1960年前半(微妙)生まれの男の、映画について、音楽について、旅について、本について、そして人生とやらについてのブルース。自作の詩のおまけ付き。書いているのは、「おさむ」というやつです。
since 6.16.2005
To travel is to live. -H.C.Andersen
2014/5/15
5月8日は、大阪の本社での会議だった。
朝に移動をして、13時からが開始の時間だった。早めに移動をして
昼食を先にとった。
南森町にある、じゅうじゅう焼きという「粉も」のお店でランチを
取った。焼きそばがおいしいお店で、何度か行ったことがある。
やきそばとお好み焼きのハーフ&ハーフのランチセットだった。
関西でよくある(今では、他の地域でも見かけるが)、お好み焼きや
焼きそばにご飯が付くセットだ。味噌汁はいいとして、焼きそばを食べて、
ご飯をたべるというのは、なかなか勇気がいる。
まあ、関西に住んでいる頃には、普通にそんなセットを食べていたりした
のだけれど、今は、「ふりかけ」くださいという感じになるくらいだ。
それでも、焼きそばもお好み焼きも、なかなかおいしかったので、
なんとかご飯も一緒に食べた。
会議と研修が終わり、ホテルにチェックインをして(翌日も研修だった)、
本当は、なんばのMerry Maker(ロックバー)に行きたかったが、翌日の
研修の準備もあったので、全くお酒も口にせず、つけ麺処のつぼやという
ところに行った。つけ麺は、きっと関東がオリジナルだと思うが、関西にも
たくさんのつけ麺屋さんがある。そこは、なかなかおいしかった。
ちゃんと、だし汁を「蕎麦湯」的に出してくれるのがよかった。
さらに、ホテルへと戻って勉強をする前に、じゃんぼ総本店へと行き、
たこ焼きを買った。
粉もんばかりですが、堪能しました。
作り方や材料は、あまり他の地域と変わりはないと思うが、細部まで
気が配られている気がする。
加味(神)は細部に宿るのだ。
ごちそう様でした。

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2014/4/19
One Pieace の73巻で、コロシアムから出てくる
ルフィーが、大泣きをしていた理由がなぜだかわからなかった。
小倉のSpain Bar Oで、店員の聖二君に、あそこで出てくるとは
びっくりしましたと言ってたので、何が、何がということで、
あの、誰なのかというという疑問を(聖二君は、ちゃんと気を使って
答えは言わなかった)持ちながら、小倉から博多へと向かったのだった。
小倉の朝は、遅く、ホテルでずっとメジャーの試合を見ていた。
同僚と飲んだ前日は、テレビをつけながら眠ってしまったが、
7回くらいで目が覚めた。4時とか5時のことだ。
田中投手が、シカゴカブスを相手に、完璧に近い投球をしていた。
三振を次々ととっていた。
凄い、と思いながら、目を覚ましたら、ダルヴィッシュが投げていた。
ホテルは、11時チェックアウトなので、ベッドの上で、野球を見ながら
(音声を英語にして)ボーっとしていた。
シャワーを浴び、スーツをたたみ、私服に着替えた。
資さん(すけさん、北九州本部のうどんやさんだ、福岡では、チェーンの
うどんやさんというと、うどんのウェストだ)へ寄り、かしわ(福岡では、
鳥のことをかしわという)汁うどんを食べた。そこは、ごぼう天うどんだろ
っというところだが、僕が好きなのは、かしわ汁うんどんだ。玉ねぎも入って、
塩味で、胡椒が効いている。
資さんでは、カツカレーもなかなかいける。
朝の、豚汁変更の朝定食も捨てがたい。
そこから、ローソンで、毎日新聞と日経新聞を買って、小倉城が見える
Tully'sの紫川側の席へ。Tilly's は、今は、伊藤園の傘下にある。
鹿児島のTully's へもよく行く。お城が見える席で、コーヒーを飲みながら
新聞を見るのが好きだ。
その後、ココロ整体院(ここの整体師はみんななかなかのプロフェッショナルだ)
へと行き、60分の施術を受けた。
そこから、新幹線で博多へと行った。
今日、73巻を読み直し、59巻と60巻も読み直した。
One Pieace のことだ。
なぜ泣いていたのか、わかった。
そしてその人物が、革命軍のメンバーになっているということもわかった。
確かに、これからさらに面白さんが増してくるのだろう。
以前の話を読んでみると、様々な発見があったりする。
凄い漫画だと思う。
世界中で読まれるわけだ。
追伸)昨日、村上春樹氏の短編集を買った。前日の福岡でも見つけることは
できなかった。東京では、もう数日前に並んでいたと思う。
まあ、いい、ゆっくりと楽しもう。
物語、物語、物語。

