1960年前半(微妙)生まれの男の、映画について、音楽について、旅について、本について、そして人生とやらについてのブルース。自作の詩のおまけ付き。書いているのは、「おさむ」というやつです。
since 6.16.2005
To travel is to live. -H.C.Andersen
2014/3/30
徳之島へと日帰りで出張に行っていたのは、金曜日のことだ。
徳之島から鹿児島中央へと戻ったのは、18時20分辺り。
天気は曇りになっていた。
バスで霧島の山を背景に見ながら、鹿児島市街地への向かっていく。
窓の外はもう暗くなってきている。
バスの中では、イーグルスのホテルカリフォルニアをウォークマンで
聞いてた。ホテルカリフォルニアのアルバムは、僕のお気に入りの
アルバムだ。
ホテルカリフォルニアではなく、2曲目からの、ニューキッドインタウン
から聞くことが多い。
事務所へと寄り、荷物を置いて、事務をこなして、事務所を出た。
なんとなく、お好み焼きが食べたくなったので、天文館へと行き、グルメ通りの
目黒へと行った。店主の江並さんは、東京でも働いたことがある、鶴丸高校
(頭、いいですね。鹿児島では、ラ・サールと鶴丸の派閥が、あるところには
あるそうです)出身です。ジャイアンツファンで、丁度、タイガースとの
開幕戦だった。ジャイアンツが勝って、嬉しかったと思う。
当日は、撮影のため貸切になっていた。
鹿児島では、武岡トンネル入り口のお好み焼きさやさん(探偵スクープナイト
にも出たことがあるらしい。他にも地元のテレビ局がいくつも取材に来ている。
どういうことだ、名前を忘れてしまったぞ。4回は行っているのに)
が、1番だ。2番目が、目黒だ(東京の目黒から名前を取っているそうです。
実は、焼酎の品ぞろえもいいです。天狗櫻とかあります、しかもにごりで)。
仕方なしに、満月に行ったが、満月もいっぱいだったので、COBA に入った。
天文館から、屋台村へと行き、入り口のところにある維新館に入った。
維新館は、アミュプラザのB1Fで、焼酎を販売している。
その維新館が、焼酎バーとして、屋台村に出しているのが、維新館だ。
その店は2回目で、店長の小田さんは、様々な珍しい焼酎をすすめてくれる。
その維新館がある、アミュプラザは、今年の秋にリニューアルをする。
別館ができ、そこには博多、と同じように東急ハンズが複数階に入る予定だ。
さらに、3月27日の日経に出ていたが、渋谷の109を運営管理している
東急モールズディベロップメント(東京急行電鉄系、まさに関東系列の会社ですね)
が、鹿児島のアミュプラザに進出すると発表していた。
20店舗が入るらしい。109が東京の渋谷以外に進出するのはM、大阪に
次いで、2ケ所目らしい。
109のお客さんの10%は外国人らしい(おそらく、台湾、中国、韓国、
東南アジア諸国)の若い女の子たちですね。
鹿児島は、きっとその海外からの旅行者は多いのだろう。
鹿児島、実は、熱いです。
暑くもなってきましたが。/span>

