1960年前半(微妙)生まれの男の、映画について、音楽について、旅について、本について、そして人生とやらについてのブルース。自作の詩のおまけ付き。書いているのは、「おさむ」というやつです。
since 6.16.2005
To travel is to live. -H.C.Andersen
2010/5/23
ワールドカップが6月11日(現地、南アフリカ時間)に開催される。
この4年毎のイベントを心待ちにしいているファンは多い。サッカーがファンが
増え始めたのは、2002年の日韓両国での開催からだ。勿論、その前のフランス大会
がきっかけになっていることは間違いないが。
6月11日の初戦は、南アフリカとメキシコ(メキシコはなかなか強い)の試合が
行われる。日本の初戦は、14日に行われるカメルーン戦だ。カメルーンには、今大会
のポスターのモデルにもなっているエトーがいる。手強い。観客は、アフリカからの
チームを応援するだろう。
1998年(フランス)→2002年(日本・韓国)→2006年(ドイツ)→2010年(南アフリカ)。開催された年度、その頃のことを思い出すと、本当にあっという間だという
ことを痛感する。
フランス大会を見ていたときには、横浜に住んでいたが、夜、どこかで試合を
見ようと伊勢佐木町辺りを歩いていた。松阪屋の前には、人盛りが出来ていた。
横浜の松坂屋の入り口には、We Love Baystars(ちょっと違う表現かもしれないけれど)とあった。その人盛りは、メジャーデヴューを果たしていた(果たしたばかり?)
の、ゆず のストリートライブだった。
日韓共同開催の時は、新宿が勤務地だったが、住んでいたのは横浜の東横線の
妙蓮寺というところで、隣の菊名から3つ目か4つ目くらいのところに、スタジアム
があった。そこにある横浜国際総合競技場だった。そこでは、ブラジルとドイツの
決勝戦が行われた。決勝で勝ったのはブラジルだった。ドイツのゴールキーパー
の、オリバー・カーンが愕然とゴール前で座りこんでいた「絵」が印象的な
大会だった。その時に、活躍していたブラジルの選手は、ロナウド(ポルトガルの
C.ロナウドとは違いますね)だった。ロベルト・カルロスもいた。左の強烈な
シュートの持ち主だ。
横浜国際総合競技場は、2007年には、FIFAワールドカップ
では、ACミランと浦和レッズの準決勝が行われて、1-0でミランが勝った。
そうそう、日本がワールドカップで、ロシアに1-0で勝ったのも、その
ワールドカップ初勝利は、その横浜国際総合競技場で行われた。
横浜市は、相当の赤字で、そこを運営している。だから、ネーミングライツ
で「日産スタジアム」という名称をつけている。しかし、それぞれの大会で
規定があるために、名前は、大会毎に変わっていく。大分のトリニータの
本拠地も一緒だ。
ドイツ大会の時には、兵庫県の西宮に戻っていた。その頃は、教材をつくってた。
その時の記憶が最も、薄い。夜遅く、なんとなく、ほわんと終わってしまった
という感じだった。中田英寿選手が、ブラジルに負けて、ピッチに寝込んで
立ち上がれなかった大会だ。その時、フィオレンティーナで同僚だった
ブラジルのアドリアーノが声を掛けにきたのが印象的だった。
それぞれの人が、オリンピックと同じように、その時に何をしていたか、
世の中が一喜一憂していた時に、個々の人生に何が起こっていたか、
そのことを記憶する「印」のようなものでもある。4年毎のイベント
は。
昨日テレビで、1986年のイングランド(その時には、スコットランドもウェールズ
もノーダン・アイルランドも出ていた?)とアルゼンチンの試合が流れていた。
カクウチスタイル ありありでに行って、SPAIN BAR 0 に寄って、タクシー
で大雨の中、部屋へ戻ってのことだった。
86年のワールドカップの準決勝で、マラドーナの「神の手」のゴールと
5人抜きのシュートが決まった試合だった。
元Jリーガーが解説をしていたが、試合のペースは、現代サッカーよりずっと
スローだし(プレスも甘い)、今のように全員が走り回るサッカーでは
なかった(サッカー選手の引退が早まったのも、その圧倒的な運動量の
増加による)。しかし、テクニックやボールへの執着は、今と同じだった。
1986年、僕は、時々、ダイアモンドサッカーを見ていたけれど、ワールドカップ
には興味はなかった。大学の友人は、サッカー好きで、サッカーの話ばかり
していた。勿論、Jリーグもそこにはなかった。
昨日、ギラヴァンツ北九州の試合を見に行った。本城陸上競技場だ。
ギラヴァンツ北九州は、今年J2に昇格したチームで、ニューウェーブ北九州
が前身となっている。J2での順位は、下から2番目18位だ。
昨日の相手は、アビスパ福岡で、初めての福岡ダービーということだった。
少ないチャンスはあったが、全体として、アビスパに押されていた。
観客は、7000人ちょっと。いつもはもっと観客数が少ないのだと思う。
アビスパは、J1で戦っていたチームだけあって、サポーターも「数的」に
もオーガナイズされていた。仕方ないと思う、それが重ねてきた時間の差
なのだ。
北九州市民でも、ギラヴァンツ北九州の認知度は、まだまだ低い。
それだけに、J2まで昇格したチームになったのだから、次は、また降格しない
ようにして、ファンとの接点を多くするなどして、少しずつ知名度を上げて
いくしかない。まあ、チームが強くなる、さらには、負けっぷりもカッコいい
というチームになることが一番だけれど。ギラヴァンツ北九州のアカデミー
デレクター(下部育成、子どもチーム育成でしょうか)の小野信義(しんじ
じゃないよ)は、横浜FCの象徴的な存在だった。横浜FCは、横浜
フリューゲルスが横浜マリノスの合併した時に、残ったチームだ。
さて、あなたは、どこでワールドカップを見ますか?

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