戦い続けた8月💦💦💦  22世紀に残る音

今年の夏の東京は例年のような厳しさはなく、比較的過ごしやすかったのですが、海外からの過去に例のないオファーに思い切り夏を奪われた感じです。

場所はカザフスタン。2011年にツアーしていますが、今回はひと言でいえば、アジアの歌謡ショー。会場も仕掛けも豪華でしたが、そこに関わる人々が全く状況を把握しておらず、情報も錯綜し、誰も仕切れていない現場でした。ん〜、私が海外で仕事した中でもなかなかの現場。

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そもそも、本番3週間前に取引がない海外のエージェントからのオファーなんて怪しさ満点。オファーはカザフスタンからではなくもっと際どいところからでしたが、やり取りしたメールが3週間で120通っすよ(笑)

では、なぜオファーを受けたのか。
実は、9月のレオクラシックスや今後のダンスとの創作に向けて、自分を無理くりな状況に追い込んでみたかったのかもしれません。先のモモクロとの共演も想像だけでは追いつかないエナジーと集中力が生まれてモーレツ!創作意欲を掻き立てる何か起爆剤的なもの。追い込まれたかったとも言えます。例えば、

南の島、行きて〜♪自由になりた〜い♪
そんな思いを表現したい時、実際に南の島でホヨヨ〜〜ン♪と過ごしていたら音楽なんて作れないし(笑)

でも、さすがに今回は無理くり過ぎて、レナード衛藤も一気に追い込まれました。演奏時間の大幅な縮小を余儀なくさせられたり、エージェントの間違いメールで知った別の太鼓グループの存在。しかも、共演をセッティングさせられたり・・・。

演奏せずに引き上げることも考えましたが、そこは世界53か国を旅して、さらに文化交流使で国からハンコだらけの私(笑)。共演することとなった、もう一つの太鼓グループ・打打打団には、瞬時に私から「最後に彩やらへん!?」と提案。快く受けてもらい、日本太鼓チームは主催者の要望に応える形で共演してみせたのでした。

どんな屈辱的な扱いを受けても、ステージで演奏して、そこにいる人たちに音を届けること。1950年代から60年代に掛けてアメリカで活動した箏曲家の父・衛藤公雄から受け継いだものがあるとしたら、それは存在証明なのです。そこでライブして生き様を示すこと。

でもね、これを力任せにやってはダメ。当日、めちゃくちゃな段取りで全くリハーサルができなかった私は、「俺に正確な情報をよこせ!」と桶太鼓に付けたピックアップマイクで叫んだ。

そんな私をフォローしてくれたのは現地の音響さん。今回、口パクの歌い手さんが勢揃いの中、私たち太鼓チームだけが生演奏。そんな現場で燃えていたであろう彼は、唯一、ミュージシャンとして私たちを迎えてくれていた(と思う)。

本番でもそのマイクを使ってカザフスタン語で簡単なご挨拶。でも、リバーヴの掛かったマイクでグワングワンのご挨拶になってしまいました。でも、それはそれでよし(笑)

終演後、大急ぎで空港へ向かう!(photo: 打打打団)

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実は警察が私たちのバスを先導(汗)

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さて、レオクラシックス京都公演ではカザフスタン弾丸ツアーで根性据わったメンバーに加えて、小学生を中心としたサスケのキラキラ・エナジーが融合し、炸裂することでしょう。

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アメリカかぶれのエンタテインメントはどこにもありません。わはは、もう時代遅れです。本質がどこにあるか分かっているから、安心してご来場ください。絶対に気持ち良いはず♪

しかし、なぜチケットの動きが止まっているのだ。お求めくださいませよ。

レオクラシックスのチケットはこちら。まだまだあります!

メッセージ第2弾は鼓童の齊藤栄一さんとの絶妙なトーク(^^♪

経由したソウルで打ち上げ(^^♪

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See you soon!

壁、崩壊!モ〜レツ!  22世紀に残る音

テレビ局のプロデューサーから「レオ、大太鼓で幕を開けたいから見た目な」とのオファーを受けて大太鼓2台。

現場は、ももクロ生放送ライブ!

