眠れないまま迎えた午前4時。
ここでバイクを走らせてしまったら、どこかの歌のようでこっぱずかしい。
それにまだ外は寒いだろうしなあ、布団はあったかくて気持ちいいしなあ、着替えるのもめんどくさいなあ。
ウダウダとしていたらいつの間にか眠ってしまっていて、気がつけば午前9時。
窓の外の天気はイマイチ。
きのうはあんなにいい天気だったのになあ。
近頃、相棒と出かける日はあまり天気がすぐれない。
高気圧ガールなんて歌があったけれど、どうやら私は低気圧オヤジらしい。

午前10時すぎ、東京インターから東名高速に乗り、西へと走る。
料金所の手前1kmから渋滞がはじまり、海老名SA近くまで続いていた。
ほとんどのクルマは、東京や埼玉などの関東ナンバーで、これからお出かけのご様子。
連休の中日だというのに下りが渋滞するとはおもってなかったので、ちょっと意外だった。
左右にルートが分かれるあたりから徐々に道が空きはじめた。
ペースも上がり、富士川を通過して由比の海っぺたまで行ってから休憩した。
いつかも書いたけれど、ここは東名高速の数少ない好ロケーションだ。
めずらしく富士山も顔を出し、低気圧オヤジの汚名返上といったところか。
予定では掛川ICまで行くハズだったが、高速道路に飽きてしまい発作的に焼津で下りた。
マグロでも食べてから行こうとも考えたけれど、よくよく考えてみるとまだ腹が減っていない。
しかたがない、走るとするか。
静岡と神奈川は、どういう理由か知らないけれど、バイパスが好きな県だ。
どちらの県も、国道1号線のほとんどの区間にバイパスがある。
おかげで本来の国1の道筋わかりにくくなってしまっているし、さらに有料のバイパスが多いせいもあってか、国1の混雑もそれなりに残ってしまっているような気がする。
これ、どうにかならんのかなあ。

午後2時すぎ、目的地に到着。
掛川の里山にひっそりとたたずむそれは、小説家・吉行淳之介の文学館だ。
彼と長年連れ添った宮城まり子さんが設立したもので、ねむの木村の中にある。
文学館は、深い静寂に包まれていて、落ち着いた空間だった。
受付から展示室へと足を踏み入れると、彼が生前使っていた書斎が迎えてくれる。
机、椅子、モビール、灰皿、そして原稿用紙。
もちろん、展示品に触れることはご法度だが、それらの道具はガラスケースに入れられるでもなく、そのままそこにある。
「彼が帰ってきたときいつでも使えるように」というような、宮城さんの気持ちの表れなのだろうか。
この展示のやり方は、見学客を信用しなければ成り立たない。
その気になりさえすれば、いつでも触れられてしまうし、展示品を持ち帰ることさえできてしまう。
けれど、あえてこんなふうに展示してくれているところが、なんともうれしい。
同じ空間にあるソファに腰かけて、その書斎を眺めると、そこに座って作品を執筆する吉行淳之介の姿が見えるような気がする。
他には、朱筆の入った生原稿や宮城さんとの書簡、芥川賞の賞状や副賞の時計なども展示されていて、ファンにとってはどれもが興味深い。
ひと通り見学した後、ねむの木学園の生徒に茶を点ててもらった。
受付で勧められるがままにそういう成り行きになってしまったのだが、茶席の経験なんて私にはない。
まいったなあとおもいつつ、行儀よくしなくちゃいけない場面になると苦笑いがとまらない私は終始ヘラヘラしっぱなしだった。
そして当然のように足が痺れ、這いつくばりながら茶室を辞した私であった。
トホホ。

新幹線を間近で見てその速さに「ひょえー」といったり、「東海地震よ、いまこの瞬間に起きないでくれ」と念じながら浜岡原発そばを通過したりしながら、御前崎へ向かった。
このあたりはサーフィンのメッカで、帆を張ったサーファーたちが波と風に戯れている。
私には運動神経も体力も道具を揃えるカネも、さらにそれらを補う努力をする気力もないけれど、ヒソカにウィンドサーフィンに憧れている。
私は、どうやら疾走するのがスキなようである。
バイクに乗るのは、疾走感を楽しむためというところによるところが大きい。
ゲレンデスキーを楽しいと感じるのも、やはり疾走感の気持ちよさだ。
けれど、バイクはエンジンという動力、スキーは整備されたゲレンデという、どちらにも他人の知恵と努力を投じた文明の利器を使わなければならないところが、私が感じる小さな不満であったりもする。
その点、ウィンドサーフィンはボードとセイルという道具だけで、あとは波と風が遊んでくれる。
まあ、その道具を持ち運ぶにはクルマがないとかなりツライという背景はあるんだけどさ。

