1960年前半(微妙)生まれの男の、映画について、音楽について、旅について、本について、そして人生とやらについてのブルース。自作の詩のおまけ付き。書いているのは、「おさむ」というやつです。
since 6.16.2005
To travel is to live. -H.C.Andersen
2010/5/30
魚の塩焼きが好きだ。
横浜に住んでいた頃、横浜の野毛の「史(ふみ)」というカウンターだけの
飲み屋さんで、いつも、塩焼きの魚をたのんだ。裏メニューだった。
さんまにいわし。時間をかけて、ゆっくりと焼き上げたその魚は絶品だった。
塩は少し多め振ってあった。ドラフトは、エビスの琥珀だった。
「史」という名前は、店主の名前からとっている。史さん。
史さんで出している日本酒の中で、絶品日本酒は、「半田郷」だ。
愛知県の半田市のお酒だ。
史さんでは、クラプトンがかかっていたり、サザンオールスターズ(神奈川
ならではですねがかかっていたりする。
塩焼きでは、できるだけお醤油はつけない。ポトンと落とすことはあるが。
レモンは、かけない。レモンの味が強すぎてしまうからだ。
嶋さんは、美容師で、魚が好きらしい。昨日、ありありで で話をした。
お父さんが、嶋さんが子どもの頃から、魚の食べ方を教えていたらしい。
ちゃんときれいに食べること、頭の部分にもたくさんのおいしい身が隠されて
いることなど。
嶋さんが食べた鯵は、骨しか残っていなかった。
小倉の凛家さんで、鯛の塩焼きを食べた。頭の部分のところだ。
目の下など、頭部にはたくさんのおいしい身が詰まっている。
おいしかった。
まさ家では、旬のすずきの切り身の塩焼きを食べた。
魚、大事です。
現代では下水が整備されていますが、下水の水の行き先は、海なのです。
洗剤もシャンプーもボディシャンプーも、全てがそこに流れ着くわけです。
自助浄化作用、とてつもなく大きな自助浄化作用が海にはあると思いますが、
その浄化作用以上の汚染が起これば起こるほど、全部、僕たちに帰ってくる
わけです。
地球の地表の70%くらいを占める海に、感謝なわけです。

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2010/5/29
金曜日の夜。仕事を終え、紫川の方向へと向かう。
川を渡る手前のところにある、アイリシュパブへと入る。
アイルランドは、ギネスの発祥の地だ。そこで出てくるドラフトビールは、
ギネス
キルケニー
エーデルピルス
だ。
ギネスは、お馴染みの黒ビールで、ここ5年位(?)で一挙に広まった。
生樽にはサイズがあって、オリジナルのサイズは大きすぎて、なかなか回転が
悪かったりする。オリジナルサイズは、酒飲みのアイルランド人(失礼)サイズ
につくられているからだろう。お店で出される生ビールは、「生もの」なので、
長期間残ってしまうと、味が落ちてしまう。だから、大きな量の樽でしか扱って
いないギネスやバスペールエールやヒューガルデン(最近は、小さなサイズも
あるかもしれない)の生を出すには、お店側の勇気がいるのだ。
だから、ギネスもバスもパイントで出されることが多い。
バスペールは、横浜野毛のジラソールでパイントで飲んでいたし(ハーフでも
たのめたけれど。あっ、長崎の離れというバーでもバスが出る)、ヒューガルデン
は同じく、横浜野毛のデュ・ペタンブルグ(なんか、違うぞ、そんな雰囲気の
名前、ジャズのライブなんかも行われていた、ハッピーアワーが狙い目、
いつも白シャツのカッコいい女の人が、ビールをさっと出している。ジャズ以外
にスティーリー・ダンがかかっていたりする)で飲むことができた。
キルケニーは赤ビールで、キルケニーというアイルランドの都市の名前をとって
いる。
その、booties で、金曜日の夜の一杯目を飲む。booty 、戦利品とか儲けという
意味だ。bootleg で海賊版や密造酒という意味になる。
一杯目は、キルケニーのハーフパイント。フィッシュ&チップスを食べる。
フィッシュ&チップスが肉厚のふぐだ。おいしい。隣には、看護婦さん(小倉
は病院が多く、飲み屋さんでも、結構、病院関係の人に出会う。あとは、美容師
さん)が2人でのんびりとした時間を過ごしていた。店内は込んでいた。
2杯目は、エーデルピルスをハーフで。
3杯目は、カクウチスタイルありありで で、スタウトを飲んだ。
ありありで も混んでいた。裏メニューの「佐世保風」サンドウィッチを
いただいた。セブンイレブンが同様の名前で売り出しているが、おいしく
なかった。ありありでのやつは、オリジナル(佐世保の玉屋のサンドウィッチ
は有名らしい。甘い独特のソースがきめて)に近いらしく、おいしかった。
しかし、酒飲みは(ビールは別)なかなか、サンドウィッチかじりながら、
黒霧をくいっとやったりしないだろうな。
金曜日の夜、日付は変わり、満月だった。雲の切れ目から丸い月が左の上に
浮かんでいた。仕事を終えた人、飲みすぎて終電を逃した人たち、これから
朝まで飲むぞーという人たち、それぞれの人が金曜日の夜にいた。
月は、丸く、そこにある小さな世界はとても平和に見えた。
そうやって、少し飲みすぎた足で自分の場所へ帰ろうとする世界中の
酔っ払いたちに思いを馳せた。
ニューヨークの酔っ払い、香港の酔っ払い、韓国の酔っ払い、
ロンドンの酔っ払い、カイロの酔っ払い、ストックホルムの酔っ払い、
ミュンヘンの酔っ払い、カラチの酔っ払い、シドニーの酔っ払い、
上海の酔っ払い、カルカッタの酔っ払い、バルセロナの酔っ払い、
バンコックの酔っ払い、ロシアの酔っ払い、ナポリの酔っ払い、
ニースの酔っ払い。
みんな、元気か?