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今までも布袋寅泰さんや堂本剛さんのライブで、立ち台の大太鼓と伏せた大太鼓の2台で演奏したことはありましたが、2台ともレギュラーで組んだのは初めて。

ありそうでなかったレナード衛藤のニュースタイル誕生!豪快な絵が出来ました。

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これもすぐ真似されるだろうな(笑)

そして、これを曲打ち(=曲芸みたい)に演奏しないところがレナード衛藤でございます。音楽的に叩き分けるのさ。

ももクロとの共演からこんなアイデアが生まれるとは思いもよらず、ず〜っと思い悩んでいた曲やアイデアが大きく前進しました。

壁、崩壊です(笑)

これまでアイデアが浮かんだりイメージが広がるのは圧倒的に旅先でしたが、出会い頭のようなももクロの衝撃。

モ〜レツ!(猛烈宇宙交響曲より・笑)

瞬時にして壁を突破。しかも、結果はすごくシンプル。

京都FANJの2日目「祝祭 "ZOKU"」と9月25日の東京のO-EASTでお披露目です。

東京ではさらにとんでもないアイデアが浮かんだので、上野雄次さん(花道家)にここへダイナミックな花を活けていただこうと思っています。

ど〜ぞお楽しみに!

ただ、ひとつ問題があります。

2つの大太鼓の音が共鳴すると脳が揺れる(@_@)

レオクラシックス・メッセージビデオが公開されています。どうぞご覧下さい

そもそも、壁だったのか。  22世紀に残る音

前回のブログで壁崩壊と書きましたが、そもそも壁だったのか。

作曲やアレンジに悩むことは毎度のことですが、レオクラシックスに関しては、自分の中で表現したいことよりも先に「太鼓の未来」という問題提起が動機になったことが今までにないと言えます。

うまく言えないのですが、「太鼓の未来、やばくね!?」は、私のようなものからすれば、「日本の未来、やばくね!?」なのです。

昨年の「Silently She Dances - 静かなるダンス」も、そういう意味では近未来をイメージした作品でしたが、自分のメッセージと客観的に向き合うために脚本を高階經啓さんにお願いしました。それによって、とても貴重な創作プロセスを実践できました。

太鼓アンサンブルに関しては、「やりたいことやればいいじゃん!」と思われるかもしれませんが、自分が開拓してきたことと向き合う作業をしてから作っていかないと、無意識のうちに同じことを繰り返すと思ったのです。

新しい曲を作るにしても時代性や条件をフィットさせつつ、何を提示するのかイメージするには過去と向き合う作業が必要と思ったのです。

けれど、この作業が実に難しかった。

そんなこんなで課題が山積みになっていった時、ふと浮かびました。

例えば、いろいろなグループが私の曲(族や彩)を演奏していても、私のことを知らない人はたくさんいる(これを曲の一人歩きと言います・笑)。

そういう人たちと向き合ったら、否応なく自分の曲、存在を客観的に捉えられるのではないかと。

「え!そんな解釈で叩いてたの!?」
「え!そんな教わり方してたの!?」

と言うことで、東京では都立白鷗高校太鼓部の生徒と「族」をぶっ叩くことになりました。

2014年、味の素スタジアム。高校総体での「族」。この中に白鷗高校の生徒たちがいました。

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すでに彼らとは稽古に入っていますが、呑み込みが早く、何よりも修正が早い。私が言っていることを素直に聞き入れられる柔軟性と吸収力。

「ったく、今時の子は!」とオッチャンは良い刺激を受けています。

京都では小学生を中心としたサスケが参加しますが、どうなることでしょう。

今回は壁について書きました。次回こそ壁の崩壊について書きます。

レオクラシックスのメッセージビデオができました。是非、ご覧ください!

壁、崩壊!?  22世紀に残る音

レオクラシックスを始動させてから、分厚い壁にぶち当たっていました。

ブレンドラムスやダンスとの作品作りも簡単ではありませんでしたが、誰もやったことないことだから、思い切りやることで突破してきたように思います。

例えばこれ。

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2011年、草月ホールでのブレンドラムス。ドラムスとのトリオ、タップとのトリオ、デジタルサウンドとのトリオ。

今年4月の代官山・晴れたら空に豆まいてでのファイアバーズ。

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客席に舞台を設置して臨場感たっぷり。仮設ステージによって重低音が増幅。

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さらに花道家・上野雄次さんのアート(レオクラシックス東京公演ではとんでもないアイデアを投げたいと思っています。)

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いずれも普通ではないのですが、やりたいことをやる!やってみないと分からないという未知の世界への踏み込みが原動力となっていました。

これまで、私は海外での旅の体験や出会いが創作の糧になっていますが、インタビューとか受けると気づかされます。53か国は普通じゃないなと(笑)

旅そのものが新しいことや想定外のことに即興で対応していかないとならない、まさにライブ!

