コミュニティとドヤ顔  22世紀に残る音

コロナが世界で吹き荒れる今、海外ひとり旅で身に着けた習性がこの状況で役に立っているような気がします。それは、しんどい時こそ見えてくるものがあるということです。

1年間ひとり旅を続けた時、突然、強烈な孤独感に襲われることがありました。原因はコミュニケーションの欠如です。人との会話がないだけでなく、例え、会話があったとしても、何気ない日常の風景だったり、街のリズムから疎外されてしまう錯覚に陥ったのでした。

このような感覚は、おそらく皆さんの日常にもあるのではないかと思います。私の場合、その状況を打破する唯一の方法は、音楽の現場であり、音楽について考え、創造することでした。時を忘れ、代謝血行も良くなり、蘇ることができました。

ヨーロッパは今、コミュニケーションが断たれる状況に余儀なくされています。前回のブログで「ここ数年の活動と表現したいことの価値に自信を持てるようになってきた」と書いたばかりですが、私も公演やリハーサルが飛んでしまい、音楽活動で生活をするという基盤が簡単にふっ飛んでしまいました。

春以降の生活がどうなるのか心中は穏やかではありませんが、一人で考える時間を作れています。次の創造や新しいライフスタイルのアイデアが見つかりそうな気がするのです。

只今、ニューアルバムの制作中。やはり、至福の時。
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今までの時代、そして、今も太鼓に求められているものは何なのかを考えています。多面的に書き出し、噛み砕いて、そぎ落として残ったものは「コミュニティとドヤ顔」でした。

太鼓を通じたコミュニティ。
昔も今もこのコミュニティの形成が音楽性よりも太鼓のパワーになっていると思います。

1980年代に私が所属していた鼓童。
当時は強烈な個性の集まりでした。2時間の舞台の間だけは奇跡的にまとまっていましたが、それ以外はてんでバラバラでした。でも、そのような集団は追い出されることもなければ、去るもの追わずというキャパシティがありました。

たくさんの太鼓グループが存在している今、同調性が強い集団において考え方やタイプが異なると、それが舞台に活かされることなく、同調する者からの圧力で弾かれるというケースを良く見聞きします。

確かに、私は鼓童時代に世代を超えて一緒に叩ける曲を作ろうと思って「族」を書きました。けれど、同調性が目的ではなく、太鼓アンサンブルとしての音楽の可能性を追求した先にたどり着いた答えがそれでした。

2000年ニューヨーク・ジョイスシアター(The New York Times)
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アメリカのダンスカンパニー・ピロボラスとの創作の現場では、白人と黒人のリアルな人種差別を体験しましたが、ステージでは全くと言って良いほど影響はなく、むしろ個性として光を放っていました。

そして、ドヤ顔(1980年代)

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(写真:鼓童)

太鼓がお祭りだけでなく、国内外の公演やイベントで演奏されるようになりましたが、その人気の根強さに太鼓演奏特有の「ドヤ顔で頑張っている感」があります。

1970年代後半に太鼓が祭りから離れ、エンタテインメントに切り込んでいった経緯がありました。分かりやすく、単純なストーリーとお客さん受けの良い表現。一定の評価を得ることで動員に繋がりました。

プロアマ問わず、パフォーマンスとして占める割合が多い「ドヤ顔」ですが、それらを表現の自由とか多様性、エンタテインメントという言葉で括るには違和感を感じます。

先のコミュニティと同様、そこには音楽性が問われないのです。

今の時代、エンタテインメントの要素は大切ですし、私自身、エンタテインメントで育ってきました。太鼓界においては、その扉を開けた一人だと思っています。

おい、そこの君!ドヤ顔(2015年)

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(写真:鼓童)

これまでの自分の活動を冷静に見極める作業はしんどいのですが、太鼓文化を担ってきた者として、太鼓の価値を再考する時が来ているのだと思います。

今は一刻も早いウイルスの終息を願うばかりですが、平穏な日常に戻った時には音楽やダンス、アートが表現を通じていろいろな価値観を世に放ち、多様性をリードする役割があると思っています。そして、その質を問われたいと思います。

良い音を知ることで深まっていく音楽の魅力。どんな舞台やアートも同じだと思います。

みんな一緒!の心理から生まれるコミュニティ(同調性)とドヤ顔は、今の時代も求められて、それなりの経済効果があるかもしれません。

けれど、本質的なものに触れる機会を遠ざける危険性があり、表現活動の場として相応しくない土壌を広げてしまうことになるかもしれません。

しんどい時こそ、自戒の念を込めて。

見えてきたこと。  22世紀に残る音

数年前からダンスとの創作やワークショップのプログラムを通じて、自分の活動や表現したいことの価値に自信を持てるようになってきていました。そう言えるのは、小さいながらも海外ツアーや国内の自主公演などで成果を上げてきたからだと思います。

でも、決して経済的に回ってきたということではないです。世間で支持されているものとの明らかなギャップに苦しみつつ、むしろ、その違和感が「自分の世界」を推進させてきたように思います。

「深き森」ケルン公演
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写真:ケルン日本文化会館

そして、57にして自分がどうありたいか見えてきたようです。

ダンスとの創作が面白いのは、シーンごとに太鼓奏者の在り方が変わるところにあります。昨今、取り組んでいる「森」をテーマにしたステージでは、私がその森を描写する。また、ストーリーテラーのように進行役となることもあれば、森の化身のごとくパワフルに叩き、ダンサーを鼓舞することもある。

ベルギー公演
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写真:8g8o8

メロディーもハーモニーもない(と思われてしまう)太鼓で表現していく面白さ。なんとマニアックな作業かと思いますが、全能の太鼓ならば、なんでも表現できる!(笑)

さて、コロナ。
全世界がこのような事態に直面していることは記憶にありません。そんな状況下、私は久しぶりにアルバム作りのためにレコーディングをしています。偶然とはいえ、制作中にこのような大事変が起きることは実は3回目なのです。

2001年にNYテロが起きた時は、CD“Duets”とDVD“Presence”を制作していました。そして、2011年3月の震災の時は、CD“Power and Patience”とDVD“Power of Blendrums”を制作中でした。おかげでアルバムのコンセプトが揺らぐわ、タイトル変わるわ。

「ゆらぎ」アムステルダムにて
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そして、いずれも制作中にこみ上げてきたコアな部分は、コミュニケーションでした。

震災の時もそうですが、トイレットペーパーに始まり、モノやお金が手に入らないこと以上に人を不安にさせてしまうのは、まともなコミュニケーションが取れないことではないかと。

歴史上で起きたことを比べるわけではありませんが、災害や戦争、人種差別などもっと厳しく理不尽な境遇において、素晴らしい音楽やダンスを創造してきた先人がいます。

人とのコミュニケーション、神と自然とのコミュニケーション。その創造力に圧倒されながら日々を過ごし、スタジオに入る日に備えています。

コモ湖にて「見えてきた!?」
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