351日間、世界を旅して-2  文化交流使

今年の2月中旬以降は、毎日毎日ダンサーと時間を過ごしていました。

もちろん、ダンサーは私との創作だけに時間を割くわけにはいかないので、2〜3時間やっては別の作品の振付で隣のスタジオへ移動。

私は片づけを済ませたら打ち合わせ。そして、晩ご飯のお買いものというサイクルでした(笑)

ミラノの創作風景より
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こちらはマルセイユでの一コマ(休憩時間でこれだもん・笑)
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また、活動の後半は移動コストを抑えるために、ミラノをホームにしてあちこち回ってはミラノに戻るという動きを取っていました。

帰るという意識が持てる場所ができたことは大きな励みになりましたが、非日常的な1年に「新たに非日常的な旅と日常」が混じりあう、劇中劇のような生活でした。

そのような生活ではネットだけが情報源でしたので、世界情勢や日本の状況には敏感に反応していましたが、今こうして東京に戻ると生活や街のリズム、情報のスピードが半端ない。

物事を深く考えていたら目の前のことが片付かないですし、正直、考えなくても生きて行けるし的な「まいっかの日本人」になりそうな自分に驚きました。

ヨーロッパにいた時は忙しくてもいろいろな視点でものを捉えたり、考えたりしていたんだなあと思います。

日々多様な民族にもまれていたので、潜在的に緊張感と問題意識を持ち続けていたのだと思います。

また、移動すれば視点も変わるし、自分もいろいろな視点(視線)にさらされます。

そして、何よりもそのことが創作に直結していたんだなあと思います。そういう意味で改めてヨーロッパを選んでよかったと思っています。

それと、ヨーロッパでは食はもちろん、文化においてもアメリカの影響がないことに心地良さを感じていました。

全く影響がないわけではないのですが、アメリカの影響下にある日本と違い、ハリウッドもエンタメもヨーロッパの審美眼ではいろいろある中のひとつ。

私自身、日本に帰ってきてその反動があったにせよ、創るという視点においてヨーロッパは必然でした。

つづく



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