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2014/3/29
仕事で徳之島へと行った。
僕の仕事は、子供向けの学習のフランチャイズの教室のバックアップ業務で、
教室をつくるためのプロモーション活動をしたり、講師になった人への
研修をしたり、電話を通じてのカウンセリングをしたり、外国人講師の生徒さん
たちの英語でのインタビューテストのアレンジメントや監督官をしたり、
教材の手配をしたり、講師募集、生徒募集の広告の手配をしたり、学校前で
チラシを配ったり、クレーム処理をしたり、まあ、なんでも屋さんですね。
徳之島に7年ぶりくらいに教室が出来、その教室を訪問し、研修をして、4月
からの教室運営のプランを一緒に考えたりした。
徳之島へとは日帰りで行く。朝、5時に起きて、鹿児島中央から空港への直通バス、、
6時10分のバスに乗る。バスは、6時10分が始発で、15分、20分と5分
刻みで出発する。朝、東京や大阪や奄美やその他の地区に出発するための
飛行機に間に合わせるためだろう。
辺りはまだ、暗く、桜島の方向の空の上に、右へと開いた薄い、薄い三日月が
浮かんでいた。
ローソンで、毎日新聞と日経新聞を買い、バスの中で読む。空港に近づくにつれ
て、進行方向の右側が、少し明るくなってきた。
バスの車内は、満員だが、とても静かだ。ほとんどの人が、むしりとられた睡眠
を取り返そうとしているからだ。
7時40分発の日本エアーコミュートシステムのプロペラ機で、徳之島へと向かった。
進行方向に向かって、左側の窓側だったので、薄らと春霞がかかった桜島や、
半島の先にいる開聞岳を見ることができた。凛とした感じで、きれいな円を
描いてていた。そして、屋久島がすぐに見えてきた。
徳之島へと行くのは、4回目くらいだったが、初めて天気がよかった。
それまでは、曇りや小雨の天気だった。徳之島は、奄美大島を超えて、沖永良部島
のひとつ手前に位置している。沖永良部の先の与論島、そこまでが、鹿児島県だ。
与論島が、鹿児島県だということを知ったのは、鹿児島へと来てからことだった。
知覧の記念館に特攻隊たちの写真や手紙があって、その解説文の中だったと
思う、戦闘機に乗った若者たちは、開聞岳を後ろに見ながら、それで自分が
本当に日本から離れてしまったということを実感するとあった。
まさに、同様の飛行ルートをなぞっている感じだった。
研修の後に、クジラ岬へと連れてもらった。
クジラを見ることができる場所らしい。そこには、お洒落なカフェがあって、
徳之島コーヒーという、自分たちでつくったコーヒー豆からつくったコーヒー
を出していた。店内には、キッズコーナーもあって、子どもたちが遊べるスペース
もあった。さすが、出生率が日本1の場所だ。子どもを大事にする風土があるのだ
ろう。
クジラを見ることはできなかったが、なかなかいいコーヒータイムを楽しむことが
出来た。広い視界の先には、青い海が広がっていた。
ニライカナイ、それが、そのカフェの名前だった。
沖縄や奄美地方で、理想郷という意味らしい。他界のことだ。
鹿児島中央への飛行機は、徳之島、17時25分発だった。

