1960年前半(微妙)生まれの男の、映画について、音楽について、旅について、本について、そして人生とやらについてのブルース。自作の詩のおまけ付き。書いているのは、「おさむ」というやつです。
since 6.16.2005
To travel is to live. -H.C.Andersen
2009/6/30
本日は、会社関係の仕事で大阪へと行った。
朝の新幹線ののぞみに乗った。今住んでいる片野はモノレールで
小倉から4つ目なので、モノレールに乗ればすぐに小倉駅に着く。
小倉から新幹線は、のぞみで2時間ちょっとだ。新大阪から新横浜
(よく移動していたパターン)よりずっと早く着く。
朝の新幹線で、松葉杖の人を見かけた。左足で、アキレス腱を切ったの
はギブスの状態で明らかだった。傍から見ると軽く移動しているように
見える松葉杖も、実は腕に結構な力がかかっているのだ。
直接、声はかけなかったが、頑張ってね、という心境だった。
偶然、同じ車両に腰掛けていたが、僕が新大阪で降りるときも、まだ
乗っていた。スーツを着て、左足のギブスの先からは足の指が出ていた。
新大阪の駅でもスーツ姿の松葉杖の男性を見かけた。
外からは何気ないように見えても、本人たちにとってはとても大変な
ことなのだ。
それも、自分で経験しているからわかることだ。
世の中には、経験していないとその状況がわからないことがたくさん
ある。そんなことを常に忘れないようにしたい。
今日は、九州地方は大雨だった(明日も降る模様だ)。
夜に新幹線で小倉へと戻ったときには、雨は小雨になっていた。
今日は、カクウチスタイルありありへも、SPAIN BAR O へも
Northern Crownにも寄らなかった。
今日で、小倉で開催されている木下大サーカスが終わった。
僕が、木下大サーカスを見たのは、小学生の頃のことで、
兵庫県の西宮球場近くでのことだった。確か。
Farewell to June!

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2009/6/28
霞ヶ関の官僚の中にも、絶対に「誰かのために」(というより日本の国民
のために)と考えながら仕事をしている人はいるわけで、サービス残業を
したり、休日に家族に文句を言われながら、仕事のことを考える人たちは
絶対いるわけで、問題なのは、そういった人たちの「想い」や「努力」
を踏みにじる「一部」の人たちや、「システム」(装置)に問題があるわけけで、
後者のことで例えをあげるなら、腐りきった政府に搾取されるのを全くわかないまま
「誰かのために」という援助をしてしまう「ODA」(ひも付きじゃないやつね)
と同じなのかもしれない。
きっと複雑な利権と効能とグループダイナミックス的なエゴが絡み合い、もの凄く
複雑な「ヘッジファンド」のようになっているのだろう。
これを変えるというか、地殻変動を起こすには(朝方に無理やり、non-rem睡眠で
起こされる感じ)「政権交代」しかない。
民主党が全てを変えてくれるとは思えないけれど、とりあえず、長年の垢や金属疲労
の箇所を特定して、それから治しましょうやというような姿勢は見えてくると
思う。
中途半端に政権を変えても、細川内閣や羽田内閣や(なんとか内閣がそうで
あったように),村山内閣もそうか、中途半端なものはいかん。
政権交代、ここから始めよう。
色々、ごたごたが出てくるけれど、まずは自分の頭で(感覚的に)感じよう。
そして、投票に行くのだ。
投票率が下がれば、結局は、組織票にやられてしまうのだ。
個人的には、民主党だが、考えた末、感覚的に自民党なら、それはそれで、
ちゃんと自民党に投票すべきた。
投票率80%で自民党が圧勝したとしたら、それはそれで、自民党も
「襟を正す」だろうから。
自民党にも、本当に日本のことを考えて、がんばっている議員さんも
いるのだから。
GO FOR IT,
GO VOTE IT
そして、個人的な「ビジネス」の話をするなら、65歳を過ぎたら
(その頃には年金システムは崩壊しているかもしれないが)、
GRANPA AWESOME'S HOUSE というような英会話教室を開いて、昼間はランチで
ビールを出し、夜中は23時30分までのバーを出し、英会話教室を
アルコールも出す「カフェ」をこじんまりとしながら、生きていきたい
(その前に家族を持てよという話ですが、はい、わかっています)。
最終的に、年を取った時に「ものをいう」のは、家族と友だちと
資産と、そして、自分の体だ。
今でも、ジムに足しげく通っているのは、そういった理由だ。
自分の体は「一生付き合っていくパートナー」だからだ。
英語も勉強し続けんとね。
飲み屋さんの方は、「現場」で飲みながら、かなり「臨床」を
重ねているけれど(現在完了・継続)。

