1960年前半(微妙)生まれの男の、映画について、音楽について、旅について、本について、そして人生とやらについてのブルース。自作の詩のおまけ付き。書いているのは、「おさむ」というやつです。
since 6.16.2005
To travel is to live. -H.C.Andersen
2010/12/29
知らないうちに、あと2日間になってしまった。
早いもので、2010年も終わろうとしている。
小倉へとやって来て、2年半。すっかりと小倉が身について
いる1年かもしれない。
すっかり、小倉的なライフスタイル(どんなライフスタイル?)
に身を置いている感じだ。
色々と、お酒を提供してくれた方々、一緒にお酒を飲んでくれた
皆さん、ありがとうございます。来年もよろしくお願いします。

0
2010/12/27
知り合いの人がbar を始めた。
小倉の東横インの近くにある、bar という名前のバーだ。
そこに行くと、スープが出てくる。勿論、小さいカップでのことだ。
そのスープも凝っていたりする。
カブが入っていたり、牡蠣がいたり。
横浜の野毛に、ジャズのライブも行うバーがある。
エリック・ドルフィーから名前を取った、Dolphy という名前のバーだ。
野毛の中止から少し外れた、黄金町に近いところにある。
木を基調にしたお店で、土曜日や日曜日、平日にもライブをやっていたりした。
そこでは、ハートランドが出てきた。いつも、飲んでいたのは、サッポロの黒ビール
だけれど。
そのお店で出ていたのが、ピリ辛スープだった。ソーセージやキャベツをコンソメの
スープで、胡椒がかなりふってあるスープだ。下村さんがよくつくってくれた。
これが、お酒を飲みながら、おいしくいただけた。
Dolphy には、ハードリッカーもたくさんあって、スピリタスもロンリコも
ウゾーもペルノもその他、山ほどのアイリッシュウィスキーやスコッチウィスキー
やバーボンも飲んだ。
お酒を飲むところで、スープを出すお店は、なかなかのお店だと思う。
食いしん坊なバーなのかもしれない。
小倉のその新しいバーには、3回くらい行った。
1回目は、別のところで飲んだ後に、2回目は、ジムで知り合った女性と2人で
忘年会をした後に、3回目に行った時には、バーのカウンターで、ホットラムを
飲みながら、年賀状を書かせてもらった。バーで年賀状を書いたのは、初めての
ことだった。
普通、バーで年賀状を書くお客さんなんて、いないだろう。
バックには、女性ボーカルが流れていた。初めて来た時には、アン・サリーが
流れていた。Day Dream の方だったと思う。
ゆっくりとできる隠れ家、そんな場所が、呑み助には必要です。
インターフォン、押さないと入れない店です。
そのうち、ピンポン・ダッシュ、狙ってます。嘉嶋さん、待ってなさい。
今日は、ジムへと行って、帰って、家飲みをした。
牛肉とマッシュルームと玉葱を入れて、塩コショウとうすくち醤油と
ごま油をたらして、スープをつくって、ビールを飲み、ずっと冷蔵庫の
横にあった余市を飲んだ。
マルワで、広島の生牡蠣がパックで200円だったので買った。
10個(個でいいのか)以上入っていた。ほんの少し、ポン酢をたらして
食べた。
やっぱり、スープは簡単に出来るのがいい。
しかも温かい。
Keep you warm.

0
2010/12/26
philanthorophy
フィランソロフィというのは、慈善、博愛主義、社会事業家という訳になる。
利益を上げながら、組織体質をしっかりとさせて(経営基盤ということか)
継続的に、誰か困っている人のためや、不平等な社会構造のシステムを
変えるために、活動を続ける人が、社会企業家だろうか。
日本でもたくさんの社会企業家がいる。
例えば、自分が食べる食事の20円が寄付となり、アフリカの子どもたちの
給食になるというような Table For Two の小暮 真久さんや、
バングラデッシュのジュードという素材を使っての鞄などを売り上げることで
収益を上げていく、マザー・ハウス(僕もバッグをひとつ持っています、
オレンジのやつです)の山口 絵里子さんや、勿論、Take Action の中田 英寿
さん(年明けは宮崎でサッカーのイベントです)などもそうだと思う。
http://www.tablefor2.org/
『ブルーセーター』ジャクリーン・ノヴォグラッツ を読んだ。
世の中の困っている人を助けるために、チェースマンハッタン銀行を
退職後、非営利組織に参画し、1986年に20代で初めてアフリカへと行く。
ケニア、コートジボワールで活動をした後、ルワンダへと行く。
ルワンダで、マイクロファイナンス(貧困のため口座をつくることさえ
出来ない人達に貸付を行い、経済的な面から援助をする貸付だ)の組織を立ち上げる。
しかし、1994年のルワンダのフツ族とツチ族の対立で起こった、大虐殺を
経験し、自分たちが行ってきた「社会事業活動」が全く崩れてしまうことを
目にする。ルワンダの立ち上げの時には、ツチ族もフツ族も関係なく、
その国の女性(特に、女性に対するマイクロファイナンスを中心とする、男性に
援助をするより、女性に援助をする方が、お金は個々の生活費へと向かうからだ)
のために頑張ってきたチームが、それぞれを殺戮しあうということを目撃
(その時、作者はもう海外に避難していたが)する。
その経験が、その後の作者の社会活動の考え方を左右することになる。
以下『ブルーセーター』からの引用
キガリのような街では、殺人者は犠牲者と顔見知りだ。通りで会い、
市場であいさつし、冗談を交わしてきた。・・・・・・
虐殺が始まった日、ルワンダ軍が10人の国連平和維持軍兵士(ブルーヘルメッツ)
を拘束した。平和維持軍の兵士は武装していたが、武器の使用を許可されていな
かった。ルワンダ軍は、若い兵士たちを去勢し、手足を切断し、殺害して
自らの凶暴さを全世界に示した。10人の金髪青眼の人間が手足を切断されるのを
見れば、欧米諸国が動けなくなるということを、ルワンダの”フツパワー”政権は
ソマリアのときに学んだのだ。・・・・・・
人口800万人の国で、100日で80万人が殺されるに至った。
以上、引用。
さらに、ユニセフや政府の援助が、時々、間違った使われ方をしたり、
初期的な視点では、開発を阻害したりすることもあるというようなことも書かれて
いた。
作者は、その後、アキュメン・ファンドという組織をつくり、先進国からの
「援助」ではなく、先進国側の人間による事業開発でもなく、途上国現地の
人が運営する大きな可能性を秘めた組織を援助している。
タンザニアにおける、抗マラリア蚊帳の普及や、アフリカ各地での灌漑ポンプ
の普及、インドにおける医療の普及、パキスタンにおける住宅事業への
活動を援助している。
また同本からの引用
私たち一人ひとりにとっての最初のステップは、自分の道徳的想像力、
つまりほかの人の立場を身に置く能力を伸ばすこと。とてもシンプルに
聞こえるが、おそらく最もむずかしいことだろう。
以上、引用。
僕たちは、もっともっと世界のことを知らなければいけない。
そして、自分の出来ることを少しでも、誰かのために実行することが
重要なのだと思う。