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2014/1/8
NHKで、やなせたかしさんの番組が流れていた。「アンパンマン誕生の秘密」
そんなタイトルの番組だ。アンパンマンが誕生した秘密を、やなせさんの人生を
たどりながら、探っていくというものだ。
「アンパンマンの、自分の顔をあげて、優しいとこが好き」小さいな子ども
が言っていた。
アンパンマンが初めてヒットしたのは、やなせさんが69歳の時。
アンパンマンは初めは大人の主人公だった。1969年のことだ。
小倉に住んでいた時、北九州九州市立美術館に、やなせたかしさんの展覧会
に行ったことがある。
12月28日は、朝、4時に起きた。5時にガイドの人がホテルの前まで迎えに
来てくれるからだ。屋久島の安房のソラホテルの玄関のところ。
準備をしっかりして行った。外はまだ暗く、肌寒かった。
ガイドさんは、権藤さんという方で、もう一人の参加者は、前日と同じ、
大阪の門真からやってきた、小学校の先生だった。
荒川登山口には、雪が降っていた。出発は6時。
周囲はまだ暗かったので、懐中電灯はマストだった。
足元を懐中電灯を照らしながら歩いて行った。トロッコ道をずっと進み、
進んでいく。途中から朝が明け始め、ライトを消しても大丈夫くらいの
明るさになってきた。
高く上っていくほど、雪は深くなり、10pとか、それ以上積もっていた。
周辺にはたくさんの緑と白が溢れていた。
往復で9時間。途中、休憩を取りながら、歩き続けた。
ガイドさんなしでは、迷ってしまうくらいの道だった。
縄文杉は、標高1300mくらいのところにあった。
確かに、縄文杉は凄いけれど、その周りにある植物体系や、苔や
川の流れや、やく鹿や、それらすべてが、屋久島の魅力なのだろうと
思った。縄文杉を見なくても、屋久島の他の自然に触れることができれば
それでも十分だと思う。
冬のオフシーズンでよかったのかもしれない。
森を歩く人は少なかった。
シーズン時には、縄文杉の前では、鈴なりになって、列ができると
聞いたこともある。
数千年という時間が重なって、風景ができていた。
やなせたかしさんは、昨年、10月、94歳で亡くなった。
戦争体験者で、その戦争を2度と起こしてはいけないという意識を持って
アンパンマンは描かれている。
誰かのためになること。
なんのために生きるのか。
時は流れる。
どんな小さな命も、その時の揺らぎを感じながら、ふとした時に、心を
少し滲ませる。

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2013/12/29
温泉はやっぱり、いい。
鹿児島市内にいると、しかも、自宅から信号を渡ったところ(徒歩3分)のところに
源泉かけ流しの「みょうばん温泉」(大分の明礬温泉とは違います)があったり
すると、温泉が日常的すぎて、そのありがたみが薄れる。
しかも、天然の温泉だ。そして、その天然温泉は、市内の至る所にあり、390円
で入ることができる。
同じ鹿児島県の、熊毛郡の屋久島町の尾之間(おのあいだ)にある、尾之間温泉
へと行った。今日のことだ。
昨日は、朝4時に起きて、6時から10時間歩き続けて、縄文杉を見に行ったからだ。
ガイドの権藤さんと、他に大阪の門真で小学校の先生をしている大木さんの
3人のグループだった。
縄文杉は海抜1300mのところにあり、比較的平坦なトロッコ道(切り倒した森の木
を運ぶために使ったトロッコですね)を歩いて、急角度の山を上っていく。
しかも、雪がどんどこ、ドンと降っていた。
普通に運動はしているので、運動量としては、大したことはないが、雪が降り積もった
中をざっ、ざっと歩き続けるのは大変だ。
アイゼンをトレッキングシューズにつけていないと歩いてはいけない。
ハイキングのちょっと大変なやつ、なんて思っていると、とんでもない。
水を通さない上下の雨具をしっかりと用意して、防水のグラブをつけて、
ハイカットのトレッキングシューズを履いていないと、足をくじいてしまったり
する。
じわーっと、温かいお湯が、体を温めていく。
尾之間は、よく行く「すんません」という立ち飲み屋さんの店長が生まれ育った
場所らしい。
安房から尾之間にかけては、南の島という空気に溢れている。
屋久島は、北部に雨が降っていても、南部は晴れているということがあるくらい、
気候が時期によって、時間によって、変化するらしい。
(続く)

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