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2014/3/29
仕事で徳之島へと行った。
僕の仕事は、子供向けの学習のフランチャイズの教室のバックアップ業務で、
教室をつくるためのプロモーション活動をしたり、講師になった人への
研修をしたり、電話を通じてのカウンセリングをしたり、外国人講師の生徒さん
たちの英語でのインタビューテストのアレンジメントや監督官をしたり、
教材の手配をしたり、講師募集、生徒募集の広告の手配をしたり、学校前で
チラシを配ったり、クレーム処理をしたり、まあ、なんでも屋さんですね。
徳之島に7年ぶりくらいに教室が出来、その教室を訪問し、研修をして、4月
からの教室運営のプランを一緒に考えたりした。
徳之島へとは日帰りで行く。朝、5時に起きて、鹿児島中央から空港への直通バス、、
6時10分のバスに乗る。バスは、6時10分が始発で、15分、20分と5分
刻みで出発する。朝、東京や大阪や奄美やその他の地区に出発するための
飛行機に間に合わせるためだろう。
辺りはまだ、暗く、桜島の方向の空の上に、右へと開いた薄い、薄い三日月が
浮かんでいた。
ローソンで、毎日新聞と日経新聞を買い、バスの中で読む。空港に近づくにつれ
て、進行方向の右側が、少し明るくなってきた。
バスの車内は、満員だが、とても静かだ。ほとんどの人が、むしりとられた睡眠
を取り返そうとしているからだ。
7時40分発の日本エアーコミュートシステムのプロペラ機で、徳之島へと向かった。
進行方向に向かって、左側の窓側だったので、薄らと春霞がかかった桜島や、
半島の先にいる開聞岳を見ることができた。凛とした感じで、きれいな円を
描いてていた。そして、屋久島がすぐに見えてきた。
徳之島へと行くのは、4回目くらいだったが、初めて天気がよかった。
それまでは、曇りや小雨の天気だった。徳之島は、奄美大島を超えて、沖永良部島
のひとつ手前に位置している。沖永良部の先の与論島、そこまでが、鹿児島県だ。
与論島が、鹿児島県だということを知ったのは、鹿児島へと来てからことだった。
知覧の記念館に特攻隊たちの写真や手紙があって、その解説文の中だったと
思う、戦闘機に乗った若者たちは、開聞岳を後ろに見ながら、それで自分が
本当に日本から離れてしまったということを実感するとあった。
まさに、同様の飛行ルートをなぞっている感じだった。
研修の後に、クジラ岬へと連れてもらった。
クジラを見ることができる場所らしい。そこには、お洒落なカフェがあって、
徳之島コーヒーという、自分たちでつくったコーヒー豆からつくったコーヒー
を出していた。店内には、キッズコーナーもあって、子どもたちが遊べるスペース
もあった。さすが、出生率が日本1の場所だ。子どもを大事にする風土があるのだ
ろう。
クジラを見ることはできなかったが、なかなかいいコーヒータイムを楽しむことが
出来た。広い視界の先には、青い海が広がっていた。
ニライカナイ、それが、そのカフェの名前だった。
沖縄や奄美地方で、理想郷という意味らしい。他界のことだ。
鹿児島中央への飛行機は、徳之島、17時25分発だった。

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2014/3/26
福岡の海の中道を走るマラソンは、第27回目のはるかぜマラソン大会だった。
気温17.7度、湿度45%、20kmの記録は、2時間17分36秒だった。
2時間30分がリミットのタイムで、なんとか完走できたのと、2時間30分以内
で走れたことが、よくできましたという感じだった。
27回にもなるのだから、もう10回以上も参加している人もいるのだろう。
20kmは、10kmのコースを2周するというものだ。
途中から先を急ぐランナーたちが、どんどん前へと進んで行く。5kmくらいから
だんだん位置関係が落ち着いてくる。僕は、前を走る黄色のランニングウェアを
(僕も黄色だった)着た女性が同じようなペースで走っていたので、そのあとを
ずっとついて行った(ストーカーだな)。ペースが少し速かったので、抜かすことは
途中までなかった。残り5kmくらいになって、その女性を抜かして行った。
心で、ありがとうと言いながら。
結構な汗をかいていた。そういえば、3月9日には、薩摩川内市の10kmの
マラソンにも出ていたのだった。まあ、仕事が多忙で、練習ができなかったので、
20kmのマラソンのための、調整のようなものだった。
当日の参加は、5000人弱だった。20kmだけではなく、10kmや
5kmがあった。
出来るだけ早く、シャワーを浴びたかった。
博多で、スーパー銭湯のようなものがあるだろうか。ホテルしかないよなと思っていたら、
そうだ、二日市に行こうと思い浮かんだ。
小倉方面に博多の先にあった。小倉に住んでいた時に、二日市温泉に行ったことが
あったからだ。
夕方の前の時間、御前の湯は、結構、混み合っていた。
なかなか素敵なお湯だった。いつも、桜島ベースのがつんとしたお湯につかっていると
二日市の温泉のような場所がアクセントになる。
体を洗って、ゆっくりと湯船につかったときの幸せといったら、ふーっと
いう感じだった。がじがじかちの体がほぐれていった。
博多へと戻り、中洲の、奉天食堂に行った。
中華そばが売りのお店だ。もつ入りの中華そばをたのみ、ブラックチャーハンを
たのみ、ビールを飲んだ。ビールがとんでもなくおいしかった。
僕は、カウンターに座った。背後には、久しぶりに会ったという雰囲気のグループ
がいた。40代から50代の人たちの集まりで、昔の中州のことを(どこに何が
あって、よくそこに行っていたとかいう話)していたので、福岡の人たちの集まり
という感じだった。時々、関西弁が聞こえてきたが、ほとんどは、「〜違うとよ」
「〜ばい」なんていう語尾で、心地よかった。
日が長くなり、中洲辺りはのんびりとした日曜日の雰囲気に溢れていた。
櫛田神社に寄った。櫛田神社は、博多区にある神社で、古くから博多の氏神・
鎮守寺としての信仰を集める場所だ。
境内には、枝垂桜があった。
そこにカップルがいた。日本人のカップルのようだったが、30代初めくらいの
好青年風の男が、"Excuse me.sir. Could you take a picture?"
と聞いていた。隣には、清楚な感じの女性がいた。
"Sure. No problem.""Smile." と言って、写真を撮った。
台湾からだろうか、韓国からだろうか、中国だろうか、とても感じのいい
カップルだった。健やかな子が生まれ、その子が、電車の中で、靴のまま
座席に足をのせていたりすると、優しく、しっかりと注意するような、
そんなカップルだった。いつまでも幸せにね。
辺りは日曜日の夕暮れの優しい空気に溢れていた。
なんか嬉しかった。
世界は、ほんのりとした優しさで溢れていた。

