1960年前半(微妙)生まれの男の、映画について、音楽について、旅について、本について、そして人生とやらについてのブルース。自作の詩のおまけ付き。書いているのは、「おさむ」というやつです。
since 6.16.2005
To travel is to live. -H.C.Andersen
2013/5/31
仕事を終えて、ジムへと行く。
今日は、キリンカップの日だった。日本で開かれる国際親善試合は、キリンが
全てを協賛しているせいか、キリンカップと呼ばれる。
日本代表のサッカーだ。6月4日のワールドカップ予選のオーストラリア戦を
想定しての試合だ。相手は、ブルガリア。赤いユニフォームに黄色のパンツ。
ジムで試合を見るつもりだった。ジムは、鹿児島中央駅のアミュプラザの
5階で、23時まで開いている。4階には、紀伊国屋書店が入っている。
紀伊国屋書店に寄る度に、本や雑誌を購入してしまう。まだ、読んでない本が
部屋に積まれているというのに。まあ、ほとんどは結局、読まれるのだけれど。
鹿児島には、他に、天文館のところに、丸善があり、マルヤガーデンの上に2つの
フロアーを使ってのジュンク堂(神戸本店ですね。鹿児島のそれは、神戸の三宮の
それを少し縮小した感じで、それでも広いし、品ぞろえのいい。しかし、百数十万人
の神戸市と140万人ほどのとの差は歴然としている
のに、本屋のスペースは広かったけれど)の2店舗の本屋さんがある。
マルヤガーデンは、ビビアン・ウェストウッドが入っていたり、ラコステや
好日山荘やスイスアーミーナイフのショップが入っていたり、鹿児島独自のデザインの
ものを売っていたりする。なかな高感度(小倉のコレットみたいなものか)なお店
なのだけれど、いかんせん、いつもお客さんがいない。
3周年目と言っていたけれど、5年持つかどうかが心配だ。まあ、契約の問題っだと思う
けれど。
ジムへと行く前に、野菜の料理の特集のオレンジページの別冊と、カクテルの本を買った。
昨日、その前は、英語の学習の仕方についての本を買った。その前は、株についての本だ。
ジムへ着替えようとして、シューズとボディシャンプーなどを入れてある貸しロッカー
が壊れてしまい、空かなくなった。スタッフに頼むと、20代後半くらいの男性
スタッフが来て(男子ロッカー内だから、当たり前か)、なんとか開けようと30分
くら頑張ってくれた。「すみません、あまり器用ではない方なので」と言いながら、
本当に真剣にロッカーに向きあってくれた。その結果、なんとかロッカーが
空いた。お礼を言った後に、なんかすがすがしいのは、なぜだろうと思った。
それは、そのスタッフが、器用ではないと言いながらも、一生懸命に取り組んで
くれたこと、その態度に対して感じたすがすがしさだった。
横浜で働いている同僚の中にも、昔から知っているが、ひとつひとつのことに
対して本当に真摯に向き合うスタッフがいる。「自分、バカなんで、すみません」
と言いながらも、いつも一生懸命だ。彼は、スタッフからも、顧客からも好かれる。
その態度に、みんなが、ありがとうと思うからだ。
いくら頭が良くて、仕事に切れがあっても、一生懸命さや、真摯に向き合う
姿勢がないと、誰も感動させることはできない。
サッカーの試合は、2−0で日本が負けた。隣で同じように、自転車をこぎながら
テレビを観ていたおじさん(俺も、おじさんだけれど)が、チャンスなどで、
ちぇっと舌打ちを繰り返していた。感じが悪かった。セイカのそのスタッフの
感じ良さと真逆な感じだった。
ジムからの帰りのエレベーターを待っているとき、5階で止まらないで
上へと行った時、隣にいた「また別の」おじさんが舌打ちをしていた(鹿児島では
流行っているのだろうか)。感じが悪かった。
僕自身は舌打ちは、ほとんどしないが、その2人を見て、絶対に舌打ちはしないように
しようと思った。
そして、そのロッカーの鍵を直してくれた、そのセイカのスタッフのように、
感じよく、誰かのために、しっかりと生きようと思った。

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2013/5/29
新聞は購読していない。
それでも、朝に、毎日新聞(北九州にいた時の名残だ)と日経新聞を
コンビニエンス・ストアで買う。鹿児島の新聞は、南日本新聞が圧倒的だ。
60%以上のシェア率があるはずだ。結構、ローカル色が入っている。
しかし、地元重要情報が散りばめられている。その分、何かの「ナショナル