じゃあ、レオクラシックスは思い切れないのかというとそうではなく、レオクラシックスは過去の自分が開拓してきたこと(太鼓アンサンブル)と向き合うことを余儀なくさせられるので、これがなかなか難しいのです。

もし、他に面白いことできないかなぁとか、同じじゃ成長してないみたいだし、という視点で過去の曲と向き合ってしまうと、「それって、太鼓でやらなくてもよくね?」というパフォーマンスになりかねない。

リハを重ねる度に壁を感じていました。

旅に出るとか、ちょっと刺激的なことが欲しいなと切に思っていたところ、素敵なオファーが舞い込んできました。

そして、一気にブレイク・・・できたかも!ありそで、なさそなアイデアが生まれました。

これについては次回〜(^^♪

レオクラシックス「22世紀に残る音、残す音」

ライブ情報はNewsページにて

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音楽キャリアが足かせにならぬよう  22世紀に残る音

久しぶりのブログですが、まずは3月5日にたくさんの誕生日メッセージをいただき、どうもありがとうございました。2月中旬から体調を崩しておりましたが、おかげ様で今は復活しております。

さて、今回も太鼓アンサンブル「レオクラシックス」について。

音楽は時代が反映されるものですし、いくらクラシックなものが美しく、心揺さぶられるものだとしても再生芸術。今という時代とそぐわない響きはあるものです。

「レオクラシックス」を始動するにあたり、つい最近まで身近な人には「元・鼓童とか集めてやりたくないよね。懐かしむ感じって、22世紀に向けたビジョンに相応しくないし。」なんて話していました。

でも、1980年代にそれはそれは熱き思いで音作りに興奮していた自分にフォーカスすることは、太鼓アンサンブルを再構築する上で外せないことではないかと。

鼓童在籍時は前進の鬼太鼓座との差別化に悩んだこともありましたが、自分と鼓童の音作りにすごく邁進していくことで、そんな考えは自然淘汰されていきました。

そして、54になったおっさんが再び壁にぶつかっております(笑)

これだけ太鼓グループが世界に存在している今、私がどんなクオリティの音やアンサンブルを作ったところで、ごくごく一般の方にどれだけその区別がつくのか。

また、今に限らないのかもしれませんが、動員力があるものって売る仕掛けが成功しているだけであって、その内容はどうでも良いものがかなりあります。

そういった現象が、音楽を愛しているリスナーも真摯に音作りしている人も苦しんでいるところだと思います。

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Photo:本文とは関係ありません(笑)

更地にして新しいものを建てて再生!と言えてしまう経済と違って、音楽における「破壊と構築」はなかなかサディスティック(この言葉が相応しいのか分からないのですが、自虐とも違うし難しい心理状態です)。

キャリアを積んできた者ほど、私はこれで良いんだ!という自己肯定的思考にも陥りやすいものです。

「レオクラシックス−22世紀に残る音」というえらいビジョンを掲げてしまいましたが、創作的にも制作的にも着眼点と出会いがカギだと思っています。

やはり、積み上げていくタイプではないのかな。直観!

う〜む、まだ見えてきません(笑)

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photo:スポレート・フェスティバル(イタリア)

レオクラシックス始動!  カテゴリーなし

あけましておめでとうございます。

2017年、レオクラシックスを始動させます。「22世紀に残る音、残す音」というビジョンを掲げ、もう一度、太鼓アンサンブルと向き合っていこうと思います。

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このレオクラシックスには、単に自分の功績や曲を未来に残そうなんていう私利私欲はありません。先のブログにも書いたように、時代が変わり、太鼓に使われる素材が変わっていったとしても、受け継がれるものは太鼓と向き合う心であり、知恵や工夫でありたいという思いが根本にあります。

確かに1980年代に作曲した「族」や「彩」という曲を通じて、メッセージを伝えていくことを否定はしませんが、それらの楽曲はもう十分なほどの評価を受けてきましたし、これからも愛して下さる方がいれば、私が何かアクションを起こさなくても残っていくことでしょう。楽曲は世に放たれた時点で独り歩きしていくものです。

