1960年前半(微妙)生まれの男の、映画について、音楽について、旅について、本について、そして人生とやらについてのブルース。自作の詩のおまけ付き。書いているのは、「おさむ」というやつです。
since 6.16.2005
To travel is to live. -H.C.Andersen
2014/11/30
bon というのは、フランス語で、「よい」という意味の言葉らしい。
bon voyageは、よい船旅をが直訳だが、「気を付けて、よい旅を」という
感じで、旅行に行く人に向かって使われたりする(きっと、もう古い表現
なのかもしれない)。
ボン・カレーの発案者の大塚 明彦さんが亡くなった。77歳という年齢だった
らしい。ボン・カレーは大塚食品が日本で初めてつくったレトルト食品で、
「常温で長期保存が可能」「保存料を使わない」という2つのことをコンセプト
としてつくられている。長期保存が可能で保存料を使用していないというのが
すばらしい。
レトルトカレーは結構好きで、大塚食品ではないが、グリコ食品の、LEEシリーズ
が好きだ。10倍とか20倍とか、辛さに幅があるものだ。カレーは辛い方が断然、いい。
野菜やミックスビーンズやガーリックを事前に炒めて、そこにカレーをいれて煮込む。
レトルトカレーを事前に炒めた野菜やソーセージと一緒に煮込む。
それで、栄養価も高くなり、味もぐっと増す。
ボンカレーが出始めて、初めて食べた時には驚いたものだ。
今は、ちょっと物足りない感じがするので、色々なアレンジをしたりすると
インスタント、という感じではなくなる。
ネットで調べると、カレーうどんをつくったり、パスタにかけたり、カレー
パンをつくったり、レトルトカレーは大活躍だ。
大塚さん、あなたの努力は、色々が工夫を生む原動力になっています。
安らかにお眠りください。

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2014/3/11
なかなかおいしい酢豚を出すお店を探すのは難しい。
五目そばがおいしいからと言って(しかし、何かがちゃんとおいしいお店は、
全体においしいのだけれど)、必ずしもおいしい酢豚を出すとは限らないからだ。
しかし、「まずい」酢豚を出すお店は、他の食べ物のすべておいしくないとは
言えると思うけれど(個人的見解)。
横浜の野毛の清華園、名前は忘れたけれど、品川駅から川崎方面に戻ったところ
にある中華料理店、横浜西区の八起、等々。
横浜に住んでいる時に、中華街で酢豚を食べ比べたわけではないので(中華街に
行くと、イベントの気分になるのか、他のものをたのみたくなる)、酢豚博士という
わけにはいかないが。
仕事で、鹿児島県の姶良市(アイラというのが、アイラ島という感じで、ウィスキー
臭がして、いい響きだ。アサヒビール系の焼酎の蔵はあるようだけれど)で、たまたま
昼のランチタイムに入った、雅蓮(ヤレン)という中華料理のお店の酢豚がおいしかった。
久しぶりにおいしい酢豚を食べたという感じで、うれしくなってしまった。
そのお店のランチには、他にも20種類くらいあって、780円で、コーヒーもサラダも
漬物もデザートも付いてくる。1000円近くだったけれど、全部たべてみたい気になった。
ランチだけのためにでも、行く価値があるお店だと思う。
入り口は、少し暗いのでわかりにくいが、中は広く、座敷ばかりのお店だ。
もっと、光を取り入れる構造にすればよかったのにと思ったが、まあ、それぞれの
意図があるのだろう。
他にも、鹿児島市の南栄に、台北海鮮市場というお店を出している会社のようだ。
ランチ待ってろよ。
本日、yahoo で、「3.11」と検索すると、ひとりにつき、10円が東北に寄付される
ということです。少ないことでも、継続が大事です。