ちょっと、飲みすぎたね。
そうやって、地球は回っている。

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2010/5/28
manga
というのは、もう、その筋の間では外来語として通じる(海外でということ)。
英語では、comics や cartoon とでも言おうか。
日本には、圧倒的な「コンテンツ」としての漫画が存在する。
様々なタッチの、様々な分野を扱った、様々な質の内容だ。
僕は、それほど漫画に熱中したというタイプではないが、漫画の雑誌は
一旦はまると、NHK の朝の連続ドラマ(今は、『ゲゲゲの女房』ですね)
のように、続きが「欲しくなる」のだ。
時代的には、『ワンピース』も『ガンダム』も『キャプテン翼』も
『スラムダンク』もかぶっていないので、全て後から読み始めたという
感じだ(『ワンピース』は読んでいないし、『ガンダム』も読んでいない)。
僕の子どもの頃は、『あしたのジョー』や『タイガーマスク』や『サムライジャイアンツ』や『巨人の星』や『ルパン三世』や『アタックナンバー1』なんかが
主流だった。
浦澤直樹さんの『モンスター』は、最高傑作だと思う。
テレビでも、深夜に見ていた(まだ、横浜にいた頃のことだ)。
テレビの漫画のエンディングは、JAPAN のデヴィッド・シルビアンや
フジコへミングだった。
http://www.ntv.co.jp/monster/
『聖☆おにいさん5』が出た。仏陀とキリストが、若いにいちゃんのスタイルで
東京立川に住んでいるという設定だ。話がひとつひとつ完結していくので
読みやすい。コメディーな感じだ。
http://morningmanga.com/lineup/25
買って読んでいたら、『バカボンド33』も出ていた。佐々木小次郎が、
豊前小倉へとやって来ていた。巌流島へと近づいている。
つまり、本日買って、読んでしまった。
COMIC な日。お酒は、休肝日な日でした。

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2010/5/26
社会企業家というのは、利益を会社の利益のために企業活動をするという目的
ではなく、社会のために利益を還元する「社会事業」を行うことを目的とする
事業を行う人のことをいう。これを書いていて、社会事業家ということを
説明するのが難しいなと思った。しかし、「非営利団体」ではなく、
社会事業活動を継続的に行うためには、利益を上げることが必要になるのだ。
政府系の資金だけ運営される組織ではなく、その活動に賛同してくれる営利団体、
地方自冶体、政府系の組織に「営業活動」をかけ、その社会事業の考え方を
サポートしてもらう必要がある。
例えば、NPO法人 TABLE FOR TWO International が行う、Table For Two という
活動。企業や政府系の団体の食堂と協力して、そのメニューの中に、Table For
Two のメニューを入れてもらう。その定食(?)は、通常より20円高くなって
(カロリー計算して、ヘルシーにするメニューというものもある)、その定食を
食べることで、アフリカの子どもたちに、給食1食を提供できる(20円相当)
というシステムだ。テーブルでひとり食べているとしても、その食事を取る事で、
20円分の一食分の給食をとるアフリカの子どもがテーブルで一緒に食べている
のと一緒だよということが、Table For Two というこのプロジェクトの名前
に込められている。事務局長の小暮真久さんは、『「20円」で世界をつなぐ仕事』
という本も出している。
http://www.tablefor2.org/index.html
例えば、マイクロソフト社の役員だったジョン・ウッドが1999年に始めた
ルーム・トゥー・リード。日本の寄付は、香港、ロンドンに次いで、3位だ。
寄付などで集めた資金で教育支援をする。世界中で1000人のボランティア
(先ほどのTable For Two も100人くらいのボランティアで成り立っている)
が活動している。日本で初の職員になったのが、松丸佳穂さんだ。
その松丸さん中心になって行ったのが、3月に上野で開かれたイベント。
600人が集まった。そこで提供されたビール一杯分に上乗せされた100円で、
アジアやアフリカの子どもたちに本を贈るというイベントだ。1年前から、
