1960年前半(微妙)生まれの男の、映画について、音楽について、旅について、本について、そして人生とやらについてのブルース。自作の詩のおまけ付き。書いているのは、「おさむ」というやつです。
since 6.16.2005
To travel is to live. -H.C.Andersen
2013/9/30
楽天の優勝のシーンを後から見たのは、その当日のスポーツニュースでの
ことだった。仕事の後に、Paradise Valley へと行って、サッポロのドラフト
を飲みながら、マー君の気迫のこもったストレートのシーンから、パレス立川
(どこですか?)のライブのビールかけまで、Paradise Valley の大きなテレビの
スクリーンで見ていた。
毎日新聞に出ていた。
プロ野球に50年ぶりに新規参入した、東北楽天イーグルスの初戦は、2005年3月26日
だった。相手は千葉ロッテマリーンズで、3−1で楽天が勝利する。ピッチャーは、現
マリナーズの岩隈選手だった。しかし、なんとかつくったチームは、17人が35歳以上。
翌日は、0−26という歴史的大敗。その後、11連敗。当日の監督は、田尾 安志監督だった
(そういえば、そうだった)。その年の勝率は、2割8分1厘。首位との差は、51.5ゲーム
だったらしい。51.5ゲームって。
そこからチームは、初優勝へとなった。
本当に、おめでとうございます。
球団創設から、ホームが東日本大震災に合ったりするなどの経験もしている。
嶋選手の「・・・、見せましょう、野球の底力を」の台詞もよかった。
よかった、よかった。
こうなったら、日本一しかないでしょう。
でも、マー君は、やっぱり、メジャーに行くんだろうな。
最後の打者は、すべて150km超えですからね。
8球連続、ストレートですから。
でも、メージャーでは、150kmは普通だったりするので、
ちょっと変化する球だったり、縦に変化する球が大事だったりするようなの
ですが。
メジャーへ行くならば、
それはそれでいいけれど。
そしたら、楽天は一挙に、勝ちを稼げなくなる、と思う。
そうか、でも、メジャーリーガーもいるし、メジャーから戻った、松ちゃんと
斉藤さん(東北出身ですね)もいるしね。
日曜日の夜の番組に、野村監督が出ていたけれど、野村監督が土台をつくったところ
があるからね。
まあ、未来を向いて、未来は気にしないで。

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2013/9/28
FRというのは、Fun Ride の略で、鹿児島市にある自転車屋さん、そして
バーだ。店舗は別々にある(結構、近い)。店主は、元競輪の選手で、今は、
鹿屋体育大学の自転車部のメカニックを担当している。
カールスバーグのドラフトを出すお店だ。カールスバーグは、デンマークの
ビールで、好きなビールのひとつだ。僕が横浜に住んでいた時に、よく行って
いた桜木町の野毛のバーキネマのドラフトビールは、カールスバーグだった。
カールスバーグはサントリーだ。
FRで、メリダのクロスバイクを買った。FRで安く割引されていたからだ。
新シーズンの新しいものが入ってくるので、今年のデザインが安くなっていた
のだ(1年のデザイン遅れが安くなる意味がよくわからないが、買う側から
するとありがたい。薄い玉虫色のカラーだ)。
メリダは、台湾のメーカーで、ツール・ド・フランスにも参戦していたイタリアの
チームのランプレ・メリダの自転車が、メリダだ。
実は、ジャイアントも台湾のメーカーらしい。FRの店長さんと話をしていて
初めて知った。
土曜日は仕事を終え、FRに寄った。21時を超えていた。
テレビは、いつもの通り、Jスポーツに合わされていて、プレミアリーグの
試合が流れていた。LIVE という文字が画面の右上で踊っていた。
チェルシーとトットナムのロンドンダービーの試合だ。149回目のロンドン
ダービーだったらしい。
チェルシーの監督は、モウリーニョだった。モウリーニョ、戻ってきていたんだ。
知らなかった。チェルシーには、マテがいて、フェルナンド・トーレスがいて、
アシュリー・コールがいて、ジョン・テリーがいて、ランパードがいて、
オスカルもいる。モウリーニョはいつも、そんな選手を率いて、まとめている
のだ。
ゲームは、アップテンポで、おもしろかった。最終的には、1−1だった。
残り10分くらいで、フェルナンド・トーレスが退場になっても、チェルシー
はひたすら、攻め続けていた。サッカーは、リズムがあればおもしろいのだと
あらためて知った。
その後には、マンチェスター・ユナイティッドとウェスト・ブロミッジのゲームを
放送が流れてきた。ビールのおかわりをしながら、フィッシュ&チップスや
出来立てのポップコーンやエビチリのだいやめセットを食べながら、試合を見た。
香川選手が今シーズン初めて出場した試合だったようだ。
その前の試合と違って、あまりおもしろくなかった。
どこからその違いが来るのかはわからないが、それはその日の科学反応のような
ものなのだろう。
秋は少しずつ深まりゆくようで、店の外には秋の色をまとった風が吹いていた。
先週の日曜日には、佐賀県に、FC鹿児島とヴォルカ鹿児島の試合を見たばかり
だった。昼の佐賀県は、まだまだ夏の真っただ中という感じだった。

