1960年前半(微妙)生まれの男の、映画について、音楽について、旅について、本について、そして人生とやらについてのブルース。自作の詩のおまけ付き。書いているのは、「おさむ」というやつです。
since 6.16.2005
To travel is to live. -H.C.Andersen
2011/1/31
日曜日は、行橋で仕事だった。朝、9時からの仕事だったので、
早く起きる必要があった。
行橋は、小倉から大分方面に南へと下ったところにある。
アジアカップの試合は、12時、深夜からだった。
さすがに、spain bar oには行かなかった。
部屋で眠りの準備をしながら、じっくりと見ていた。
途中、ドキドキする場面もたくさんあったが、このままでは
PKかと思いはじめた、延長に、リー選手がボレーシュートを
決めた。長友選手が相手を交わして、クロスを上げた瞬間は、
ワールドカップで、松井選手がクロスをあげた瞬間と、シンメトリー
な感じだった。攻める方向は違っていたけれど。
リー選手の、左脚のじっくりと、タイミングをためこんだボレーシュート
は、バレー(踊るほうですね)のダンスのステップのようだった。
かっこよかった。
シュートがゴールに吸い込まれ、数分後には僕は眠りの中に入っていた。
今日は、様々なテレビが繰り返し、長友選手の突破からのクロスで始まる
リー選手のボレーシュートを映し出していた。
前々回の大会のメンバーとほとんど同じメンバーに、若いブルーの日本は
リベンジを果たしたのだ。
ザッケローに監督が、インタビューで言っていた。本当にすばらしいチームだ、
このチームを日本の国民はもっと誇りに思っていい、と。
これから、まだまだ注目です。

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2011/1/29
-ある日、ある夜小倉-
仕事を終えて、ジムへと向かう。モノレールに沿って小倉駅の
方向へと歩いていく。夜が深まっていく。頭の上をモノレールが
流れていく。
自動販売機のところに60代くらいの男の人がいた。並んだ自動販売機
のつり銭が出てくるところに人差し指と中指を入れていた。
知らない振りをしながら横を通ったが、僕が近くを通るときに、ちょっと
僕を恥ずかしさのせいか、意識したように、ちょっと体が動いた。
中学生の時、同級生の山根君が、学校の帰りに教えてくれた。
自動販売機のつり銭のところあるやろ、時々、取り忘れがあんねん、
だから、次々に指を突っ込んでいったら10円とか50円とか集まる
ことがあんねんで。
それを聞いて、山根君と同じようなことをしてみたが、何か悪いことを
しているようで恥ずかしかった。
ホームレスの人たちの中には、ゴミ捨て場の空き缶を集めて、買い取ってもらったり、
自動販売機のつり銭を集めたり、自動販売機の下の空間にころがった硬貨を集めたり、
ダンボールを売ったりして、食料を買うための小銭を集める人たちがいる。
コンビニで廃棄される賞味期限が終了した弁当を探したりする。
冬には、とにかく、この寒さから身を守ることができる場所を探す。
そんな場所はなかなかないから、体を冷やさないように歩き回る。
-別のある日、ある夜小倉-
仕事を終え、横断歩道をわたる。マフラーをして手袋をして、それでもコートの
隙間から風が入り込んでくる。どこかへで飲んだのか、少し頬が赤いカップルと
すれ違う。信号が変わろうとする。
夜の西鉄バスが、門司の方向へたくさんの人を運んでいく。
SPAIN BAR O に寄る。
席はしっかりと埋まっている。奥のカウンターに一人分だけの席をつくって
もらう。香りがついたおしぼりが出てきて、アーモンドが出てくる。お決まりの
チーズの代わりに、僕だけいつもアーモンドを出してくれる。
サッポロのドラフトをたのみ、蓮根と里芋のサラダと生牡蠣をたのむ。
左隣の2人組の女性は、会社のことを話している。右側のカップルは音楽の
ことを話している。店員の若者たちと、彼らのスペイン旅行について話を
する。
僕がバルセロナに旅行に行ったのは、11年前の冬のことだ。
混み合った店の喧騒が、夜に溶け込んでいく。
グラディウムの赤ワインのグラスをたのむ。一番安いグラスワインだ。
そこで流れる時間を気にしないでいい感覚がいい。
隣の2人組の女性たちがホットワインをたのんだところで、チェックを
する。
冷たい空気に少し背中を丸めながら南へと向かう。
デジタル・オーディオプレイヤーでジョージ・マイケルのLadies And Gentlemen
を聴く。
Cowboys And Angels がかかる。なぜか、冬の小倉の街の夜に似合う。
バスを待っている人たちが並んでいる。飲んだばかりのグループが、
ゆっくりと北へ向かって歩いていく。
誰もが幸せになりたい。
幸せの尺度は人によって異なるが、幸せはある瞬間にふっと目の前から
消えてしまうことがあるというのは、誰にでも共通している。
ただ、ふらふらと飲み歩く時間をとれることの幸せ。
今夜もきっと誰かが、この寒空で凍えながら、夢を見る暇もなく
体をただ温めるためだけに、歩きまわっているかもしれない。

