22世紀に残る音、残す音  22世紀に残る音

22世紀に残る音、残す音。

ずっと向き合っています。太鼓でどこまで表現できるのか。

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(ミラノ郊外シルミオーネ)

22世紀まで83年。今、二足歩行している人はほとんどいなくなり、ストックしてある太鼓に使う木や皮も新素材に変わっているかもしれません。

新素材になったら新しい表現が生まれているのでしょうか。私は懐疑的。

おそらく、太鼓の音の本質を知らなければ、魅力的な表現が生まれるどころか太鼓文化そのものが消えてしまっているかも知れません。

太鼓が、国内外の(音楽的、文化的とは思えない)イベントに担ぎ出されるようになって随分と時が経ちます。

活動するグループも地域活性化、派手なイベント出演!とにかく、海外公演!といった感じで、演奏が音楽ではなくて「手段」となっている今の太鼓。

1980年代、私が鼓童のメンバーと満面の笑みでかつぎ太鼓を叩き、桶太鼓をずらっと並べ、その後ろには平胴大太鼓という巨大なドラムセット(=これ、仙波師匠の例え)を作り上げたことで創作の種が撒かれました。

でもね、その頃は非難轟轟だったのよ。

でも負けませんでした。だって、それは「手段」ではなく、紛れもなく「僕らの表現」だったから!!!

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(伊勢太鼓祭)

時代背景が違うのでオリジナルとコピーを論じても意味がないのですが、良くも悪くもこの流れを生み出した者として、新たに大きなビジョンを持ち、太鼓と向き合う必要があると思っています。

時代が変わり、素材が失われて変わっていったとしても、受け継がれるものは太鼓と向き合う心であり、知恵であり、それが文化になると思いたいです。

なので、もう一度、私の音楽人生に太鼓アンサンブルを加えてみたいと思っています。

音を出せる環境があれば、すぐにでも音作りに入りたいのですが、どのように始動していくべきか。

年末年始にかけてじっくりと考えてみたいと思っています。

イベントではなく、日々行われているパフォーマンスがシーンを作ってきたんだ!

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(伊勢太鼓祭 w/ 小泉なおみ)

受け止められない自由  ヨーロッパ

ミラノから日本に帰る便でのこと。

経由したフランクフルトの空港でカバンを落としてしまい(しかも2回!)、中に入れてあったPCが見事に崩壊。

気を取り直して、日本行きの機内に乗りましたが、しばらくして異常に気付く。

「臭い!」

誰か足の臭いがきつい乗客がいる。しかも、強烈。。。

このままでは食事もできないと思い、意を決して、フライトアテンダントにメモを渡しました。

「申し上げにくいことなのですが、足の臭いがきつい方がいるようで、このままでは食事ができそうにありません。消臭剤か香水のようなものはないでしょうか。」

フライトアテンダントは即座に対応してくれて、私の席周辺にさりげなく、アルコールを含んだ何かを撒いてくださった。

その際、フライトアテンダントが「実は、他のエリアもかなり臭っておりまして、複数いらっしゃるようなんです」。

こりゃ大変だわ。

海外を旅していて本能的に「きたーっ!」と感じるのは、視覚的なことはもちろんですが、実はグッとくるのは匂いなんですね。

南国の香りってあるでしょ!?あれは素敵ですけど、アフリカとか強烈です。鼻腔が崩壊しそうになったことがありました。

でも、こればかりは仕方がないのです。体臭ですから。

日本のフライトアテンダントの対応は素晴らしく、空いている席に移らないかご提案いただいたり、ファーストクラスを担当されているチーフまで謝罪に来たり。

別に飛行機会社が悪いわけでもないのにね。ここが日本の会社の素晴らしいところ。

残念ながら、その対応に甘えて、横柄な態度をとる乗客もいます。特におっさん。

フライトアテンダントに対して、「おい!」とか。

以前、ファーストクラスに乗ったことがあるのですが、私の隣に座っていたどこぞの社長か会長さん風のおじさんが、アテンダントに「和食になさいますか?洋食になさいますか?」と聞かれ、

「わっ!」

ありえないでしょ。いい大人が。昭和初期の映画かと思いましたよ。

もう一つ、臭いにまつわる出来事を。

韓国から日本に帰る便でのこと。

すでに着陸態勢に入りますというアナウンスの時、通路を挟んで2つ隣にいた韓国のおばちゃんが、ど〜しても食べたくなったんでしょうね。キムチ。

自分で漬け込んだキムチを入れた容器をビニールから取り出して食べようとしました。

当然、ビニールから出しただけで辺りにキムチ臭が漂いました。

悲劇は、その直後に起きたのです。

「ポン!」という音がしたと思ったら、何かが飛んできた。

おばちゃんが容器を開けた途端、気圧で中のキムチが暴発したのです。

私のシャツにもペチャ!と来ましたが、おばちゃんの隣にいたビジネスマンはスーツが台無し。

起爆したおばちゃんの顔はキムチで覆われていました。

でも、その時のフライトアテンダントの対応も素晴らしく、まず、被害にあった人たちに対して「申し訳ありません!」

「え、なんで!?」と思いますよね。でも、徹底してその姿勢。クリーニング代まで出していただきました。

狭い機内に立ち込める足の臭い。キムチの臭い。

この自由をあなたは受け止められますか。

これも種類によっては強烈よね。

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いつ何時も迅速に対応してくれたフライトアテンダント。

今回のフライトもありがとうございました。快適な旅となりました。

また、来るね!ミラ〜ノ!

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ミラノで思う  ヨーロッパ

2年ぶりにミラノへ来ています。

文化庁文化交流使として活動した1年は、ここを拠点にヨーロッパからアフリカ、インドまで縦横無尽に飛び回っていました。

それまで月を往復するほどの距離を旅してきた自分の経験が、文化庁の絶大なるサポートを得ることで開花した1年でした。

しかし、強烈な「孤独」と自分の自由以上に人の自由を受け入れる、受け止める難しさを学んだ1年でもありました。

あるダンスカンパニーとコラボしていた時、私の作品に参加していたダンサーが感情を露わにわめき散らしていたことがありました。

状況が分からなかった私は、私とのコラボで何かストレスがあったのか呆然としていました。

その時、ある日本人の方から「彼らにとって感情を出すことは当たり前のこと。もし、それが出来なくなったらそれこそおかしくなってしまう。」といったことを言われました。

結局、作品とは全く関係ないことで納得いかないことがあり、それについて周囲に熱く訴えていたとのこと。

激しいです。男性も女性も。

でも、思ったのです。

「私に自由を!」は言えるようになっても、人の自由に対して寛容であることは難しいなあと。

日本は感情を露わにしないことが美徳ですし、なにかおかしいと感じることがあっても率先して問題提起はしません。

何となく大人な感じがしますが、要は事なかれ主義。

結局、悶々とした空気の中、声が大きい人の意見が通ってしまうという現場があちこちあります。どんな事象においても。

太鼓に目を向けても、叩くという行為は感情を露わにしたパフォーマンスが受け入れられがちですが、「お客さんに喜んでもらうため(感動させるため)」という何か対価を求めた途端にその感情表現は美しくなくなります。

その表現が自然な感情のほとばしりなのか。

表現の自由とは大きな隔たりを感じます。

あのアメリカですら、自由という概念が内向きになってきた今。

街のカフェでいろいろと思うミラノ滞在です。

カフェちゃうけど〜。

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太鼓も新しいお部屋にお引越し(笑)

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