ニュース」や「県外ニュース」が切られているということだ。
NHK放送文化研究所の発表によると、男性の新聞の購読率は、20代が、過去32%
から、13%。30代が、55%から、23%に下がったということだ。
ニュースは、ネットのヘッドラインだけという人が増えたのだろう。
新聞は、一般紙で、130円(もう夕刊を読む人はほとんどいないのでは)、日経新聞
が、160円。それで、あれだけの情報が詰まっている。
もっと、もっと新聞を読んでもいいと思う。
危機感を持っている新聞社各社は、まだまだ普通に新聞を読んでいる、50代、60代の
読者のために、10年前くらいから、文字を大きくしている。その層の取り合いなの
だろう。さらに、小学校で新聞を読むことを取り上げたり、朝日新聞では、
天声人語を写して、国語力を上げようという(誰かが、仕掛けたのか?電通に
依頼したとか、朝日新聞社が、そんなことないか)ブームが出たり。
新聞を揃えている喫茶店も多い。
鹿児島市の天文館のお気に入りの喫茶店のライム・ライトには、たくさんの新聞が
置いてある。結構な経費だと思う。
朝に寄る、鹿児島駅西口のプロントには、日経新聞がいつも置いてある。
しかし、朝は、出張のサラリーマンも多いので、結構、常に読まれていて
必ずしも読めるとは限らない。
最近は、クリッピングもしている。
新聞、全部読むのは大変だけれど、さらっと見出しを見ながら、興味がある記事
だけでも、読み込んでみるというのはどうでしょう。
130円。
500ml ペットボトルの水とほぼ同じ金額です。

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2013/5/28
ムネリンこと、川崎 宗則選手は、トロント・ブルージェーズに在籍している。
そんなムネリンが、トロント・ブルージェーズとボルチモア・オリオールズの
試合で、サヨナラヒットを放った。メジャーに来て初めてのことだ。
地元の新聞は、打率228の川崎が、奇跡を起こしたと書いていたそうだ。
明るい川崎選手は、トロントでも人気者のようだ。
英語でインタビューも受けていた。
川崎 宗則選手は、鹿児島県姶良市出身の31歳だ。
姶良市とは「あいら」と読む。ウィスキーの好きな人には、アイラ島の
ウィスキーを思い出すかもしれない(お酒のみの人だけだけれど)。
姶良市は、鹿児島市と霧島市の間にあり、錦江湾に面している。
鹿児島県立鹿児島工業高校出身で、1999年のドラフト会議で
福岡ダイエーホークスに4位指名を受けた。
鹿児島工業高校が甲子園に出場した時には、選手たちにバッグを
プレゼントしたらしい。
今のまま、そのままの高校生、中学生、小学生だったに違いない。
ホークスファンにとっては、ムネリンがメジャーへと行ってしまったのは
残念だったに違いない。
数年前に、福岡の一般女性と結婚することが決まり、ムネリンのファンは
涙を流したに違いない。
好きな言葉は、鹿児島示現流の「チェスト」という言葉らしい。
さあ、いくぞというのようなニュアンスだろうか。
これからも、まだまだ、チェスト。

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2013/5/26
5月24日、金曜日の夜、天文館の Bar Mojo へと行った。
前から行きたかったお店で、今回は2回目だ。1回目に行ったのは、今月の
ことだ。なかなかお店の場所がわからなかったが、なんとか見つけた。
そのバーは、ブルースを中心にかけるお店で、ライブなんかを行っている。
南国タクシーがあるビルの3階にある。
入り口のところには、ロバート・ジョンソンの写真がある。
mojoというのは、ブドゥー教関係の言葉だったと思う。イギリスの音楽雑誌にも
mojo というのはあるし、北九州市の小倉の紫川で行われるブルースフェスティバル
でも、よく ♪mojo walking と歌われている。
店主の三宅さんと話をしてみると、結構、おもしろい話が聞ける。
同世代の人だ。ご本人は、東京のCLUB D(原宿で働いていた時に、よく行ったこと
がある)で働いていたり、ブラジルに3年間、仕事で住んでらっしゃったり、
ア・ストア・ロボット(ヴィヴィアン・ウェストウッドも取り扱っている、UK主流の
品揃えのお店だ)に勤務していたことがあったり、東洋紡で働いて、世界中を
ビジネスで旅行していたり。関西の塚口にも住んでいたいたりしたことがあったり。
丁度、僕が横浜に住んでいた時期と合致していたり、大阪のバーボンホールや