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2014/2/25
昨年から始めたことだが(と言っても、一昨年の冬には鹿児島にはいなかったけれど)、
今の時期に、日本中の色々なところの友人に、タンカンを送っている。
タンカンというのは、ポンカンとネーブルの自然交配種(自然というのがいいです、
ポンカン家の「とん」と言います。ネーブル家の「ソニア」です。よろしくお願いします、
というわけで、2人が「くっついた」のだ)のミカン科の常緑樹らしい。
中国の広東省(カントニーズを喋るのだな、マンダリンではないのか、なんのこっちゃ)
がオリジナルで、1896年頃に台湾から移植されたとウィッキ君が言っていた。
現在の産地は、沖縄県と鹿児島県の離島で、屋久島、種子島、奄美大島などらしい。
中でも屋久島のものは有名らしい。1月のみにとれるので、完全に季節ものだ。
希少価値も高いので、「新宿のお値段の高いフルーツ屋さん」などでは、高値で
出ているのだろう。なんせ、輸送料だけでも結構なお値段になる。
そんな、ポンカンは、街の果物屋やスーパー(鹿児島の「超」ローカルなスーパー、
それでも一時は上場(東証2部だったと思う)していた、なかなかの売り上げのスーパー、
タイヨーなどに並んでいる。鹿児島中央の駅前すぐに、ダイエーが大きな看板を
出して存在するが、大きな看板の割には、存在感が鹿児島ではない(まあ、日本中での
ことだけれど、何を隠そう、今の仕事の前は、ダイエーグループの中でも「異色な」
雑貨屋の大中に就職して、渋谷店と原宿店で店長を務めていたのは、僕だ。
雑貨屋特集で、オリーブの記事にも出たことがある。そのオリーブは今でも持って
いる。関西の関西大学というところを卒業して、初勤務が渋谷だった。
4月の入社式は、東京タワーの近くの大きな会場で入社式が行われ、中内さんが
レーザー光線の中、ステージに「移動式の台から」現れたのを覚えている。
ローソンとか、フォルクスとかが、まだ、ダイエーだった頃のことだ。
栄枯盛衰)。
タンカンを買うのは、近くの果物屋さんの、太子堂だ。
そこで、2500円〜3000円のものを買い、1000円くらいの送料を支払うのだ。
そこは親子で経営している果物屋さんで、お父さんらしき人の時も、息子らしき
人の時も、お釣りの向きが、見事にバラバラだった。こういうのって(どこにでも
あるけれど)鹿児島的だな、誰か注意してあげればいいのに、商売って、そういった
「細かい気配り」の積み重ねなのにって教えてあげればいいのに、なんて思った。
全体のサービスレベルが低いと(いい人ばかりのなので、個人の資質の問題という
より、周りの環境と個人の姿勢の問題なのだ)全体のサービスレベルは向上しない。
マージナルな地域にある鹿児島は、その向上の必要性を考えている人は少ない。
しかし、鹿児島の外に出たりして、サービスということの本質をわかって
いる人もいる。わかるというより、体感するのだ(多分、他では当たり前のような
ことを)。そういった人が、細やかなサービスを提供するお店を開いても、なかなか
うまくいかないことも多いと思う。来るお客さんが「気づかない」からだ。
太子堂のお父さんらしき人も、息子さんらしき人も、僕が外に出るときに、
「ありがとうございました」がなかった。まあ、別にそれを求めているわけでは
ないけれど。商売の基本でしょう。京都の街の喫茶店のウェイーターのバイト
でもしてきなさい。こわーい、マスターが商売の基本を教えてくれると思う。
「ほら、ほら、ちゃんとお客さんの方、見とらんと。お冷のグラスが空になって、
さっき、ちらっとこっちの方、見てたで。じぶんに1時間850円はろてんのは、そういう
時のためやろお(お客さんがなんとなく、こっちを見たときに、何か、欲しいもんあるんかな
って気使って、実行してもうらうためにやで)」なんて、穏やかな口調で言われながら。
ああ、こわっ。
新幹線のおかげで、飛行機のおかげで、たくさんの観光客が訪れたとしても、
そのサービスの基本が「おもてなし」として根付いていない限りは、あの土地には、
おいしいものもあるし、雄大な自然もあるし、気候も暖かいし、温泉もあるし、
それに何より、「よく気が付く」穏やかな、いい人たちがいるから、あと100回は
行きたいよにはならない。
現在、致命的なことに、鹿児島には、上の文中の「よく気が付く」が欠けている。
そして、そのことに気付くためには、「よく気が付くが欠けている」、だけに、
ちょっと時間がかかる。
まあいい人ばかりで、過ごしやすいのだけれど、そんな瞬間に出くわすと、
「商売しておいて、そんなこともわからんのかい、お金もうとんやろ、
このぼけがあ」という体の中の「小さな原理主義者」が騒ぎ出すのだ。
タンカン、スィートです。その味を、少しビターにしないように、しないとね。

