本当の挑戦はこれから  ご報告・ごあいさつ

29日、父である衛藤公雄の葬儀が無事に終わりました。

通夜では献奏を、出棺の際は、兄スティーヴとともに太鼓で賑やかに送り出しました。

母の元へ旅立った父ですが、斎場では初めて見る写真があり、先のブログと合わせてご覧いただけたらと思います。

アメリカへ向けて横浜港を出港(1953年)
クリックすると元のサイズで表示します

この写真には参りました!指揮者ストコフスキー氏と武道館で共演(1965年)
クリックすると元のサイズで表示します

国立劇場にてバイオリンの江藤俊哉氏と共演(1968年)右の少年はどうやら私のようだ。日本人で初めてカーネギーホールでリサイタルを開いたのが江藤氏。父は2人目だそうで1961年に開催。
クリックすると元のサイズで表示します

私も50を超える国々で演奏活動をしてきていますが、比べることではないとはいえ、この時代性とスケール感にはちょっとかないません。

来年4月からパフォーマンスだけでなく、ビジネス・スタイルも一新する思いでしたので、父の旅立ちは本当に新しい1ページが開いたのだなと実感しています。

今まで通り、力まずに自分らしくパフォーマンスをしていきたいと思いますが、本当の挑戦はこれから。

厳しい世の中ではありますが、少しでも希望が湧くような音を作っていきたいと思います。

年末のお忙しい中、葬儀にご参列いただきました皆様。

多くの方々からお香典と弔電をいただきました。

本当にありがとうございました。

今年もあと1日。皆様、どうぞ良い年をお迎えください。

筝曲家の父、公雄。永眠  ご報告・ごあいさつ

イヴの夜、私の父であり、筝曲家の衛藤公雄が息を引き取りました。

88歳でした。本当に多くの方々にお世話になった人生でした。

どうもありがとうございました。

父は幼少の頃から目が見えなかったため、学校も行かずに宮城道雄氏の弟子として、筝(こと)だけで生きてきました。

作曲も早くから始め、10代後半には多くの賞を受賞し、演奏活動は多忙を極めていたようです。

しかし、父は自らの音を求めて、28歳の時にアメリカへ移住。

終戦から8年。1953年のことです。

今でこそ簡単に旅ができる時代ですが、その当時はハワイまで船で1カ月かけて渡り、そこからはプロペラ機でLAに上陸したそうです。

さらに驚くことは、目が見えない敗戦国の筝弾きにアーティスト・ビザを出したアメリカという国。

実は父が活躍していた50年代のアメリカが、私にとってロマン溢れるアメリカであり、音楽で生きていこうと思った原動力でもありました。

父との忘れられない会話。

衛藤家ではお父さんと言うよりも先生としての存在の方が大きく、スティーヴと私は父に対して敬語で話をしていました。

私が30代の頃、父に「兄弟がいるのになぜ筝を継がせなかったのか」と尋ねたことがあります。

この問いは衛藤家ではタブーでした。筝に限らず、伝統芸能の家では後継ぎ問題が良くも悪くもあります。

しかし、父は答えました。

「私と同じことはできんだろ」

確かに。そして、次の言葉に私は吹っ飛びました。

「親子で同じことをしてもつまらんだろ」

この会話の最後には、私の人生の柱にもなっているメッセージをもらいました。

「音楽を友とする人生を歩みなさい」

「ビッグになりたい」「デカイ車に乗りたい」「女の子にもてたい」「ブロードウエイのステージに立ちたい」など、いろいろな音楽人生があると思います。

どれも否定も肯定もしません。

音楽は自由。

その「自由」という意味すら分からない子どもの頃から、その価値を教育してくれていたのかも知れないなと思っています。

そして、もうひとつ大きな贈り物は「音色」。

父の筝の糸の張りは筝が反り返るのではと思われるくらい、ギンギンに張っていました。

左手で弦をコントロールするにも大変な力が必要で、良く肩を痛めていました。

しかし、そこから紡ぎだされる音はとても優しく柔らかく、でも、しっかりと芯のある音でした。

私の使う和太鼓も大変なテンションで皮を張っているため、地球で一番大きな音がします(笑)