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2011/1/26
仕事を終え、spain bar O へと行った。
22時過ぎ。試合は、22時20分からだった。
店内は混んでいた。サッポロのドラフトをたのんだ。
アジアカップ、相手は韓国だ。
2005年以来、韓国には勝ったことがない。パク・チソン
を初め、ヨーロッパでも活躍する選手が多い。
国際間のサッカーのゲームは、両国の国歌演奏から始まる。
国歌は君が代から始まり、韓国の国歌が始まった。なかなか、
韓国の国家を聞くことは少ないが、なかなかかっこよかった。
ゲーム結果は、知ってのとおりだ。
最後まで、ドキドキさせてくれた。
よかった。
PKになったときには、オシム元監督のように、じゃあ、さようなら
という感じで店を出ようかと思った。出なくてよかった。
ビールを飲み、サングリアを飲み、ワインを飲み、生牡蠣を食べ、
パスタを食べた。
さて、次は、オージーたちです。
29日、深夜12時です。

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2011/1/24
アジアカップは、アジア地区でのサッカーの大会だ。きっと正式名称が
あるのだろう。東アジアのチームに、東南アジアのチームに、中東のチーム
が戦っていく。オーストラリアが入ったのは、数年前(?)だった。
今回の大会は、いつもより注目されている。自分が注目しているだけかも
しれないけれど。
ザックジャパンが初めて臨む大会だ。
開催国のカタールに3−2で勝ち、ベスト4に残った。
ベスト4に残ったのは、日本とウズベキスタンとオーストラリアと韓国だ。
そして、日本は韓国と火曜日に対戦する。
日本は2005年以来、韓国に勝っていない。
このチームなら勝てると思う。
韓国には、マンチェスター・ユナイティッドでルーニーとフォワードを
はってきた、パク・チソンがいる。あれだけ長い間、ビッグクラブで
試合に出続けたのはすばらしいと思う。活躍度や実力は、歴代のアジアの
選手でも一番だと思う。そんなパク・チソンも30代に近くなっている。
早いものだ。パク・チソンは、Jリーグで活躍していたこともある。
火曜日、明日、午後10時20分辺り。
spain bar o に集合だ。

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2011/1/23
昨日は、下関市の小学校の前で、新しいクラスのオープンについての
チラシを小学生たちに直接配布した。校門を出たところでの仕事だ。
その後、新下関から新幹線に乗って博多まで行き、ミーティングをして、
8時過ぎまで博多のオフィスで仕事をした。
そして、小倉へと。
カタール戦は、spain bar o で見た。
3−2で最終的に勝った試合は、とてもワクワクした。
今日は黒崎で、幼児から中学生までの面接試験だった。
一人ずつ外国人と英語での面接を受ける。それを採点することと、
会場へと集まった保護者への挨拶をしたりすること仕事だ。
今日の担当のネイティブは、風邪のために欠勤となり、代わりに
やってきたアメリカ人は、なかなか子ども受けをする、ナイスな感じだった。
彼は、日本にやって来て2年で、1年は長崎に住んでいたと言っていた。
好きな食べ物は、長崎ちゃんぽんだと言っていた。そうだよね、わかっている
じゃないの。
そのネイティブの講師は、26歳で、テキサスのダラスで生まれ、高校生くらい
の時に、テネシー州のノックスビルへと引っ越したらしい。
将来は、海外を色々と旅したいと言ってた。
アメリカには、50の州がある。まあ、日本での県みたいなものだ。
日本の47と都道府県と比較すると同じくらいのサイズなのだ。
州は独自の法律や統治システムを持っており、日本の県よりも、中央に
対しての力は強い。
結局は、お金の分配の問題だ。税金を集めたお金だ。
アメリカの国旗(スター&ストライプス)の星の数は、50だ。
先週の下関での担当ネイティブは、イギリス人だった。
身長が195cmもある講師だ。
彼もなかなかナイスガイだった。
そう、幼児から小学生、中学生に接していくには、いい奴でないと
だめなのだ。
それは、福岡のコーディネーターがしっかりとした担当者を選んで
いるからだ。
そのイギリス人は、小倉に住んでいる。
なぜ、小倉にということを聞いたが、色々と理由はあるようだが、
女性関係らしい。
それで、それがうまくいかなくなって、小倉に住んでいるという
ことだった。
アメリカ人だからと言って、イギリス人だからと言って、何も
特別というわけではない。
やっぱり、仕事のことで悩み、好きな人のことで悩み、家族のことを
考える。
そして、やっぱり苦労をしながらも、やっぱり生きているのだ。
結局は、このひとつしかない地球に住んでいる、人間なのだ。

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