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2014/2/11
土曜日に、鹿児島の天文館にある、マルヤ・ガーデンズの
ガーデンズシネマで、『ハンナ・アーレント』を見た。
実話を元にした、ユダヤ人の哲学者の物語だ。アンナ・ハーレントの
本を大昔に買ったことがある。『人間の条件』というやつだ。
最終的には読まないまま、古本屋に売ってしまった。
ハンナ・アレーントは、ナチス戦犯のアイヒマンの裁判のレポートで、
世間を騒がせた。
映画は、東京だと、岩波ホールで上映されるような映画だった。
ガーデンズシネマは、小さな映画館で、渋すぎるラインナップで、上演を
続けている。
ハンナ・アーレントの初日は、満員だった。鹿児島にも、ハンナ・アーレントを
見ようとする人はたくさんいるんだと思った。なかなか、やるじゃないか。
天文館のカルロスというお店は、スペインバルだ。
ずっと前に、そこにあるということを知っていて、しかも、ハートランドの
ドラフトを出すということを知っていたので、行ってみたかった。
地下へと降りて行って、オレンジ系のお店に入る。モニターでは映画が流れている。
バックには、何がかっかっていたのだろう。覚えていない。
どんな音楽が流れているか、すぐに覚えるはずなのに。
バスのペールエールがあったので、ハーフを飲む。パイントは、1,100円だった。
横浜のギラソールでも、小倉のアイリシュパブでも、980円とかだったのに、
1,100円はちょっと高すぎる。他にも、様々な種類の瓶ビールもそろえているよう
だった。マスターは、奄美出身の方のようで(選抜の高校野球に、母校の高校が
推薦枠で選ばれたと店内にはってあった)、東京でもずっと飲食の仕事をしてい
たらしい。東京のスペイン料理で修業をしたとどこかにあった。
食べ物は、豆の煮込みと、スペアリブを食べた。食べ物も、凝っていて、そこそこ
おいしく作っているようたった。スペアリブは、800円で、がっつりとくるかと
思ったら、少ない量だった。豆のトマト煮は、もう少しチリソースを多目にして
ほしかった。食べ物も、全般的に値段が高かった。
横浜、東京なら別として、鹿児島で、おいしくて、安く食べられるお店を知って
いるので、カルロスの値段は、関東仕様で、それでいて、料理は、鹿児島の「悪い
方の仕様」だった。スペアリブは、30分ほどお時間をいただきますと言われて
出された割には、冷めていた。
まあ、バスペールエールをドラフトで出している(あしが早いので、回転しないと
無駄になってしまう)ことと、ハートランドのドラフトを出していることは立派
だけれど。
タパス(小皿料理)を提供するという割には、800円辺りの値段の「タパス」主
だった。
そう考えると、小倉のSpain BarOが、どれだけ良心的かということがわかる。
ドラフトのサッポロは、480円で出している。本来の意味のタパスも充実している。
400円〜600円辺りがメインのプライスゾーンだ。
今日は、指宿へと行った。
休暇村指宿へと行き、砂蒸し温泉と、普通の温泉に入った。
砂蒸しは、これで3回目だった。
1回目は、大分の別府の竹瓦温泉で、2回目は、指宿の岩崎ホテルで、3回目は、もう
慣れたものだった。
海岸沿いにある建物で、8月にリニューアルされ、きれいになっていた。
のんびりと温泉に入った。
桜島君のおかげ、鹿児島、温泉だらけです。
おみやげ屋さんで、酒盗を買った。
鰹の内臓の塩漬けだ。
小倉の、ありありで、でよく食べていた。お酒のつまみにはぴったりだ。
鹿児島の枕崎と山川は、鰹の産地で、かつお節の生産、日本1だ。
休暇村指宿では、HONDAの女子ソフトボール部が、キャンプをはっていた。

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2014/1/7
鹿児島には、タイヨーという地元密着型のスーパーがあって、
鹿児島で生まれ、育った鹿児島市内の人であれば、タイヨーで購入された
食べ物を口にしたことがあるはずだ。
自宅の近くにもタイヨーがあって、23時まで空いている。鹿児島の地元で採れた
野菜や魚、果物などがとても充実している。
小倉にいた時には、駅の近くの百貨店っぽいコレットの地下売場くだいでしか、
近くにはスーパーマーケットはなかった。
そのため、結構、野菜を食する量は増えた気がする。元々、野菜を取ろうとする
意識はあるが、ジムの帰りにも寄って、買い物ができる場所があると変わってくる。
今日は、ジムへと寄った後、タイヨーに寄って、七草セットを購入した。
佐賀のJAの商品だった。
さすがに、お粥という気分ではなかったので、鶏も一緒に買い、うどんをつくり、
七草を切って、その中に入れた。七草うどんというところだろうか。
春の始まっていく季節(まだまだ、寒さはこれからだけれど)、生命力の溢れる
植物を食べて、1年の健康を祈願するという意味合いがあるらしい。
正月で、飲み過ぎたり、食べ過ぎたたみに、こきつかっている胃を休ませようと
いう意味もあるらしい。
12月27日は、午後に、白谷雲水峡の半日トレッキングへと行った。
事前にガイドさんを申し込んでいた。
ガイドの吉原さんは、福岡生まれの人で、北海道で大学を過ごし、屋久島へと
やって来たらしい。お客さんは、僕と門真市からやってきた小学校の先生だった。
白谷雲水峡は、もののけ姫のモデルになったということで、有名な場所らしい。
屋久島は、花崗岩ができており、1900m以上の宮之浦岳(九州で一番高い山)が
あったりして、前へと進む毎に海抜が上がり、気温が下がっていく。
白谷雲水峡の入り口では、あられが降り始めていた。
屋久島のトレッキングでは、防水のレインウェアはマストだ。中途半端なものでは、
すべてが水に濡れてしまう。そのことが、その人の体力を奪うなどして、事故に
つながることにもなる。
冬は、オフシーズンだが、その他のオンシーズンの時も考え方は同じだ。
1年中、雨は降り続ける場所だ。レインウェアは屋久島のトレッキングで、
トレッキングシューズに並んで重要なものだと思う。
僕もちゃんと調べて、準備をするまで知らなかった。
なんとなく、「ハイキング」的なイメージしかなかった。
27日は、3時間くらいのトレッキングだった。
ガイドの吉原さんは、細かく、植物のこと、屋久島のことなどを話してくれた。
慣れてなければ、絶対にガイドさんと一緒に行った方がいい。
たくさんの緑が重なりながら、そこに雪の白が落ちてきてた。
緑、感謝です。

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