東京都内のパブやレストランで定期的に開催されている(そういった意味では
東京は、社会企業家が活躍できやすい場所だ)。
http://www.roomtoread.jp/
中田英寿さんも、Take Action Foundation を運営している。様々な活動で
得た資金を使って、恵まれない人たちを助けるというものだ。
元日本代表の試合を甲府で開催したり、ゲームソフト『イナズマ3・・』
と協力をして、売り上げ1本辺りに11円を寄付として、その寄付でアフリカの
国々の子どもたちにサッカーボールを提供したり。
アエラに、中田英寿選手は連載の記事「つなぐ」を書いているが、そこでも
日本では、なかなか社会貢献ということが理解されにくいということを
書いていた。
「ノブレス・オブリージュ」。フランス語。特権階級にある人が、恵まれない
人を助ける、そんな考え方だ(多分)。
実は、『武士道』の初めには、その考え方が深く書かれているらしい。
持つものは、持たないものを助ける、今は、そんな風に解釈されると思う。
だから、ビル・ゲイツもボーノもアンジェリーナ・ジョリーもスカーレット・
ヨハンソンも色々な慈善活動をするのだ。勿論、ダイアナ妃もオードリー・
ヘップバーンもそうですね。
寄付=慈善事業
そこには、ボランティアばかりの人がいて、収益はあげてはいけない。
そんな「思い込み」がある。継続的に、安定的に、援助をするためには、
(政府機構などから毎月決まった定期的な補助金が出たりという場合は
別だが)収益を上げ続けて、その収益が、その団体の「理念」を実現する
ために、その組織をさらに「つぶれない」強固なものにするためには、
たくさんの人の継続的な(小さくてもいいから)援助と理解が必要になってくる。
まずは、身近なところから始めましょう。「ノーブレス」である必要はありません。
小さくても「継続」、これが重要です
◆クリック募金
http://4en.jp/
http://www.dff.jp/
◆ペットボトルキャップ
ペットボトルで何かを飲んだときに、そのキャップを捨てないで収集。
収集所へ持参。小倉周辺に住んでいる人たちは、小倉のアミュプラザの入り口
横にあり(ファンケルが入っている方、西館か?)受付に渡したら、ちゃんと
受け取ってくれます。カクウチスタイル ありありで の伊原さんも、定期的に
「ペットボトルキャリアー」になっています。
http://ecocap007.com/
イオンさん、がんばってます。ペットボトルキャップ。http://www.aeon.info/environment/social/petbottlecap/
そうですね、出来ることからです。
ここのところのコンビ二(九州地方?)では、宮崎県の酪農業者さん
への寄付に変わっています。たかが小銭、されど、小銭。
継続、大事です。
ここ2年間で5000円だけ何かに寄付して、人助けをしたという気になって
いるより、毎日10円を何かに寄付していった方が、「金額面」だけでいうと
多いのです。

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2010/5/23
ワールドカップが6月11日(現地、南アフリカ時間)に開催される。
この4年毎のイベントを心待ちにしいているファンは多い。サッカーがファンが
増え始めたのは、2002年の日韓両国での開催からだ。勿論、その前のフランス大会
がきっかけになっていることは間違いないが。
6月11日の初戦は、南アフリカとメキシコ(メキシコはなかなか強い)の試合が
行われる。日本の初戦は、14日に行われるカメルーン戦だ。カメルーンには、今大会
のポスターのモデルにもなっているエトーがいる。手強い。観客は、アフリカからの
チームを応援するだろう。
1998年(フランス)→2002年(日本・韓国)→2006年(ドイツ)→2010年(南アフリカ)。開催された年度、その頃のことを思い出すと、本当にあっという間だという
ことを痛感する。
フランス大会を見ていたときには、横浜に住んでいたが、夜、どこかで試合を
見ようと伊勢佐木町辺りを歩いていた。松阪屋の前には、人盛りが出来ていた。
横浜の松坂屋の入り口には、We Love Baystars(ちょっと違う表現かもしれないけれど)とあった。その人盛りは、メジャーデヴューを果たしていた(果たしたばかり?)
