1960年前半(微妙)生まれの男の、映画について、音楽について、旅について、本について、そして人生とやらについてのブルース。自作の詩のおまけ付き。書いているのは、「おさむ」というやつです。
since 6.16.2005
To travel is to live. -H.C.Andersen
2013/7/22
14日は仕事で、15日も仕事だった。16日には、仕事を終えた後、
新幹線で大阪へと行った。翌日から2日間の出張だった。7時55分の
鹿児島中央駅から、最終に乗って、新大阪に11時45分辺りに着いた。
少しゆっくり移動していたら、東梅田から南森町への地下鉄の最終は
終了していた。
地上に上がり、東通り商店街(大学の時に、よく友人と行ったディスコ、当時
は、クラブとは言わなかった、その数年後、原宿で働いていた時には、CLUBD と
いう言い方はもうあったけれど、があった通りだ)を抜けて、タクシーをつかまえて、
南森町へのビジネスホテルへと行った。ホテルにチェックインをして、外へと出て、
天満の商店街の入り口のところにあるうどん屋さんに入って、カレーうどんを食べた。
日付が変わろうとしているのに(もう変わっていたか)辛い、カレーうどんだった。
大阪のうどん屋さんでは、結構、カレーうどんは定番だ。
あまり、九州でも、関東でも、それほど多くはなかった。
16日、研修を終えて、御堂筋線に乗って、難波へと行った。
Merry Maker へと行くためだ。
馴染みの木の扉を開けると、馴染みの人がいた。結構、いつか顔をみたことがあるな
という人がいた。その昔は、カールスバーグがドラフトであったが、今はなくなって
しまった。その代わりに、バス・ペールエールのドラフトがある。バス、普通のビール
より足が速いと思う。
バックには、ジャクソン・ブラウンが流れていた。
佐野さんも元気そうで、楽しく時間を過ごし、ビールもおごってもらい、よし、よし、
こうでなくっちゃと、12時の日付が変わる頃に、帰ろうかと思っていたら、同僚が
なだれ込んできた。仕方なしに、呑み続けていると、3時くらいになってしまった。
午前3時とかまで飲むのは久ぶりのことだった。
タクシーに乗って、ホテルまで帰った。
翌日は、結構きつかったが、ちゃんと8時前には起きて、「あまちゃん」を見た。
ここ毎日の習慣になった。
鹿児島へと戻ってきて、土曜日、FRへと行った。
まだまだ、ツール・ド・フランスの放送が、Jスポーツで流れていて、男たちが、
ひたすらフランスの山道を走り続けていた。
ステージ20、最終日のステージ21日の1日前だった。
カールスバーグを飲みながら、焼いたイカを食べた。
焼いたイカは、いつものメニューではなく、夏の屋台の感じを出すための
特別メニューということだった。
6月燈は、鹿児島の様々な神社で、行われていた。
夏休みが始まり、街には子どもの姿があふれ始めた。
2年目の鹿児島の夏です。
よろしくお願いします。
(誰に挨拶?)
勿論、桜島さんにでごわす(関西の「そうでおまんねん」と同様、そんな
喋り方している人、鹿児島にはいない)。

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