1960年前半(微妙)生まれの男の、映画について、音楽について、旅について、本について、そして人生とやらについてのブルース。自作の詩のおまけ付き。書いているのは、「おさむ」というやつです。
since 6.16.2005
To travel is to live. -H.C.Andersen
2008/9/30
日曜日の『情熱大陸』は、フライトナースの川谷陽子さんだった。
フライトナースとは、事故現場に医者と一緒にヘリコプターで
駆けつける看護士のことだ。看護士といっても、サポート役だけ
ではなく、その事故現場の救急車とのバランスを取りながら、
搬送先の病院を手配したり、事故の被害者の家族への連絡の手配
をしたり。そして、勿論、事故の状況の情報を分析しながら、対処
方法をお医者さんと相談しながら決める。
http://www.mbs.jp/jounetsu/2008/09_28.shtml
日本の44の都道府県の中で、10数箇所で導入されているシステム
のようだ。ヘリは常に、病院にあって、要請があれば出動する。
普段は、その愛知の病院で看護士の管理者として働いている。
川谷さんが、看護士になったのは、陸上を中学か、高校の時におこなって
いたときに、じん帯を切ってしまい、そのときに通った病院の看護士(看護婦)
さんの存在に励まされ、自分の誰かのためになることをしようということで、
看護士を目指したらしい。
テレビは、川谷さんを追う。何度も何度もヘリで出動する。
通常では、なかなかすぐにはいけないところでもヘリで着地をする。
少しでも早く事故現場に着くことで、一人でも多くの命を救いたいと
いう思いのために、その仕事を続けている。
もの凄く、プロフェッショナルでありながら、物腰は淡々として、
クールで、そして、気遣いで一杯だ。休みには、勉強会に出て、朝は、
体力をつけるためにマウンテンバイクで通勤をする。
自衛官のご主人が、川谷陽子さんの弱点はと聞かれて、「この人には弱点
は、あるのだろうけれど、思い浮かばないな」と言っていた。
やはり、誰かのために。
誰かを助ける人には、「力」も必要なのだ。そして、その力は
自分で身につけるしかない。

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2008/9/28
資さん、これを「すけさん」と呼べる人は、おそらく日本に
120万人くらいしかいない、と思う。北九州市の人口が確か、
約100万人だったからだ。「すけさん」と入れても、絶対に
資さんとは変換されない、普通。だから、「しざい」と入れて、
材を消す。
http://www.sukesanudon.com/
資さんは、北九州市戸畑区の株式会社で、うどんを中心とした
メニューで北九州で、いくつかの店舗を持っている。僕が知っている
のは、小倉北区の平和通りにある24時間営業のお店だ。
そのお店は、実は2、3年前に出来た店舗らしい。
いくつかのバーのお店の店員さんたちが、店の営業を終了し、
資さんへいくことが多いらしい。朝5時や6じ辺りに、それなりに
おいしいものを提供して、お酒も飲めるところは少ないからだ。
だから、お店の人たちは、結構、同業の人たちがいないか、どうか、
気にしながら入るらしい。小都会でありながらも、その人間関係は、
結構、いたるところでつながっていて、「先輩」とか「後輩」とか
「友だち」とか「元従業員」とか、「元恋人同士」とかの要素が
加わって、結構、めんどくさい感じがする。確かに、そういう人間関係
が大事なのだけれど、そういった人間関係が、閉塞感を生むことも
あるのだ。
そんなわけで、朝5時とか、6時とか、7時とかの「資さん」は、
朝定食をいただき、仕事へ向かう人たちと、仕事を終えて、終わりなき
感じで、おでんをたべながら飲んでいる人たちや、ごぼううどんを
つるつるとすする人たちが混じりあって、クラムチャウダーのように
なっているらしい。
昔からの「資さん」には、きっと深い思い出を持っている北九州の人たち
は多いのだと思う。高校生の頃、専門学校生の頃、大学生の頃、失業中の頃、
社会人になって、出会いや別れもあったかもしれない。
熊本に行ったとき、TRUMPS というリズム&ブルースを流すバーで、カウンター
の向こう側にいた女性が言っていた。「小倉から転勤になったお客さんで、
資さんツアーに行こう」っていうお客さんがいるんですよ。うどんがめちゃくちゃ
においしくて、高菜入りのおにぎりがさらにおいしいって言っていたらしい。
僕のお気に入りは、「かしわ汁うどん」だ。
ビールは、エビスだ。なかなかいい。生か、ビンには、エビスビールと
エビス・ザ・ホップもある。500mlの瓶は、なぜか、700ml
ちょっとのパイントグラスより、ちょっと大きく見える。
本日、久しぶりに資さんへ、松葉杖を使って行った。
久しぶりのビールがおいしかった。