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2009/6/26
誰かの立場に立つ。put yorself into someone's shoes
アエラの最新号の最新記事の中に、高橋尚子さんが、ソトコトの
呼びかけにこたえ、アフリカのケニアのキベラ地区というスラムに、
日本で不要になった子ども用の靴1300足を送るという、「スマイル
アフリカプロジェクト」に高橋尚子さんが参加したというものが出ていた。
「靴をもらった子どもは人生が変わるよ」
高橋尚子さんのケニアでの案内役を務めたソウルオリンピック、マラソンの
銀メダルのダグラス・ワキウリの言葉だ。
それは、ランニングが出来るようになることで、その子の人生が変わるというより、
それ以前に、ちゃんと靴を履くことで、ゴミや糞尿が散乱した道を靴を履いて
歩くことができるので、裸足のまま怪我をして、破傷風になったり、HIV に感染
しなくて済むようになるということだ。
ノーブレス・オブリージュ。
私、有名なんでどんどん広報に使ってください。
そんなことは言っていないが、自分のポジショニングと自分が行いたいこと
をよく知っていいるのだろう。
中田英寿さんが、マラリアで苦しむアフリカの人のために、蚊帳を
数万セット持っていくというものだった。
一流のアスリートは、ただ、ぬくぬくとただテレビのスタジオで
御託を並べたりはしない。
戦略を持って、自分の価値というものを冷静に見つめ、現場へと
向かって、自分で体験するのだ。
素晴らしすぎるぜ。
http://www.sotokoto.net/smileafrica/

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2009/6/24
ウィンブルドンが始まり、NHK の夜のウィンブルドンの放送の
季節がやってきた。昨日は、ロジャー・フェデラーが台湾のルー
選手とのオープニングマッチが流れていた。慣例どおり、前回の
チャンピョンのラファエル・ナダルが試合を行う予定だったが、
棄権をして、ロジャー・ファラデーが出場することになった。
センターコートは、きれいな緑に包まれていた。フレンチオープンは
クレーコート(土)、ウィンブルドンは芝生のコートだ。
試合が重なっていくと、芝生が荒れてくる。世界のテニスプレイヤーの
聖地、それが、ウィンブルドンセンターコートだ。
この時期、日本のテニスプレイヤーたちは、夜更かしになるのだ。
近頃はネットで情報だけは(結果)早く入ってきたりするけれど。
今日は、38歳のクルム伊達君子が、第9シードの18歳のウオズニアッキ
と対戦をして、結構いい線までいったが、負けてしまった。
現在、録画で放送されている。13年ぶりのウィンブルドン。
出場選手の中では最年長ということだ。
大学生のとき、テニスに熱中していたことがある。
といっても、クラブ活動をおこなっていたわけではない。
ビヨン・ボルグの本を読みながら、ループスイングを近くの壁打で
練習をしていた。時々、友人とコートで練習をした。今の会社に入って、
テニススクールに通った。4〜5年は週1回くらいのペースでは通っていた。
僕が大学生の頃、信じられないかもしれないが、村上龍氏もテニスに熱中
していて、テニスのことばかり書いていた。『テニスボーイの憂鬱』
や『だいじょうぶマイフレンド』の頃のことだ。
テニスを続けること、きっとそれは素晴らしいことなのだろう。
夜は長い。

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2009/6/21
ミャンマーのアウンサンスーチーさんは、1945年6月19日に生まれた。
自宅で軟禁状態にあったアウンサンスーチーさんは、現在、公判中で
(その理由もよくわからないのだが)ヤンゴン郊外の刑務所内の
拘置施設で64歳の誕生日を迎えた。
アウンサンスーチー率いる野党国民民主連盟は、1990年に選挙で
勝利した。しかし、軍政権は権力移譲をせず、現在は軍の独裁が
続いている。
1991年にはノーベル平和賞を受賞している。
アウンサンスーチーさんは、ずっと自宅軟禁状態にあった。
2003年からのことだ。
1999年には、夫のマイケル・アリスがミャンマーへの入国を求めた
がかなわず、アウンサンスーチーさん自身も、再入国を拒否される
ことを恐れて、ご主人に会うためにミャンマーを出ることができな
かった。
ミャンマーには、2100人の政治犯がいると言われている。
僧侶による反政府デモが弾圧された07年以降は、約1000人が
増加した。
僕たちに何ができるのだろう。

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