太鼓アンサンブルと向き合おうとくすぶっていた思いを後押ししたのは、2016年11月に出演した伊勢太鼓祭でした。郷土芸能はもちろん、大御所がずらりと出演された太鼓祭り。現地に入って、60代や70代の御大のキリッとした叩きっぷりと笑顔。懐の深い佇まいに心を揺さぶられました。

若い連中と叩き終えた後も率先して太鼓を片付けるその姿は、どこかの太鼓グループの俺様ぶりとは全く異なる光景でした。心と身体。そして、自分の表現を支える道具を大事に扱い、それらがひとつになったオフステージの表現と受け取りました。

クラシックという言葉は再現芸術と連想されてしまいますが、レオクラシックスは絶対進行形。世界情勢や時代の空気に私も翻弄されてしまうことがあるかもしれません。人間は弱いです。

でも、太鼓と向き合っている時は本質を見失わないし、その先には自由な表現が広がっていて、そこにこそ「22世紀の音」があると思いたいです。

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始動と言っても、簡単なことではありません。メンバーも決まっていませんし、決定事項は何もありません。

22世紀までまだまだありますからね。じっくり考えて進めていきます。意外と!意外と!ライブ・・・早いかもよ(笑)

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写真はすべて伊勢太鼓祭より

皆様にとって素晴らしい1年となりますように。

本年もどうぞご贔屓に!!!

22世紀に残る音、残す音  22世紀に残る音

22世紀に残る音、残す音。

ずっと向き合っています。太鼓でどこまで表現できるのか。

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(ミラノ郊外シルミオーネ)

22世紀まで83年。今、二足歩行している人はほとんどいなくなり、ストックしてある太鼓に使う木や皮も新素材に変わっているかもしれません。

新素材になったら新しい表現が生まれているのでしょうか。私は懐疑的。

おそらく、太鼓の音の本質を知らなければ、魅力的な表現が生まれるどころか太鼓文化そのものが消えてしまっているかも知れません。

太鼓が、国内外の(音楽的、文化的とは思えない)イベントに担ぎ出されるようになって随分と時が経ちます。

活動するグループも地域活性化、派手なイベント出演!とにかく、海外公演!といった感じで、演奏が音楽ではなくて「手段」となっている今の太鼓。

1980年代、私が鼓童のメンバーと満面の笑みでかつぎ太鼓を叩き、桶太鼓をずらっと並べ、その後ろには平胴大太鼓という巨大なドラムセット(=これ、仙波師匠の例え)を作り上げたことで創作の種が撒かれました。

でもね、その頃は非難轟轟だったのよ。

でも負けませんでした。だって、それは「手段」ではなく、紛れもなく「僕らの表現」だったから!!!

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(伊勢太鼓祭)

時代背景が違うのでオリジナルとコピーを論じても意味がないのですが、良くも悪くもこの流れを生み出した者として、新たに大きなビジョンを持ち、太鼓と向き合う必要があると思っています。

時代が変わり、素材が失われて変わっていったとしても、受け継がれるものは太鼓と向き合う心であり、知恵であり、それが文化になると思いたいです。

なので、もう一度、私の音楽人生に太鼓アンサンブルを加えてみたいと思っています。

音を出せる環境があれば、すぐにでも音作りに入りたいのですが、どのように始動していくべきか。

年末年始にかけてじっくりと考えてみたいと思っています。

イベントではなく、日々行われているパフォーマンスがシーンを作ってきたんだ!

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(伊勢太鼓祭 w/ 小泉なおみ)

