1960年前半(微妙)生まれの男の、映画について、音楽について、旅について、本について、そして人生とやらについてのブルース。自作の詩のおまけ付き。書いているのは、「おさむ」というやつです。
since 6.16.2005
To travel is to live. -H.C.Andersen
2008/8/31
夏休み、8月が最後の日になった。お気に入りのバーの
カウンターの向こう側にアルバイトで入っている大学生に
聞くと、夏休みは9月一杯らしい(まあ、学部とか単位の修得度合いに
よってかわってくるのだろうけれど)。
自分が大学生だった80年代初期のことを思い出して、そんなにたくさん
自由になる時間があったんだとあらためて再認識した。
全米をグレイハウンドで巡ったり、青春18切符で日本中を巡ったり、
そんなことが出来る時間が(例え、お金はなくても)山ほどあったのだと
いうことを認識する。残念だ。
夏休み、会社の夏休みの期間にイタリアへ行ったことを思い出した。
アリタリア空港が経営破たんしたというニュースを見てからだ。
2004年の夏。アテネオリンピックが開催されていた。
僕は、初めてイタリアへと出かけた。ミラノ−ヴェネツィア−フィレンツェ
の旅だった。ミラノの初日のホテルだけを予約していた。後は、いつもの
とおり、現地で自分で手配をした。ひとり旅の気楽な「アイテナリー」だ。
その、ミラノまでの飛行機が、2004年のオリンピックの日本チームの
野球の選手たちと同じ飛行機だった。日本チームは、アテネに入る前に
イタリアでキャンプを張って、アテネに向かうようだった。
同じ飛行機に、城島選手(まだ、マリナーズに決まる前のことだ)や
上原選手や、松坂選手(勿論、ボストン・レッドソックスの前のことだ)や
ぞくぞくと有名な選手がいた。特に、サインをもらったわけではない。
ミラノに着陸する時に、機長さんが、「この飛行機にオリンピックに出場
する日本チームがいるそうです、ご検討を祈ります」なんてメッセージを
放送していた。ちょっとした拍手が起こった。
ミラノで『最後の晩餐』を見ることは出来なかった(予約制で15分毎
に移動らしい、しかも世界中から申し込みが入っている)。
電車で、ヴェネツィアへと行った。ヴェネツィアへと入っていくときには、
海底都市に向かうみたいで、新鮮だった。
ヴェネツィアでは、映画祭が行われている。21作品のうち、3作品が
邦画だということだ(北野武さんと、ポニョと、押井守さんの作品だ)。
『アキレスと亀』の北野武さんの作品の評判は、上々らしい。
フィレンツェにも列車で入っていったが、全く違う雰囲気だった。
中田英寿選手は、フィレオレンティーナに属していた。
『冷静と情熱のあいだ』でフレンツェのドォーモは有名になっていた。
ビイフテカ・デル・フィオレンティーナ(Tボーンステーキ)が
めちゃくちゃおいしかった。トスカーナの夏の新鮮な、トマトが
添えられていた。
イタリア料理は、素材を大事にするのだ。
もう4年も経ってしまったのだ。