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2013/9/25
年間の日本への訪日外国人の数は、836万人だ。
この数字は、フランスの8302万人の1/10だ。次いで2番目の、アメリカは6697万人。
中国の5773万人が3位。スペインが57770万人、イタリアが、4636万人だ。
日本は、観光立国を目指して、1000万人という人数を近いハードルとして設定
している。今年は、1月〜7月の累計が、686万人を超えた。今年は、1000万人を
超えるのではと期待されている。
東南アジア、アメリカ、南ヨーロッパ、北欧、東アジアの地区へと観光に行った
経験があるが、日本は、外から旅行してきても、他の国に劣らない(むしろ、安全性
が高く、街がきれいな国)観光資源を持っている。
それを世界のたくさんの人にみてもらうということは大事なことだ。
アメリカのフルブライト奨学金制度は(今もあるのかどうかはわからないけれど)、
世界中の優れた頭脳をアメリカの大学で留学してもらおうという制度だ(と思う)。
それは、アメリカの気前の良さというものもあるかもしれないが、その奥には、
将来その国の中核となるような人材を集めて、アメリカに援助してもらったという
強い印象を残しておけば、将来的に、アメリカの不利益になるようなことはしなくなる
だろうという狙いもある。それが、政治なのだ。
観光も同じで、経済的にお金をどんどん落としてもらうという、経済的な効果より、
その国を知ってもらって、いい印象を持ってもらえば、その国の人間を個人的に
理解してもらえば、その国と戦争をやらかそうという気持ちも、ぐっと減る。
相手が何を考えているのかがわからないというのが、一番、不気味な恐怖を与えるのだ。
まあ、円高ということもあった。ここのところの円安で、観光客が増えているという
こともある。
クールジャパンで、一部の人だけを引き付けるのではなく、たくさんの人たちを
引き付けるための戦略が必要なのだ。
東京オリンピックはいい機会だ。
訪日外国人が、年間836万人。
鹿児島へ県外から訪れる年間の人数800万人と言われている。
どうです。どれだけ少ないかがわかるでしょう。