受け止められない自由  ヨーロッパ

ミラノから日本に帰る便でのこと。

経由したフランクフルトの空港でカバンを落としてしまい(しかも2回!)、中に入れてあったPCが見事に崩壊。

気を取り直して、日本行きの機内に乗りましたが、しばらくして異常に気付く。

「臭い!」

誰か足の臭いがきつい乗客がいる。しかも、強烈。。。

このままでは食事もできないと思い、意を決して、フライトアテンダントにメモを渡しました。

「申し上げにくいことなのですが、足の臭いがきつい方がいるようで、このままでは食事ができそうにありません。消臭剤か香水のようなものはないでしょうか。」

フライトアテンダントは即座に対応してくれて、私の席周辺にさりげなく、アルコールを含んだ何かを撒いてくださった。

その際、フライトアテンダントが「実は、他のエリアもかなり臭っておりまして、複数いらっしゃるようなんです」。

こりゃ大変だわ。

海外を旅していて本能的に「きたーっ!」と感じるのは、視覚的なことはもちろんですが、実はグッとくるのは匂いなんですね。

南国の香りってあるでしょ!?あれは素敵ですけど、アフリカとか強烈です。鼻腔が崩壊しそうになったことがありました。

でも、こればかりは仕方がないのです。体臭ですから。

日本のフライトアテンダントの対応は素晴らしく、空いている席に移らないかご提案いただいたり、ファーストクラスを担当されているチーフまで謝罪に来たり。

別に飛行機会社が悪いわけでもないのにね。ここが日本の会社の素晴らしいところ。

残念ながら、その対応に甘えて、横柄な態度をとる乗客もいます。特におっさん。

フライトアテンダントに対して、「おい!」とか。

以前、ファーストクラスに乗ったことがあるのですが、私の隣に座っていたどこぞの社長か会長さん風のおじさんが、アテンダントに「和食になさいますか?洋食になさいますか?」と聞かれ、

「わっ!」

ありえないでしょ。いい大人が。昭和初期の映画かと思いましたよ。

もう一つ、臭いにまつわる出来事を。

韓国から日本に帰る便でのこと。

すでに着陸態勢に入りますというアナウンスの時、通路を挟んで2つ隣にいた韓国のおばちゃんが、ど〜しても食べたくなったんでしょうね。キムチ。

自分で漬け込んだキムチを入れた容器をビニールから取り出して食べようとしました。

当然、ビニールから出しただけで辺りにキムチ臭が漂いました。

悲劇は、その直後に起きたのです。

「ポン!」という音がしたと思ったら、何かが飛んできた。

おばちゃんが容器を開けた途端、気圧で中のキムチが暴発したのです。

私のシャツにもペチャ!と来ましたが、おばちゃんの隣にいたビジネスマンはスーツが台無し。

起爆したおばちゃんの顔はキムチで覆われていました。

でも、その時のフライトアテンダントの対応も素晴らしく、まず、被害にあった人たちに対して「申し訳ありません!」

「え、なんで!?」と思いますよね。でも、徹底してその姿勢。クリーニング代まで出していただきました。

狭い機内に立ち込める足の臭い。キムチの臭い。

この自由をあなたは受け止められますか。

これも種類によっては強烈よね。

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いつ何時も迅速に対応してくれたフライトアテンダント。

今回のフライトもありがとうございました。快適な旅となりました。

また、来るね!ミラ〜ノ!

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ミラノで思う  ヨーロッパ

2年ぶりにミラノへ来ています。

文化庁文化交流使として活動した1年は、ここを拠点にヨーロッパからアフリカ、インドまで縦横無尽に飛び回っていました。

それまで月を往復するほどの距離を旅してきた自分の経験が、文化庁の絶大なるサポートを得ることで開花した1年でした。

しかし、強烈な「孤独」と自分の自由以上に人の自由を受け入れる、受け止める難しさを学んだ1年でもありました。

あるダンスカンパニーとコラボしていた時、私の作品に参加していたダンサーが感情を露わにわめき散らしていたことがありました。

状況が分からなかった私は、私とのコラボで何かストレスがあったのか呆然としていました。

その時、ある日本人の方から「彼らにとって感情を出すことは当たり前のこと。もし、それが出来なくなったらそれこそおかしくなってしまう。」といったことを言われました。

結局、作品とは全く関係ないことで納得いかないことがあり、それについて周囲に熱く訴えていたとのこと。

激しいです。男性も女性も。

でも、思ったのです。

「私に自由を!」は言えるようになっても、人の自由に対して寛容であることは難しいなあと。

日本は感情を露わにしないことが美徳ですし、なにかおかしいと感じることがあっても率先して問題提起はしません。

何となく大人な感じがしますが、要は事なかれ主義。

結局、悶々とした空気の中、声が大きい人の意見が通ってしまうという現場があちこちあります。どんな事象においても。

太鼓に目を向けても、叩くという行為は感情を露わにしたパフォーマンスが受け入れられがちですが、「お客さんに喜んでもらうため(感動させるため)」という何か対価を求めた途端にその感情表現は美しくなくなります。

その表現が自然な感情のほとばしりなのか。

表現の自由とは大きな隔たりを感じます。

あのアメリカですら、自由という概念が内向きになってきた今。

街のカフェでいろいろと思うミラノ滞在です。

カフェちゃうけど〜。

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太鼓も新しいお部屋にお引越し(笑)

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11月初めに行われたオムニバス・ライブツアーを含め、この1か月に私が直面した出来事。

いずれも今後の私にとって大きな意味をもち、今も整理がつかない中、この1か月がオムニバスだったのかと思うほどです。

まず、ツアー前日に某渋谷の放送局で番組収録がありました。急遽、メンバー変更もありましたが、久しぶりのタップ・アンサンブルとのセッションはやはり楽しい!

