2004/8/31

森達也「職業欄はエスパー」  BOOK


森 達也 (著)「職業欄はエスパー」 角川文庫、読み終わりました。
9月、東京に行くバスの中、もしくはホテルで読もうと買ったのに1日でけっこく待てず正味一日で読み終えてしまいました。

スプーン曲げの清田益章、UFOの秋山真人、ダウジングの堤裕司。
本書は、世間で超能力者として知られている3人の今ある姿を撮った1996年のドキュメンタリー「職業欄はエスパー」の制作ルポルタージュです。

森さんの作品はどれもそうですが、感想を書くことができません。
安易に感想を書く覚悟がなかなかできません。

この本にしても、超能力を「信じる」か「信じないか」という避けては通れない問題を前にして森さんがなんどもなんども答を出せないでいる自分を向き合わなくてはならず、そして答をださないまま終わります。
同じように私も答えを見つけ出せないまま、また、読む以前より多くの問題を残したまま読み終わらなくてはなりません。
そもそもこの世の全てのことには答のようなものがあっても絶対無二も答はないのかもしれません。

最初に森さんを知った ドキュメンタリー映画「A」でもそうでした。
映画に撮られている人も映画を撮っている人も映画を観ている私も途方にくれていました。
たぶん、答を出せないことに。答えがないことに。

マイケル・ムーアの「華氏911」を観ながら、思っていたのは森さんの「A」のことでした。
「職業欄はエスパー」 で使われている「臆面のない正義」がぶつかりあっている「華氏911」は観た人をひとつの方向(ブッシュ批判、またはその逆)に導いていっています。
しかし、「A」は、観終わっても、どこに進めばよいのか判らず途方にくれるしかありませんでした。
「華氏911」では「善と悪」、「真実と虚偽」を明確にしようとしていましたが、「A」には明確にすることの危うさ、「善と悪」、「真実と虚偽」に縛られることの怖さがあります。
それはマス・メディア、しいてはドキュメンタリー映像の怖さともつながっています。
マイケル・ムーアはそのメディアの怖さを利用していますが、森さんは利用することに躊躇し途方にくれているようなかんじがします。ドキュメンタリーを撮る以上その対象に対して、肯定的でも否定的でもない立場をとろうとしていますが、上手く中立の立場にい続けることができないことも途方にくれているようでした。

「職業欄はエスパー」でも「そんな、ばかな」という思いと、「不思議じゃない」という思いがせめぎあって、これといった答えは出てきません。
超能力否定派である大槻教授の過剰な反応さえも、大槻教授の真意がどこにあるかは憶測だけでは語れませんし、批判することもできません。

読み終わってみると、この本についてどう方っていいのか、言葉が見つかりません。
どういう受け取り方をしてもその受け取り方で良いのか悪いのか判らなくなってしまいます。

目に見えているものは全てではなく、見えているものでさえそれが確かに見えているとおりのものかさえ怪しくなってきます。
私の見ている紫色はあなたの見ている同じ紫色なのか?から抜け出せないままでいます。
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