神戸のチキン・ジョージなどのライブ・ハウスの話が出てきたりして、共通点も
多かった。ご本人は、ブルースハープを演奏するらしい。
お店は、現在の場所に移って、2年らしい。それまでは、市電通りの向こう側
(南側)で営業をしていたということだ。
鹿児島は、ある程度、開かれた「閉じた社会」で、食も豊富で暮らしやすいので、
外へと出なくても、ちゃんと自分の居場所さえ見つければ、住みやすい。
サイズ的にも、大規模な「村的」サイズなので、把握がしやすい。
学校の先輩、後輩であったり、誰々の親戚関係であったり、どこどこの地元の会社の
知り合い関係だったり、その流れに身を任せればいいのだ。
しかし、運動系の高校、大学などで、「広告的な」人集め(全国で行われていることだ)
により、県外からアスリートが集まったり、ラ・サール、甲南高校、鶴丸高校などの
知の集積もあったりするので、外(県外、他国)への接点もあったりする。
さらに、上記のような流に身を任せることが出来ない「アウトサイダー」は、
外へと出て、自分が自由にふるまえる場所を求めて行ったりするのだと思う。
鹿児島の人は、出来るだけ若いうちに、県外、海外を含む「枠の外」へと出て行く
必要があると思う。それが、自分を広げ、鹿児島の良さと悪さを自覚する唯一の
方法だからだ。
居酒屋であったり、ましてや、バーなので、周りをかまわずに大声で「自分たちだけ
の空間で楽しんだり」(どこへ行ってもあることではあるけれど、鹿児島はそれが、
激しいような気がする)することや、同様に大声で、店内で携帯で話したり
(それも、どこの場所でもあることだけれど、鹿児島のそれは、僕が旅行で香港
へと行った時の、香港での市電の中や、お店の中での「携帯マナー」と
全く同じものを感じる)することや、タクシードライバーが、自転車に乗っている
人たちに対して(逆走してくる人も多い、自転車に乗っている人たちも問題だが、
)の配慮に欠けている(マウンテンバイクで走っていると、道路ぎりぎりに駐車し、
後ろのドアを空けているタクシーの右側を通らざるを得ず、白い線の進行コース
が完全に消されている、まあ、お客さんの取り合いになるのはわかるけれど。
鹿児島へは、県の人口の8倍弱の人数の約800万人が年間で訪れる)ことなど
は、全て、「適度に外へと開かれた」村的なところで、ずっと過ごしているせいだ。
人も良く、正直で、過去から日本をつくってきた人たち(沖縄には、侵攻したけれど)
なので、外に出て、自分を相対化することが必要なのだと思う。
まだ、よく知らないが、Bar Mojo の三宅さんは、関西、関東、ブラジルに住んで
そして、鹿児島にいる。
色々な事情はあるかもしれませんが、外に出て、また最終的には、鹿児島に戻ってくる
人も多いのだと思う。
グルメ通り(七味小路通りだったかもしれない)にある、目黒というお好み焼き屋さん
の江並さんも、大学が東京で、東京の広告代理店で勤務し(僕が横浜に住んでいた時
自宅があったのが、妙蓮寺だったが、江並さんは、その隣の日吉に住んでいた。
慶応大学があるところだ)地元へと戻ってきた。
外に出るからこそ、自分のことがわかるのだ。
他の人と接触するからこそ、自分のことがわかるのだと思う。

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2013/5/25
5月22日からの週は、結構、バラエティに富んでいた。
月曜日の夜には、出張で、鹿児島のオフィスを18時前に出て、鹿児島中央駅から
九州新幹線のみずほに乗って、新大阪へと向かった。熊本を抜け、博多へ(鹿児島
から博多は、1時間20分弱で着く)、そこから山陽新幹線になり(乗り換えはなし)、
小倉から広島へ、岡山、新神戸、新大阪と進む。3時間44分の新幹線乗車だ。
月曜日の夜、新大阪へと到着したのは、21時44分だった。そこから地下鉄の御堂筋線
で、梅田へ。その前に、銀行のATMで、お金を引き出した。鹿児島には、全国にある
大きな銀行は、天文館に小さな支店で営業をしているだけだ。鹿児島中央周辺に
あるのは、鹿児島銀行だけだ(南日本銀行もあったか?)三井住友の銀行カードも
UFJの銀行カードも、鹿児島では役に立ちにくい。コンビニでの取引も19時までに
終了してしまうからだ(全国的にそうかもしれないが)。その点、郵貯は、手数料なし
で夜も(ただし、小倉の時のように23時前に三井住友でお金を引き出したりすること
はできないけれど)引き出すことが出来るので、困ったときには郵貯を使っている。
