2008/6/24

「死ねばいい」と云う言葉の軽さは行ったどこから来るものなのか?  


いまから約2週間に「勝ち組は死ねばいい」と、語った人物がいます、
その人はいまでは、逆に「死ねばいい(死刑と云う意味ですが)」と思われています。

ネットで「死ねばいい」と検索すると、さまざまな「死ねばいい」が右往左往して驚かされます。

最近、いちばん驚いたのが高校以来の友人が某政治家に対して「死ねばいい」と云ったことでしょうか。
ごくごく普通のお嬢さんですし、特にその政治家の知り合いでもありません。
面識すらないと思います。
でも「死んで欲しい(正しくこの世から消え去って欲しい)」そうです。

それは彼女にとってその政治家は忌むべく「悪」だからなのでしょう。

テレビでは、勧善懲悪がまかり通って、「悪」は簡単に殺されてしまいます。
説得もなければ、更生もありません。
「死」で終わらせるのって楽ですよね。

かなりの人が今、心の中に「死ねばいい」を抱え込んでいると思います。
それは他者に対してかもしれませんし、自分に対してかもしれません。
本来、それは自分の心のうちに隠しておくことないのに、どんどん、人目に触れるようになってはいないでしょうか?

よく凶悪犯罪者に対して「死刑になればいい」という言葉を耳にします。
私もですが、そんな言葉が簡単に口から出て、それでいて周りからも許されてしまうことが不思議です。

秋葉原通り魔事件からと云うわけではありませんが、特にあの事件以降、鬱々と考える日々が続いております。


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