見えてきたこと。  22世紀に残る音

数年前からダンスとの創作やワークショップのプログラムを通じて、自分の活動や表現したいことの価値に自信を持てるようになってきていました。そう言えるのは、小さいながらも海外ツアーや国内の自主公演などで成果を上げてきたからだと思います。

でも、決して経済的に回ってきたということではないです。世間で支持されているものとの明らかなギャップに苦しみつつ、むしろ、その違和感が「自分の世界」を推進させてきたように思います。

「深き森」ケルン公演
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写真:ケルン日本文化会館

そして、57にして自分がどうありたいか見えてきたようです。

ダンスとの創作が面白いのは、シーンごとに太鼓奏者の在り方が変わるところにあります。昨今、取り組んでいる「森」をテーマにしたステージでは、私がその森を描写する。また、ストーリーテラーのように進行役となることもあれば、森の化身のごとくパワフルに叩き、ダンサーを鼓舞することもある。

ベルギー公演
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写真:8g8o8

メロディーもハーモニーもない(と思われてしまう)太鼓で表現していく面白さ。なんとマニアックな作業かと思いますが、全能の太鼓ならば、なんでも表現できる!(笑)

さて、コロナ。
全世界がこのような事態に直面していることは記憶にありません。そんな状況下、私は久しぶりにアルバム作りのためにレコーディングをしています。偶然とはいえ、制作中にこのような大事変が起きることは実は3回目なのです。

2001年にNYテロが起きた時は、CD“Duets”とDVD“Presence”を制作していました。そして、2011年3月の震災の時は、CD“Power and Patience”とDVD“Power of Blendrums”を制作中でした。おかげでアルバムのコンセプトが揺らぐわ、タイトル変わるわ。

「ゆらぎ」アムステルダムにて
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そして、いずれも制作中にこみ上げてきたコアな部分は、コミュニケーションでした。

震災の時もそうですが、トイレットペーパーに始まり、モノやお金が手に入らないこと以上に人を不安にさせてしまうのは、まともなコミュニケーションが取れないことではないかと。

歴史上で起きたことを比べるわけではありませんが、災害や戦争、人種差別などもっと厳しく理不尽な境遇において、素晴らしい音楽やダンスを創造してきた先人がいます。

人とのコミュニケーション、神と自然とのコミュニケーション。その創造力に圧倒されながら日々を過ごし、スタジオに入る日に備えています。

コモ湖にて「見えてきた!?」
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