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2008/8/30
ユニセフと国境なき医師団とセーブザチルドレンの引き落とし
は続けている。小額の銀行引き落としだ。
開発関係の重要なことのひとつは、継続することだ。額も勿論
大事だけれど、一時的なものに終わっては意味がない。
例えば、2年間という短い期間でみたときでも、2万円の寄付
を1度するより、1000円の寄付を毎月した方が、24,000円
になり、額は多くなるのだ。
しかも、2万円寄付をしたという印象は、おそらく記憶に残り、それが
ずっと3年も4年も続くような気がする。100円、1,000円の
寄付と異なり、額が比較的大きいからだ。そして、その記憶は、継続的
な寄付の妨げとなることがある。
続けることは、面倒なこともある。手間がかかる場合は尚更だ。
だから、時々、思い出して、繰り返し、考えることが大事なのだろう
と思う。
ということで、クリック募金。クリックするだけ。
http://www.dff.jp/
ドトールコーヒーには、必ず、募金の箱がある。カンボジアに小学校
を作るための基金を集める運動だ。カンボジア・ドトール学校。
2000年から07年まで、現在、14校が開校している。
http://www.doutor.co.jp/eco/globe.html
ドトールの1号店は、1980年に原宿に出来た。原宿駅からすぐの
ところだ。原宿で働いていた頃、何度か寄ったことがある。
それ程、広くはない店舗だ。
ファミリーマートのレジスターの横にある募金箱は、ユニセフに
寄付するようになっている。
ユニセフは、恵まれない世界の子どもたちのための組織だ。
そして、ここのところずっと飲んでいる、ボルビック。
1Lのボルビックを購入することで、アフリカに安全な10Lの水
を生み出すというもの。ユ二セフがやっています。
ボルビックの協賛です。6月1日〜9月30日までのキャンペーン。
http://www.volvic.co.jp/1Lfor10L/top.html
8月25日、チキンラーメンは50周年を迎えた。これは、
寄付には関係ない。
ROGER & ZAPP を聞いている。グレイテストヒットという
やつだ。

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2008/8/29
「おっふ」
休み、カロリーオフ、安売り。
珍しく、今日は、休肝日だ。久しぶりのことだ。
昨日、お気に入りのバーのひとつで、バーの向こう側の
その女性が口にしたミュージシャンが、Boyz UMen と
マービン・ゲイとスティビー・ワンダーだった。
それら全てのCDを持っているが、なぜか、Boyz UMen をか
けている。ファーストのやつで、まだまだメンバーみんな
「売れ始めた若者たちのブラザー」という感じだ。
いきなりかかるのが、End Of The Road だ。
なんていい曲なんだ。ベービー・フェイスもからんでいる
楽曲(こんな呼び方、5年前までなかったはず)だ。
ベービー・フェイスのリラックス感とソフト感もいい。
1990年代始めの青春という感じの曲だ。
このCDは、当時のアメリカの家庭に1枚はあったはずだ。
勿論、「楽曲」のダウンロードなんかもなかった。
ヴェネチア映画祭が始まり、エントリーの21作品のうちの
3作品が日本映画らしい。ポニョと北野たけしさんの映画と
押井守監督のアニメーションだ。
朝原選手の家族が映っていた。奥さんが、娘さんを連れて、
1時間前のウォーミングアップのトラックで、「パパー」
と叫び、「本番前に・・・」と言いながらも、ネット越し
に娘さんの頭を撫でているシーンだったり、92年のバルセロナ
オリンピックのシンクロナイズドスイミングで、銅メダルを
取った奥さんが2つのメダルを出し、朝原選手のやつとを
並べて、3つの銅メダルをテーブルに置くシーン。
ドラマすぎる感があったとしても、なかなか素敵なシーン
ばかりだった。
明日、オバマ氏が民主党の大統領候補の受諾演説を行う。
地球は相変わらず、自転しながら、公転している。
たぶん。
It's So Hard To Say Goodby が流れている。アカペラの
曲だ。透明な感じの曲だ。
なんか、地球がゆっくり回っている感じがする曲だ。
そこに、64億とかの人たちが重力でつなぎとめられて
いるのだ。