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2008/9/27
基本的に、僕は不器用だ。
不器用には見えない部分もあったりするのだけれど、
それは、秋が少し深まった時に身に着けるジャケットの
ように、表面的なことでしかない。
不器用だから遠回りもする。遠回りしかしないこともある。
それは、決してほめられることでもないし、誇るべきこと
でもない。
しかし、そんな感じでしか生きることしかできない。
そこには、「不器用な男ですから」というような「硬派」な
イメージは全くない。
左足のアキレス腱などを切られたら、さらに大変になる
じゃないですか、神様。
ヴォルビックの「1L FOR 10 L」のユニセフのキャンペーン
(1Lの水を購入すれば、アフリカに10Lの水を提供できる
井戸をつくることができる)も、9月30日までだ。
ボルビックの1Lボトル、結構、買い溜めています。

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2008/9/24
テレビで、『情熱大陸』や『proffesional』を見ていると、
「ごく普通に見えながら」もの凄く「スーパー」な仕事をしている人
や、「全く普通に見えなくて」「全くもってスーパーブ」な仕事をし
ている人が出てくる。いや、生き方をしているというべきなのだろうか。
先週のproffesional に出演していたのは、世界的な大腸内視鏡医の
工藤進英さんだった。61歳。30年間で13万件の手術を行って
きたらしい。内視鏡手術なので、メスを入れたりはしない。独特の
内視鏡を使って、がん細胞を除去してしまう。1.5mもある大腸
をもの凄い技術で調査をしながら、ガンを探し出す。
世界的にもトップの技術を持っている人だ。
「続けることが 救うこと」
「命を救うだけではなく その後も続く人生も考える」
内視鏡の手術についても、順風満帆だったわけでもない。
内視鏡の手術についても、胡散臭く周りから思われたときも
あったようだ。そんな時でも上記のような信念を持って、自分の
信じる道を進んでいったようだ。
そんな人たちの言葉や、ひたむきな姿を見ていると勇気をもらえる。
しかし、あまりにも自分との距離がありすぎて、どうせ、自分とは
関係ないし、なんて思ってしまうこともあるのだけれど、学ぶべき
なのは、その人のスキルではなく、「姿勢」なのだ。
そんな姿勢の一部でも真似ができれば、なんて思う。
僕が、打たれる人の基本にあるのは、自分のためにというより、
最終的には、「誰かのために」という視点がそこにあることだ。
と言っても、今は、自分のことで精一杯だけれど。

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2008/9/23
ニューヨークへと行ったのは、1996年の冬の休みの時だった。
確か、その頃、ロックフェラーセンターは日本の会社が買収していた。
冬のロックフェラーセンター前のスケートリンクは、ニューヨークの
ひとつの象徴だ。勿論、9.11も起こっていない。
その頃僕は、夏と冬の会社の休みには、海外へと行っていたのだが、
必ずテーマを持って旅行をしていた。その年の夏には、ニューオリーンズ
→メンフィスへの旅をしていた。ジャズを巡る旅(メンフィスはブルース
だけれど)だった。
ニューヨークでは、ジャズのライブハウスを訪ねる旅だった。
ブルー・ノートは有名だが、東京のブルー・ノートに行ったことは
あったので、他のライブハウスに行きたかった。
友人のお姉さんが、ブルックリンに住んでいたので訪ねていった。
ジャマイカからやって来たご主人(日本にもいたことがある)
と一緒に、冬の人の少ないコニー・アイランド(ちょっと治安は良くない)
やブルックリン(2人がご主人の家族と一緒に住んでいる場所だった)
を案内してくれた。今は、どうなっているのかはわからないが、
映画監督のスパイクリーのスパイクリージョイント(衣料品店)の
そばも通った。
3人で行ったのは、Village Gate だった。出演していたのは、
ピアニストのシダー・ウオルトンだった。
Village Gate を出た後に寄ったのが、すぐ近くにあるSweet Basil
だった。出ていたのはテナーサックスのケニー・ジャレットだった。
テレビの英会話番組で、自由の女神像のことが出ていた。
バッテリーパークからフェリーに乗ってエリス島に行くのだけれど、
僕もバッテリーパークからフェリーに乗ったことがある。
バッテリーパークから丁度フェリーが出そうになっていたので、
人の流れに沿って乗船した。大型のフェリーで、ただ運ぶだけ
という感じで、乗船している人もものすごく「日常的」で、
「観光客的」な人はいなかった。なんかおかしいなと思いながら、
フェリーはどんどん進んでいって、なんか違う方向へと進んでいった。
途中、自由の女神が見えたが、ぐんぐん違う方向へと進んで行った。
そのフェリーは、スタッテンアイランド行きだった。
今なら、わかるけれど、そのときは一体どこに行ってしまうのだろう
と結構どきどきしていた。
NHK の英会話番組に出ていた、自由の女神行きのフェリーは、
「観光」の匂いに溢れていたし、大きさもコンパクトだった。
番組を見ていて、なんか、そのときの気持ちを思い出した。
Yankees Stadium がその役割を終えた。新しい球場へとチーム
が移転するのだ。長い歴史を誇るヤンキーススタジアム、
たくさんの人々インタビューが映っていた。
何人もの人が、自分の家族をなくすような気持ちだと言っていた。
きっとそうなのだろう。
New York , New York

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