お金の経済学的な本に書いてあることだけれど、銀行やコンビニでお金を引き出す時の
手数料も、結構ばかにならない。数回引き出すだけで、銀行に預けているお金の
1年間の利息が消えてしまう。こまめにお金を引き出して、手数料ばかり引かれるの
は不経済なのだ。
最近では、電子カードのSUGOCAを買い物でも利用したりすることが多い。
JR九州が出しているのが,SUGOCAで、関東のSUICAや、関西のICCOCAと同じように
JRが出しているものだが、お店によって買い物にも利用できたりする。
しかも、今年から互換性が高まり、それぞれの地域で、そのカードを使うことが
出来るようになった。つまり、スゴカを東京でも使用できるし、スイカを
鹿児島で使用したりすることもできるということだ。
その他、福岡のバスや名古屋や東京のJR以外の交通機関でも利用できる。
駅の券売機でチャージをしておけばいいので、2万円まで(額が決まっている)
であれば、カード使用が可能だ。
新大阪からの地下鉄には、SUGOCAを利用した。
大阪の南森町のホテルにチェックインし、天満の商店街にある「じゅうじゅう屋」
というお好み焼き屋さんに入って、焼きそばをたのんだ。自家製麺らしく、焼きそば
が、とんでもなくおいしい。ビールを飲みながら、キャベツをかじり、鉄板の上で
料理される焼きそばを眺めた。23時が閉店時間のようで、お客さんは、僕ひとりだった。
なんとなく、大阪にいることが実感できた。
火曜日が研修で、その日に移動をした。新大阪17時55分発のみすほで、鹿児島中央へ。
大阪から鹿児島までであれば、飛行機を利用するのが普通だが、伊丹空港までと
鹿児島空港(霧島市にあり、鹿児島中央駅から離れている)からの移動時間を
考えると、僕にとっては新幹線で直通の方が楽だ。
その日の気流にもよるけれど、全ての時間を合わせると、同じくらいだったりする。
以前に同僚と競争をしたことがあるからだ(その後に、前より早く着いたと
言っていたけれど)。移動、手続き、待ち時間がないのがいい。ぐっすり眠れるし、
本も結構読める。確かに、新大阪からのお客さんは、ほとんど、博多までに
降りてしまうけれど。
火曜日、鹿児島中央駅に着いたのは、21時50分辺り。
大荷物をロッカーに入れて、すんませんへと向かった。
横浜に住んでいた頃の知り合いが、屋久島へと行き、川崎へと帰る前に、鹿児島
へと寄っていたからだ。
その2人は夫婦で、知り合ったのはネット上でのことだった。
「恍惚の宿木」という詩を投稿するサイトがあって、そこで知り合って
会うようになった2人だ。そのサイトには、日本中から、年齢関係なく
投稿がされていて、それでもその時に「コア」なメンバーかいて、そのうち
の2人だった。ハンドルネームには、本名を使っている人と、そうでない人が
いた。その2人は、UENOさんとぢゃりさんというハンドルネームだった。
他にも、レント君とか、盾さんとか、いとうさんとか、キキさんとか、
スナフキンさんとか、とかげさんとか、そんな人たちがいた。
何度か、東京でオフ会をしたりしたこともある。10年位前のことだろうか。
えっつ?そんなに時間が経っている?
その後、それぞれの人たちが、それぞれの、様々な人生を抱えながら、ゆるーく
つながっている感じだ。
2人とは、すんませんから、鳥門米門うまいもんへと行った。
やはり、鹿児島の魚を、野菜を、鳥を、多彩に食べてもらうには、あの店の
バリエーションがいい。自分たちで農場を持ち、そこで育て食材を提供している。
他にもいくつも系列の店舗があるようだ。店長の下堂園さんは、イギリスにも
ちょっぴり留学したことがあるらしい。
2人とは会うのは久しぶりだったけれど、違和感はなかった。
久しぶりに会った親戚のおじさんのような役のような気がした。
屋久島には、転勤になって1年、行ったことがないけれど、2人の話を聞いて、
いかないとなと思った。あまりに、近くにありすぎるせいかもしれない。
そこからタクシーに乗って、天文館へ。
バー魔の巣へ。2人共、お酒は強いので(屋久島では、三岳の一升瓶を2日くらいで
空けたらしい)気兼ねしなくて飲めるのがいい。
魔の巣では、すいかのソルティドッグをたのんだ。
なかなか楽しく過ごせた。
大阪から帰ってきたばかりということを忘れるくらいだった。火曜日は、水曜日
に変わっていた。
屋久島、チェックです。
2人共、Keep in touchです。

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