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2008/8/28
お気に入りのバーで、横須賀の話が出てきた。
クレージーケンバンドだ。大阪で働いていた時の上司が、
クレージーケンバンドの大ファンで、ファンクラブにも
入っていた。横浜のゴミを減らすためのテーマ曲が、クレージー
ケンバンドの曲だ。ごみ収集車から、クレイジーケンバンドの
曲が流れていた。クレージーケンバンドは、横須賀がオリジナル
だ。
タクシーで流れていたラジオ(おそらく『深夜便』ってやつだと
思う、NHKの)で、昨年あたりに出来た横須賀美術館の話をアナウンサー
がしていた。横須賀は、神奈川県にあって、海が近いが、茅ヶ崎や鎌倉
辺りの海と違って、アメリカ海軍と海上自衛隊の匂いがする海だ。
昔は、どぶ板通りに、アメリカ軍相手のバーなどが立ち並んでいた。
マンションの下にセブンイレブンがある。
氷結を買って、雑誌のところに、The Sex and City のムック版
が出ていた。サラ・ジェシカ・パーカーが表紙だった。昨日観た『ダーク・
ナイト』の上映前の、ノンカロリー、ビタミンC入り(なんか潔くない
コカコーラだ、ウコン入りジンという感じだ)のCMに出ていた。
テレビをつけると、長崎の原爆の写真を撮ったジョー・オダネル
についての番組が流れていた。
NHKで、『解かれた封印』という番組タイトルだ。
長崎に原爆が落ちた時に、自分のカメラで原爆後の長崎の写真を
撮ったアメリカ軍兵(軍規で、指定された写真以外は撮ってはいけない
ようになっていた)ジョー・オダネルが、43年ずっとトランクの
中にしまわれていた写真30枚を軸に、その息子のタイグ・オダネルが
その意志を引き継いでいくドキュメンタリーだ。
ジョー・オダネルは、痛いトラウマと一緒にトランクの中に仕舞い込んで
いた写真を反戦運動として全米で展覧会をしようとした。しかし、開催を
してくれる場所もない。1995年夏にスミソニアン博物館で写真展を
準備していたが、退役軍人の反対にあい、開催できなくなった。
写真集も今は、小学館から出ているだけだ。
番組は、息子が、長崎に行って(今年は、ジョー・オダネル写真展が
開催されていた。僕が行ったのは、8月9日の翌日、10日だ)、
長崎原爆資料館へ寄り、父親の写真展を眺め、長崎の町に出て、子ども
たちの写真を撮っていた。父親が写した原爆後の写真に映る子どもたちは
笑顔のかけらもなかったからだ。
息子は、長崎の子どもたちを、子どもたちの笑顔をカメラにおさめていた。
ジョー・オダネルは、偶然か、長崎に原爆が落とされた8月9日に亡くなった。
昨年のことだ。
昨年も僕は、8月9日長崎にいた、長崎美術館でロバート・キャパの写真展
が開催されていた。

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2008/8/27
朝や夕方に街を吹き抜ける風は涼しい。
小倉城の辺りには、海からの涼しいか風が吹き抜けてくる。
ほおずきを買って、事務所に飾った。昨日のことだ。
今日は休みだったので、映画へと行った。
ダーク・ナイトを観た。The Dark Knight がオリジナルタイトル
だが、dark night と思っている人もいるかもしれない。
確かに、朝と夜、white knight と dark knight のコントラスト
を打ち出しているという感じもあるので、一概に間違えだとは
言えないかもしれない。
もの凄く評判の高い映画で、ジョーカー役を演じたヒース・レジャー
は亡くなってしまった。『ブロークバック・マウンテン』では、アカデミー
主演男優賞にノミネートされている。20代後半での死だ。
不眠症や仕事からのストレスなどによる薬のオーバードースが原因なの
だと思う。結構、女性関係は賑やかだったようだ。
この映画では、「ジョーカー的メイク」をしているので、素顔はさっぱり
わからない。
何が「白」で、何が「黒」でという二元論に落ち着いてしまうのだけれど、
こういった「灰色」を許容する映画が出てきたというのは、9.11の
後にアメリカ人の「善」「悪」に対するニュアンスが変わってきている
ということなのかもしれない。
面白かったが、気が滅入る映画だった。
その後、ジムへと行って、1時間しっかりと汗をかいて、体の中に
沈殿した気持ちを外へと放出した。
小倉のサイダーハウス1416に言った。気になっていたバーだ。
入り口のテレビでは、『あしたのジョー』が流れ、わかりにくい
入り口を入ると、靴を脱ぐ感じだった。食べ物もそれなりにおいしかった
けれど、店長さんの、「通天閣あたりでの大阪経験」や「住之江競艇」に
ついての話は、とてもおもしろかった。
店名は、勿論、ジョン・アービングの小説から取っている。
その店長さんは、映画の『サイダーハウスルール』から取っていると言って
いたけれど。
映画へと行く前に、気になっていたロッテリアの「絶品オニオンバーガ」
を食した。260円。大したことはなかった。

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