ああ、いつの日か、波にもまれて風にからかわれてみたい。
焼津でマグロでも食べようとおもったけれど、適当な店が見つからない。
「活魚」とか「マグロ」などといった看板がないかどうか探しながら走ったのだけど、さっぱり見当たらない。
とうとう焼津駅に着いてしまった。
駅前に造られた足湯で冷えた手指を温めながら考えてみると、どうやらマグロを食わせる店は、「鮨」とか「寿司」なんて看板を出していることに気がついた。
寿司が苦手な私はその手合いの看板には反応しないので、マグロを食い損ねているのだ。
かといって寿司屋に入るのも気が引ける。
駅前の観光案内を見てみると、「おさかなセンター」なるものがあるというではないか。
これだよ、これ。
ヨロコビ勇んでおさかなセンターへ向かったが、午後7時を前にしてすでに閉まっていた。
うがあ。
まあ、もともとそんなに好物じゃないからいいや、とマグロをあきらめ、さっきからアチラコチラでヤケに目についていたとんかつ屋へ入ることにした。
静岡はとんかつが名物なんだろうか。そんな話は聞いたことがないけれど、世の中は私が知らないことだらけだから、ひょっとしたらそうなのかもしれない。
遅い朝食を食べたきりでモーレツに腹が減っていたから、胃袋はアツアツカリカリのコロモと、ジューシーな豚肉を受け入れるべく、胃液をどばっと吐き出した。
けれど午後7時の夕食時、とんかつ屋には順番待ちの行列ができていて、30分以上は待たされそうな気配だった。
こうなったらなんでもいいから食わせろという気分になり、隣のすかいらーくに入った。
腹が減りすぎて判断力が低下していた私は、ゼイタクにも手ごねハンバーグのコースを注文し、ごはんを大盛にした。
サラダ、ポタージュ、ハンバーグ、ごはん、デザートのケーキとコーヒー3杯をたいらげると、ようやく人心地がついて、すかいらーくでの夕食に2000円弱も使ってしまったことをちょっと悔やんだ。
まあ、どうでもいいんだけど。
知り合いがボーカルをとるバンドのライブを見るため、国道150号線を走って静岡市内へ向かった。
両替町界隈に相棒を停めた。
どうやらこのあたりは静岡の歌舞伎町といったところで、ホストやらホステスやら怪しい外国人女性やらがアチコチに立っている。
当然彼らは、長髪を束ね、不精髭をのばしたキタナイおじさんには目もくれないので助かる。

ライブは開始予定の21時30分から1時間くらい遅れてはじまった。
演奏されるのは、いわゆるオールディーズ。ライブハウスもそれ専門で、壁にはエルビス・プレスリーたちの(それしか知らない)のポスターなどが張られ、60年代の古き良きアメリカのムードがたっぷりだ。
オールディーズをまともに聴いたことはなかったんだけど、演奏される曲はどれもが一度は耳にしたことがあるものばかりで、私はテーブルを叩いてリズムをとりながら、気持ちよく音楽を楽しんだ。
イチバン感動したのは、拳を握った左右の手を交互に上下しながら腰をくねらせて踊る、あの「ツイスト」を生で見られたことだ。
ズッタタズズタ、ズズタタズズタ、というロカビリーらしいドラムのリズムにのって曲がはじまると、客がステージの前に踊り出てツイストを踊る光景に、私はとてもほんわかした気分になれた。
頬がゆるみ、目尻が下がってくる。
微笑まずにいられないのだ。
こういうのを、シアワセな気持ちという。
知り合いに声をかけようとおもったけれど、シャイな低気圧オヤジは2ステージ目が終わったところでライブハウスを後にした。
健康ランドで仮眠してからブラブラと帰る予定で来たけれど、夜の国道をブッ飛ばしたい気分でもあった。
それに、夕食前に焼津ICで見た交通情報によると、東名高速は渋滞40km。明日の日中も東京へ向かう道はひどく混みそうだ。
空いている深夜に帰るのもわるくない。
ねずみ捕りやオービスの情報もないので、地元ナンバーのカットビクルマにつきながら国道1号線を飛ばす。
清水のあたりからちょうどいい先行車がいたのでずっと後ろにつけていたら、追尾してくるバイクが気に食わなかったのか、はたまたちょっぴり上向いたヘッドライトが不愉快だったのか、沼津市内に入ったあたりで私の後ろをつけまわすようになってしまった。
面倒なことになるかとおもったけれど、信号で止まっても運転手が下りてくることはなかった。

沼津から国道246号線へ移り、さらにブッ飛ばす。
さすがに深夜だけあって、御殿場あたりからだいぶ冷えてきた。
相棒のハンドルカバーを外してきたことを後悔しながら、「寒い・眠い・腹減った」の三重苦に耐えつつ、タバコ休憩もせず走りつづけた。
帰宅は明け方になるかとおもっていたら、予想よりもだいぶ早く東京に着いた。
風呂に入って冷えきった体を温めつつカップうどんをすすり、空腹と疲れと寒さを同時に癒した。
ひと眠りして目覚めると、あたりは高気圧に包まれているようで、とても穏やかな春の日差しがたっぷりと降り注いでいた。
低気圧オヤジ、いよいよ本格化だ。
走行距離 549km
消費ガソリン 36L

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