く異なるツアーへ!

毎回、出演者が変わっても対応できたのは、今年取り組んできた「Silently She Dances−静かなるダンス」の創作過程が糧になっているからかなと。

恒例の音響・木村氏のショット(笑)

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いよっ!レナード!

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通りすがりの鼓童も参加した「彩(いろどり)」など、伊勢は大盛り上がりとなりました。

けれど、興行的には厳しい結果となった京都と四日市。パフォーマンスが良かっただけに本当に残念。

そもそも、私には「(説明しなくても)良い音は誰もが分かち合えるもの」という認識があり、ビジネス感覚に欠けているぞ!と良くお叱りを受けたものでした。

自虐ネタになりますが、それは、衛藤公雄というアーティストの遺伝子を引き継いでいるからと言えます。

と言うことで、1950年代にアメリカで活躍した父の秘蔵音源が発売されました。

それも、あのアメリカ大統領選の日に。

生まれた時からもれなく付いてきたアメリカン・パスポート。その鷲のマークの小冊子から父親が辿ってきた音楽人生を妄想し、形成された私の音楽観。

告白しますが、2000年にアメリカのダンスカンパニー、ピロボラス(PILOBOLUS)とニューヨークのジョイスシアターで3週間公演するまではアメリカにロマンを持っていたかなぁ。

そして、今のアメリカ。

一日中、頭がグワングワンしておりました。

書籍は12月5日。自分の人生と重ね合わせることはできませんが、どうしても重ね合わせてしまいます。

衛藤公雄「奇蹟の爪音」

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「音楽の殿堂カーネギーホールでのリサイタル、コンサートホールの最高峰リンカーンセンターで日本人初のリサイタル、全米40州を越える演奏ツアー、著名レーベルからのLPアルバム発売、ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団との共演、ビートルズに先駆けての武道館初のコンサート開催・・・こんな空前絶後の音楽活動を成し遂げながら、人々の記憶から忘れ去られてしまった衛藤公雄・・・。」

私もコメントを添えさせていただきました。

「秘蔵音源を聴くというよりも、その時代の空気に入り込むような感覚でした。昔のジャズのような一発録りの臨場感と気迫。そして、筝とともに人生をドライブさせていた父の音楽人生を感じることができました。私も50か国以上で演奏してきましたが、音楽に自由を求め、人生をドライブさせていくこと。音楽家として最もクリエイティブな生き方を再認識したアルバムと言えます。」

関係者の皆様の尽力には心から敬意を表します。しかし、息子としては死んでから評価されても寂しいものです。

確かに死んだから蘇った音源ですが、生きているその時を表現し、その時に受け入れられた方が幸せに決まっています(例え、受け入れられなくても納得することもあります)。

私に関して言えば、今年は企画を搾取されたり、私の楽曲のひどいコピーを目の当たりにしたり、ちょっとあり得ないことが続きました。

搾取されてもアイデアはいくらでも出てくるので、私自身は何かを失われたという感覚よりも「世の中の切羽詰まった感」に胸を痛めました。

自分が表現していること。

その価値をいかに高めて伝えていけばよいのか。

経験が足かせにならないように各方面の方々と意見を交わしながら、前に進んでいこうと思っています。

Stay positive.

音楽ビジネスってなんだ-4  音楽ビジネスって何だ!?

ある舞台で演出家からパフォーマンスにとても厳しい注文を付けられた女性が、見ていた私の耳元でささやいた。

「私たち、感情商売だからさ。」

まだ、ガキだった私はその言葉から喜怒哀楽だけでなく、愛や祈りをこめて身を削る表現者の凄味を感じたものだ。

観ている人がただ単に楽しめて、期待を裏切ることもないパフォーマンスの安定供給に満足していたとしたら、ビジネスとして成立していたとしても、それ以上の価値は後にも先にも生まれてこないだろう。