皇太子と雅子さまがご臨席予定でしたが、喪に服されていたため、私たちのパフォーマンスを見ていただくことはできませんでしたが、ご臨席されていたらどれだけテンションが上がっていたことか。

テレビらしい制約の中、高いテンションを保ってくれたメンバーに感謝!そして、浦上雄次君や洞至君らと国内外で数々の場を踏んできた時の流れを感じました。

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そして、京都(ホール)、四日市(ライブハウス)、伊勢太鼓祭(屋外)という条件が全く異なるツアーへ!

毎回、出演者が変わっても対応できたのは、今年取り組んできた「Silently She Dances−静かなるダンス」の創作過程が糧になっているからかなと。

恒例の音響・木村氏のショット(笑)

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いよっ!レナード!

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通りすがりの鼓童も参加した「彩(いろどり)」など、伊勢は大盛り上がりとなりました。

けれど、興行的には厳しい結果となった京都と四日市。パフォーマンスが良かっただけに本当に残念。

そもそも、私には「(説明しなくても)良い音は誰もが分かち合えるもの」という認識があり、ビジネス感覚に欠けているぞ!と良くお叱りを受けたものでした。

自虐ネタになりますが、それは、衛藤公雄というアーティストの遺伝子を引き継いでいるからと言えます。

と言うことで、1950年代にアメリカで活躍した父の秘蔵音源が発売されました。

それも、あのアメリカ大統領選の日に。

生まれた時からもれなく付いてきたアメリカン・パスポート。その鷲のマークの小冊子から父親が辿ってきた音楽人生を妄想し、形成された私の音楽観。

告白しますが、2000年にアメリカのダンスカンパニー、ピロボラス(PILOBOLUS)とニューヨークのジョイスシアターで3週間公演するまではアメリカにロマンを持っていたかなぁ。

そして、今のアメリカ。

一日中、頭がグワングワンしておりました。

書籍は12月5日。自分の人生と重ね合わせることはできませんが、どうしても重ね合わせてしまいます。

衛藤公雄「奇蹟の爪音」

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「音楽の殿堂カーネギーホールでのリサイタル、コンサートホールの最高峰リンカーンセンターで日本人初のリサイタル、全米40州を越える演奏ツアー、著名レーベルからのLPアルバム発売、ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団との共演、ビートルズに先駆けての武道館初のコンサート開催・・・こんな空前絶後の音楽活動を成し遂げながら、人々の記憶から忘れ去られてしまった衛藤公雄・・・。」

私もコメントを添えさせていただきました。

「秘蔵音源を聴くというよりも、その時代の空気に入り込むような感覚でした。昔のジャズのような一発録りの臨場感と気迫。そして、筝とともに人生をドライブさせていた父の音楽人生を感じることができました。私も50か国以上で演奏してきましたが、音楽に自由を求め、人生をドライブさせていくこと。音楽家として最もクリエイティブな生き方を再認識したアルバムと言えます。」

関係者の皆様の尽力には心から敬意を表します。しかし、息子としては死んでから評価されても寂しいものです。

確かに死んだから蘇った音源ですが、生きているその時を表現し、その時に受け入れられた方が幸せに決まっています(例え、受け入れられなくても納得することもあります)。

私に関して言えば、今年は企画を搾取されたり、私の楽曲のひどいコピーを目の当たりにしたり、ちょっとあり得ないことが続きました。

搾取されてもアイデアはいくらでも出てくるので、私自身は何かを失われたという感覚よりも「世の中の切羽詰まった感」に胸を痛めました。

自分が表現していること。

その価値をいかに高めて伝えていけばよいのか。

経験が足かせにならないように各方面の方々と意見を交わしながら、前に進んでいこうと思っています。

Stay positive.




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