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2013/9/23
サッカー九州リーグは、社会人のリーグで、JFLの下の位置にある。
各地区の地区リーグのチームが最終的に試合をして、JFLへと昇格と
なる。J3が来年からできるが、今までは、JFLがJ2への入り口だったのだ。
九州リーグには、10チームくらいのチームがあって、いつも鹿児島の2チーム
が、1位、2位の順位を取っている。FC鹿児島とヴォルカ鹿児島の2チームだ。
会社が、FC鹿児島のスポンサーのひとつになっていることもあって、何試合
か、FC鹿児島の試合を見に行ったことがある。
その九州リーグの今季の最終戦が、9月22日だった。九州リーグは、九州の
各地で行われる。今回は、佐賀の運動競技場だった。
最終戦は、FC鹿児島とヴォルカ鹿児島の1位と2位の試合だった。
前日に、ヴォルカ鹿児島が優勝を決めていたが、Jリーグに近い鹿児島の2チーム
が戦うのは、これが最後だった。
2チームは来シーズンから合併することが決まっているからだ。
佐賀には、両チームのサポーターが鹿児島から来ていた。
僕も佐賀へと行った。九州で行ったことないのが、佐賀県だけだった。
連休もあったので、佐賀まで行き、そこから小倉で1泊し、なじみの
お店に行くつもりだった。丁度、1週間前に、福岡での研修のついでに、
小倉へと行ったばかりだったけれど。
佐賀は、他の九州の地域と同じで、蒸し暑い夏の日が戻ってきたようだった。
サッカー場は、スタジアムではなく、2面の芝生のサッカー場で、隣では
別の試合が行われていた。
ヴォルカ鹿児島は、優勝を決めて、2軍級の選手ばかりを出していたそうだ。
鹿児島のサッカー史において、最後のダービーなのに、それはないだろと
思った。
それでも、試合は、4−0でFC鹿児島が勝った。両チームのサポーターは、
鹿児島の人ばかりで、佐賀でありながら、そのサッカー場は、鹿児島だった。
芝生は緑で、背景には白い積乱雲が浮かんでいた。
僕は、まだ鹿児島、1年3ヶ月なので、それほどではないが、ずっと何年も
サポーターだった人たちは、複雑な思いだったろう。
選手も、全員が残れるわけではない。それも複雑だろう。
なかなか清々しい試合だった。
鹿児島のサッカー界は変わっていくのだと思う。
佐賀に来たからにはということで、思い切って、佐賀牛のステーキを
佐賀の日本酒を飲みながら、季楽というレストランで食べた。
おいしかった。
佐賀から博多まで特急に乗り、そのまま小倉までの特急に乗り換えた。

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2013/9/22
太陰暦は、月の満ち欠けを基にした暦だ。英語では、lunar calendarという。
因みに、太陽暦は、solar calendaという。lunatic は、狂気じみたとか、
狂人のことだ。以前、ネイティブに、lunatic calendar と言って笑われたこと
がある。そうだよね、気違い歴、なんだから。
その太陰暦(旧暦)で、8月15日に当たる9月15日が、中秋の名月だった。
旧暦で、8月、9月、10月が秋だったので、その真ん中の8月15日が、今年は、
太陽暦の9月15日ということだ。毎年、変わるのだ。
中秋の名月が、必ずしも満月になるとは限らない。
それが、今年は満月だった。次回、満月と中秋の名月が重なるのは、2012年、
つまり、東京オリンピックの翌年だ。
満月の夜は、出張からの帰りだった。新大阪18時55分発、鹿児島中央行、みずほ
607号で帰った。新倉敷辺りで見えた中秋の名月は、福山駅を通過する頃には、
進行方向と反対の方向に消えていった。
進行方向の左側の席で、広島の
ズームズームマツダスタジアムや、徳山の工場の夜景も見える場所だった。
広島市民球場から、今のスタジアムになって、広島駅沿いになったことで、
新幹線から観客席や内野の芝生まで見えるようになった(まあ、新幹線から
見えることを意識して作られたところはあるけれど。無料の広告費なのだ)。
丁度、タイガース戦が行われていた。1−1だった。
月は、東の方向に浮かんでいた。サッポロの缶ビールを飲みながら、新大阪で
買った「道頓堀くくる」のたこ焼きを口にしながら、月を眺めていた。
博多から鹿児島中央は、北から南へと進んでいく。丁度、月は左側の窓でずっと
踊っていた。
僕たちは、時々、月とか、星とか、森とか、海とかに触れて、自分が地球の
なかに、ぽつんといるんだということを自覚する必要がある。
僕たちは自然を制御しているわけではないのだ。
時々でも、地球に対する畏敬の念(というより、宇宙に対する)を持つ必要がある。
鹿児島中央に着くと、灰が降って、満月が少しかすんでいた。
鹿児島で月を眺めるには、目に灰が入らないように、注意しないとね。

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