また、音楽を必要としない生活は存在すると思うけれど、新しい音や表現を求める力は人が前に進むためには必要なものだと思っている。

だから、CD売上が激減することで職を失う人がいたとしても、音楽と人の関係が希薄になるはずがない。

そもそも、音が記録されるようになったのはつい最近のこと。それまでは生で演奏され、演奏される場に人は足を運んだ。

そこには、感情の交歓があったと思う。

「自己表現の音楽は趣味。エンタメはビジネス」という見解を覆す明快な理論構築ができないままだけれど(笑)、表現する側にしろ聴く側にしろ、音楽と人の新しい関係を想像する時間を与えられたと思いたい。

音楽やエンタメに限らず、素晴らしい表現には普遍的なチカラがあると思うし、私自身は表現の場=ライブによりフォーカスを絞っていくってとこかな。

音楽ビジネスってなんだ-3  音楽ビジネスって何だ!?

人と音楽の関係は需要と供給ではなかったと言いつつ、私自身はそれを体験してきている。

私が太鼓を叩き始めたのは'80年代になってから。

海外ではそれこそフジヤマ・ゲイシャ的日本というお客さんのニーズと太鼓演奏が合致したことで、太鼓ブームは一気に広がってTAIKOとなった。

そういう意味では、このブログの発端となったガキの言うビジネスが成立していたのかも。

ちょっと高飛車に言ってしまったが、当時グループに所属していた頃、求められる「日本」を意識して叩いていたことは事実だし、それに加えて、個人(今)の感覚を舞台に載せようと奮闘していたのも事実(体験談・笑)

アーティストの表現としての演奏よりも、いかに受けて、たくさん集客できるか。

仮にこれをビジネスと定義した場合、そういった演奏を好む好まない関係なしに繰り返されていく中、アーティストの代償は大きいのでは!?

実際、当時27〜8歳の私は大いに悩んだものだ。

次回は、よりリアルなお話。いよいよ、やばい(笑)

音楽ビジネスってなんだ-2  音楽ビジネスって何だ!?

武道館が青春だった昭和生まれにとって、音楽は聴くというより、浴びに行くモノだった。

それもデカイ音(笑)

時代がアナログからデジタルに移行することによって、音楽だけでなく、食生活においても手っ取り早く達成感を得られるような仕組みが出来上がっていく。

ひと口目でガツン!と味覚を捉えないといけない外食チェーン店やコンビニ弁当のように、音楽もガツン!と分かりやすく〜みたいな。

初めての音がデジタルである子たちにとって、音楽に感情を委ねる時間すら効率化が進み、仕舞いには実体験がないまま、YouTubeなどで「あ、それ聞いたことあるよ」で消化されていく習慣がついてしまったのではないかと。

アーティストはそこんところに凄く抵抗がある。

とは言え、私も含め発信するアーティスト側の足腰の弱さも顕著で(痛っ)、それについては自分の体験をさらけ出しつつ、書いてみたいと思う(つづく)

音楽ビジネスってなんだ!?  音楽ビジネスって何だ!?

「音楽ってオタクっぽい」って訳わからんこと言っているガキがいた

ガキと言っても、20代の男子。

彼の見解をすごく脚色すると「自己表現の音楽は趣味。エンタメはビジネス」と言いたげだった

なんでそんなおかしな捉え方になるんだろうと思った。

確かに需要と供給が成り立ってこそビジネス。

ここ50年で権利が発生する仕組みができたことで、音楽がビジネスとして確立された。

レコードに始まって、CD、ダウンロードと続いた今、音楽は場を失い、データ化している。

しかも、ネットの普及や不正もあって、権利ビジネスの側面は崩壊寸前。

ゲームやアプリには惜しみなくお金を使う彼らにとって、音楽はお金を落とすものではないらしい

だとしたら悲しすぎる。けれど、そもそも音楽と人の関係は、需要と供給ではなかった。

もうちょい、考えてみることにする(つづく)




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