の、ゆず のストリートライブだった。
日韓共同開催の時は、新宿が勤務地だったが、住んでいたのは横浜の東横線の
妙蓮寺というところで、隣の菊名から3つ目か4つ目くらいのところに、スタジアム
があった。そこにある横浜国際総合競技場だった。そこでは、ブラジルとドイツの
決勝戦が行われた。決勝で勝ったのはブラジルだった。ドイツのゴールキーパー
の、オリバー・カーンが愕然とゴール前で座りこんでいた「絵」が印象的な
大会だった。その時に、活躍していたブラジルの選手は、ロナウド(ポルトガルの
C.ロナウドとは違いますね)だった。ロベルト・カルロスもいた。左の強烈な
シュートの持ち主だ。
横浜国際総合競技場は、2007年には、FIFAワールドカップ
では、ACミランと浦和レッズの準決勝が行われて、1-0でミランが勝った。
そうそう、日本がワールドカップで、ロシアに1-0で勝ったのも、その
ワールドカップ初勝利は、その横浜国際総合競技場で行われた。
横浜市は、相当の赤字で、そこを運営している。だから、ネーミングライツ
で「日産スタジアム」という名称をつけている。しかし、それぞれの大会で
規定があるために、名前は、大会毎に変わっていく。大分のトリニータの
本拠地も一緒だ。
ドイツ大会の時には、兵庫県の西宮に戻っていた。その頃は、教材をつくってた。
その時の記憶が最も、薄い。夜遅く、なんとなく、ほわんと終わってしまった
という感じだった。中田英寿選手が、ブラジルに負けて、ピッチに寝込んで
立ち上がれなかった大会だ。その時、フィオレンティーナで同僚だった
ブラジルのアドリアーノが声を掛けにきたのが印象的だった。
それぞれの人が、オリンピックと同じように、その時に何をしていたか、
世の中が一喜一憂していた時に、個々の人生に何が起こっていたか、
そのことを記憶する「印」のようなものでもある。4年毎のイベント
は。
昨日テレビで、1986年のイングランド(その時には、スコットランドもウェールズ
もノーダン・アイルランドも出ていた?)とアルゼンチンの試合が流れていた。
カクウチスタイル ありありでに行って、SPAIN BAR 0 に寄って、タクシー
で大雨の中、部屋へ戻ってのことだった。
86年のワールドカップの準決勝で、マラドーナの「神の手」のゴールと
5人抜きのシュートが決まった試合だった。
元Jリーガーが解説をしていたが、試合のペースは、現代サッカーよりずっと
スローだし(プレスも甘い)、今のように全員が走り回るサッカーでは
なかった(サッカー選手の引退が早まったのも、その圧倒的な運動量の
増加による)。しかし、テクニックやボールへの執着は、今と同じだった。
1986年、僕は、時々、ダイアモンドサッカーを見ていたけれど、ワールドカップ
には興味はなかった。大学の友人は、サッカー好きで、サッカーの話ばかり
していた。勿論、Jリーグもそこにはなかった。
昨日、ギラヴァンツ北九州の試合を見に行った。本城陸上競技場だ。
ギラヴァンツ北九州は、今年J2に昇格したチームで、ニューウェーブ北九州
が前身となっている。J2での順位は、下から2番目18位だ。
昨日の相手は、アビスパ福岡で、初めての福岡ダービーということだった。
少ないチャンスはあったが、全体として、アビスパに押されていた。
観客は、7000人ちょっと。いつもはもっと観客数が少ないのだと思う。
アビスパは、J1で戦っていたチームだけあって、サポーターも「数的」に
もオーガナイズされていた。仕方ないと思う、それが重ねてきた時間の差
なのだ。
北九州市民でも、ギラヴァンツ北九州の認知度は、まだまだ低い。
それだけに、J2まで昇格したチームになったのだから、次は、また降格しない
ようにして、ファンとの接点を多くするなどして、少しずつ知名度を上げて
いくしかない。まあ、チームが強くなる、さらには、負けっぷりもカッコいい
というチームになることが一番だけれど。ギラヴァンツ北九州のアカデミー
デレクター(下部育成、子どもチーム育成でしょうか)の小野信義(しんじ
じゃないよ)は、横浜FCの象徴的な存在だった。横浜FCは、横浜
フリューゲルスが横浜マリノスの合併した時に、残ったチームだ。
さて、あなたは、どこでワールドカップを見ますか?

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