それゆえに自分の思いや力任せではない、コントロールされた美しい音を私は大事にしたいと思っています。

音楽人生という贈り物を私の人生に用意してくれた父。

アメリカ生活については多くを語ってはくれませんでした。

正直、苦労だけでなく、とても多くの方々にお世話になり、ご迷惑をお掛けしていたからだと思います。

けれど、例えそうだとしても、私は父に感謝しています。

イヴの夜。

最高の演出をして息を引き取るなんて、アメリカのエンタテインメント界で生きてきただけあります(笑)

う〜む。まだまだ、私はあらゆることが足りません・・・。

ところで、筝と言えば、「チントンシャン」なんてイメージを持つ方も多いと思います。

そんなイメージを覆す、父が19歳の時に作曲した「思い出」という曲をお聴きいただけたらと思います。

おそらく、1960年頃にアメリカのハリウッドで録音したものと思われます。

そっと「いいね!」を押していただけたら父も喜ぶと思います。

http://www.youtube.com/watch?v=XxpNVvbn5xI

レナード衛藤

早々に再稼働(笑)  日々雑感

「ブレンドラムス大作戦」の後は精算の嵐。

「中央アジアツアー」なんか通貨が全部違うし、読めない字もある(笑)

でも、ライブが生み出すエナジーってすごい!

国際的な領収書(笑)を整理しながら、来春に本格始動する企画に向けて早々に再稼働。

早速、京都と大阪に行き、いろいろと視察。

大阪の福島のイタリアンでは、お疲れ様をしていただき、めちゃ嬉しかった!
クリックすると元のサイズで表示します

ところで、来春の新しい企画は単にイメージを膨らますだけでなく、深いところで自分と向き合う機会が多くなっている。

「自分は何者なのか。」

アメリカ国籍を持っていながら、日本に住み、和太鼓を叩き、海外に出ていく自分。

海外ツアーから帰ってすぐにライブだったし、いつも以上に深いところのドアをノックしているような気がする。

日本の心をもつ自分がアメリカ国籍を持つ自分と向き合う。

もしくは、海外を旅してきた自分と向き合う。

この「ひとりねじれ」とも言える感覚が内面に「立体感」を作っていて、自分の音楽の世界観そのものになっている。

ものすごく簡単に言っていても、凄く複雑でしょ(笑)

実は、東京という街もそういう意味で複合的にねじれたCoolな街だった。

けれど、いつしか「なんにも考えないで住める街」に成り下がってしまった。

これについては別に書こう。本格的に話がねじれるし(笑)

今、このいつもの「ねじれ感」を味わいつつ、いつもとは違う音と絵が生まれてくることを楽しみに自分を再稼働させた。

ブレンドラムス大作戦完了!  わくわく創作編

中央アジアツアーから帰国して、わずか5日。

なかなか普通じゃないテンションで臨んだ「ブレンドラムス大作戦」

ひとつの区切りとして、そして、次へのステップとしては十分な成果を上げることができたと思う。

時は違えど、鼓童という身体言語を共有しあえた船橋&小田両氏。
クリックすると元のサイズで表示します

初共演でありながら、響きあえたことさん(と野獣・笑)
クリックすると元のサイズで表示します

タップ・アンサンブルはもう言うことないよ!
クリックすると元のサイズで表示します

まさかの事態に備え、雄次も打ち込む!これぞ、有事の備え(笑)
クリックすると元のサイズで表示します

一個人の思いに賛同し協力してくれたパフォーマー、スタッフには本当に感謝です。

当日は、カザフスタンを彷彿させる寒さにまさかの嵐。

そんな中、ご来場いただいたお客さんに主催者として表現者として心から感謝。

いつも通り、パフォーマンスの評価は皆さんに委ねます。

私からはただ一言。あの時間を共有できて嬉しかったです。

ありがとうございました。
クリックすると元のサイズで表示します
Photo / KAZ photo

9月の京都三昧の日々から、休みなく準備してきた海外ツアーと「ブレンドラムス大作戦」

自分で言うのもなんだけど、その根幹にあったのは「情熱」

それを大好きな仲間と共有できた幸せ。

じっくりと味わえた。自分のコアを明確に捉えることもできた。

但し、課題も残った。

それでも、身体のコアから創作意欲が湧いてきている。

新たな「情熱の旅」の始まりだね!

お〜〜〜い!(笑)
クリックすると元のサイズで表示します
Photo / Eiichi Ito




AutoPage最新お知らせ