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2014/3/25
土曜日は、ランニングの前日だったので、お酒も抜きだ。
マラソン、マラソンと偉そうに書いているが、フルマラソンは走ったことはないし、
ランニングの大会に出場したのも、6年弱前に、小倉に赴任になった9月にアキレス腱
を切って(それまで、骨折も含め、大きな怪我はしかたことがなかった)、12月に治り、
1月くらいからジムへと復帰し、怪我したことの「腹いせ」に、よし、ランニングの大会
に出てやろうやないか(なぜか関西弁)ということになったわけだ。
小倉的に言うと、「いっちょ、走るちゃ」、博多的に言うと、「いっちょ、走るとよ」
(すみません、福岡県の凄い田舎の生まれですが、関西歴が長すぎて、福岡の言葉を
忘れとっっちゃ)なんて感じで、たまたま、「そこにあったのが」門司港の10q
マラソンだった。普段、ジムのマシンで走ることが多いので、たまに、大会で外を
走ると呼吸がしにくくなるのだ。
今までに走ったのは、門司港の10q数回に、平尾台のクロスカントリー的な(これは
きつい、山の斜面を走るのだ)10qに2回、桜井島のハーフマラソンに1回という
ところだ。今年は、フルマラソンを完走したいと思っている。そうそう、若松区(北九州市)
での10qの大会にも出たことがある。翌年から、10qがなくなってしまった。
日曜日の朝、小倉にある、元亀の井ホテルに宿泊した(駅から遠いが、そこしかなかったの
だ)。博多のホテルは取れなかった。朝早起きをして、朝食を食べ、タクシーで
小倉駅まで行き、新幹線で博多へ。博多から地下鉄に乗って、天神で降りて、タクシーで
ベイサイドプレイスへ。そこから、フェリーで、海の中道公園へと向かう。
その公園の先にある志賀島は、大昔、親戚たちと一緒に行ったことのある場所だった。
40年近く前のことだ。写真だけは残っていたので、その雰囲気だけは残っている。
20q、その距離は2回目の体験だった。
走り始めは、2qまでに、もうだめだ死ぬって感じになる。空気を求める金魚の
ように。それからましになって、あとは継続する。

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2014/3/24
金曜日は、祝日だった。ずっと仕事が続いて、結構、休日も出勤だったので、
今週は出勤だった土曜日に、2月の休日出勤の振り替え休日を入れて、3連休
にした。23日の日曜日が、福岡の海の中公園での20kmのハーフマラソン
にあたっていたからだ。エントリーしてからというもの、時間があったが、
仕事忙しいということもあり、なかなか走り込みができなかった。
本当に走れるのだろうかと心配だった。
当日は、10時受付だったので、前泊は決めていたけれど、どうせなら
金曜日から泊まって、小倉に行こうじゃないのということで、金曜日に
ジムへと行き、6qを50分くらいで走り、天文館でランチを食べ、宮崎の
手作り展で購入したシャツのボタン用のブルーの糸を購入し、夕方の始まりの
時間に、みょうばん温泉へと寄った。まだ、春場所の幕の内が始まる前くらいの
時間帯だ。その割には、結構、お客さんはいて、源泉かけ流しの熱めのお湯に
浸かって、顔を赤らめていた。
金曜日の夜、新幹線で小倉へと向かって移動した。
思い付きだったので、じゃらんで宿泊場所を探したが、なかなかすぐに
見つからなかった。なんとか見つけて、申込みをした。
荷物の中には、ランニングシューズに、ランニングギア、その他もろもろ。
北海道では、雪が降り、暴風が吹いてた。
Spain Bar Oへと寄った。
久しぶりに「ディーセント」なサッポロのビールを飲んだ気になった。
いつものように長いテーブルには、たくさんのお客さんが腰かけていた。
1月に入って、どういうわけか、焼酎が僕のお酒の中心になっている。
焼酎をちゃんと受け入れられる体質になってきたのかもしれない。
さすが、ほぼ1年と10か月弱の鹿児島人の俺。

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