0
2010/12/25
NHKの朝のドラマは、東京NHKと大阪NHKが交互に制作している。
まあ、東対西の視聴率、作品のクオリティ対決というところだろう。
今年、ずっと8時という、今までと違った時間帯で始まったのが、『ゲゲゲの女房』
だった。8時には、目を覚まし、「なんとなく」の頭でドラマを見ていると、
15分があっという間に終わってしまう。
終わりの方には、高視聴率を得た。
そこで始まったのが、『てっぱん』だ。ヒロインの村上あかりの成長物語だ。
現実の夫婦を描いている作品の後だけに、結構、プレッシャーはあった
と思う。
ヒロインの主人公が様々な困難を、周辺の人に助けられながら、乗り越えていく
というNHKの朝ドラマの基本に回帰した作品のひとつだと思う。
主人公を囲む俳優人が、結構な役者揃いだ。
お父さん(義理の)は、遠藤憲一さん。深夜のドラマで、元ヤクザの役を
していた。はまりすぎの感じだ。その遠藤さんが、お父さんの役をしている。
これがなかなかいい。遠藤憲一さんは、たくさんのCMのナレーションも行っている。
トロンの映画のナレーション、ネスカフェのナレーション、どこかのビールの
コマーシャル、積水ハウスのナレーション等等。
そして、お母さん(義理の)が、安田成美さん。安田成美さん、若すぎないかと
思っていたら、だんだん馴染んできた。慣れはこわいものだ。
その他にも、宮司純子さんが出ている、もっとたくさんの俳優さんたちがいる。
そして、お好み焼きとトランペット。
トランペットが今は、ちょっと影をひそめている。
しかし、主人公と本当の亡くなったお母さんとのつながりは、おばあちゃんの
つくったお好み焼きとトランペットだ。
さらに、お好み焼き。関西風と広島風(尾道ということになっている)、これまた
「ちょっと言わせてください」的なお好み焼き論争の元。
さて、このお好み焼き。決して、マヨネーズを使わない。いや、マヨネーズを
かけない。これは、お好み焼きやさんの、最後の「誇り」なのだろう。
お好みには、マヨネーズなんか、かけまへんのや。
残念ながら、今は、それは少数派だ。
マヨネーズ?

0
2010/12/20
間 寛平氏が、アースマラソンを始めたのは2008年12月17日。
途中、前立腺がんのためにアメリカへと(日本に帰ってしまうと、ドラマ性が
無くなってしまうからだろう)治療へと戻り、また、トルコ辺りからやり直し
をした。世界を、ゆっくりとしたペースで、ただ走る。
スポンサーが何社もついているので、宿泊や食事代や伴奏のスタッフの費用などは
全てカバーされるのだろう(多分)。
世界には、同様のことを行った人はいるかもしれない。
しかし、有名であるが故に、スポンサーがつき、さらには、様々な肉体的、
精神的なプレッシャーを感じながら走ることが出来るのだろう。
あれだけの病気をしながら、走り続けることができるのは、とんでもない
精神力だ。コメディアンという性質が、逆に幸いしているのかもしれない。
来年の1月4日に日本上陸を予定しているらしい。
ゴールは、21日、勿論、大阪がゴールだ。
その前に、4日には福岡で、6日には、北九州でイベントがあるようだ。
なぜ、走るのか。
フォレスト・ガンプに聞きなさい。
http://www.earth-marathon.com/

0