1960年前半(微妙)生まれの男の、映画について、音楽について、旅について、本について、そして人生とやらについてのブルース。自作の詩のおまけ付き。書いているのは、「おさむ」というやつです。
since 6.16.2005
To travel is to live. -H.C.Andersen
2008/7/30
TULLY'S を日本で始めた松田 公太さんの本を読んだ。
『仕事は5年でやめなさい』という本だ。なかなかおもしろかった。
5年というスパンは、転職しなさいということだけではない。
同じ仕事をしっかりと続けたら、次は、別のステージに上りなさいという
ことだ。
新宿でも、横浜でも、TULLY'Sは、好きな場所だった。残念ながら、大阪
神戸にはなかった(あったのだろうけれど、僕の日常にはなかった)
新宿で働いていた時には、小滝橋通りにあったし、横浜では馬車道にあった。
僕は、株をコンピューターで購入しているが(赤字続きだ)、スターバックス
もそのひとつだ。株はその昔は、1000株単位でした売買されなかった(たぶん)
それが、1株から購入できる株が出てきた。100株単位のものもあるし、
配当がないなどのミニ株(50株単位などもある)などもある。
スターバックスは、今、1株46,150円だ。
年に1度の配当のとき毎に、チケットが数枚ついてくる。その
株主優待のチケットは、スターバックスの商品なら、どんなドリンク
でも、どんなサイズでも(勿論クランデも)たのむことができる。
小倉のスターバックスは、小倉城が見えるTULLY'S と違って、
商店街の中にある。魚町商店街だ、確か。
そして、2階席はもの凄く賑やかだ。まるで、お酒でも出しているかの
ように。
だから、その日は、優待チケットで、モカ・フラペチーノをたのんで
(トールサイズだ)、英語の勉強をしていた。ジムへ行く前のお勉強と
いうところだ。仕事を終えて、20時辺り。
最近は、仕事の後に、ジムに行って、その帰りにバーに寄ったり
している(一体、なにしょっちょ)
スターバックの1階の席の隣には、30代の女性が2人。
聞こうとしなくても十分に聞こえる声で話しをしている。
少し気だるそうな感じの2人だったが、結構美人の2人だった。
「もう33やけん」
「子どもどうするん」
「まあ、なるようになるっちゃ」
「それより、結婚せんの」
「前の件もあるけんね」
「元彼、鹿児島やったっけ」
「鹿児島って、男尊女卑やけんね」
「離婚して正解やったね」
「ちゃんと仕事してお給料定期的にもらって、ボーナス出るからいいっちゃ」
「そうやね、派遣やったらボーナスも出んけんね」
世の中、結構シビアなのだ。おそらく彼女たちの同年代の男の子たちは、
氷河期真っ最中の層だったのかもしれない。ロスト・ジェナレーションだ。
2人は、今付き合っている彼氏の話をし、避妊の話をしていた。
「コンドーム買っとってて言うっちゃ。そんなん自分のことっちゃろ、
男が買うもんちゃ」
バックには、アレサ・フランクリンのNATURAL WOMAN が流れていた。
お2人さん、聞こえていますが、アレサ・フランクリンの声と一緒
に。
携帯電話が鳴る。小倉の人々は、気にせず店の中でも電話をとって
がんがん喋る。まるで、香港の電車の中のようだ(1回しか行った
ことないけれど)。
「ああ、今、スターバックスにおるっちゃ、コーヒー買っていこうか」
アレサ・フランクリンは、オーティス・レディングに変わっていた。
TRY A LITTLE TENDERNESS
オーティスは、そう歌っていた。

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2008/7/28
焼きカレーというのは、北九州市の北端にある門司港が発祥地と
されている。ご飯の上にカレーをかけ、チーズと卵をのせてオーブン
で焼く、それ以外は店によって辛さも具材もまちまちらしい。
小倉から在来線に乗って15分くらい。門司港の駅は、大正3年に
建築された木造の駅舎をそのまま使っているらしい。
駅を出ると、海が広がる。といっても、果てしなく広がる太平洋の
海(茅ヶ崎とか静岡とかで見る海とは違いますね)と違って、閉じられた
海だ。関門橋があって、向こう側には下関、つまり本州が見えるからだ。
向こう側に広がる陸地は、香港でスターフェリーに乗った時に見える風景
のようだ。
駅をすぐ出てのところにあった「ル・カフェ」というところに入り、
焼きカリーと生ビールのセットをたのんだ。中には、日本語を喋る
外国人のおじいちゃんの店員さんがいて、「やあきいいカリーでえすねえ」
と対応をしていた。
http://yakicurry.ti-da.net/e1676638.html
ビールを飲みながら、向こう側に見える関門橋を眺めながら、焼きカレー
を食べた。おいしかった。
息子さんも外国人だった。そのおじいちゃんと話をした。
以下英語
「忙しそうですね」(店内は混んでいた。14時過ぎにも関わらず)
「そうでもないよ。今日はみんな、戸畑のお祭りに行っているんだよ」
「でも、結構、店は一杯ですよ」
「いや、もっと忙しいさ、お盆前の一休みさ」
そんな感じの会話だった。
カレーを食べた後、外に出ると大雨が降っていた。気圧配置の関係なのだ
ろう、ほんの30分前には夏の青空が広がっていたのに。
駅の前のバス停で、1時間の門司港周遊バスを待った。
ベンチで、小学校2年生くらいの女の子が、バスの絵を書いていた。
水彩画だった。お父さんがその後ろで話しをしていた。
「本当は、お父さんも怒るから、大嫌いだよ、すぐに怒るけえ」
とその女の子は言っていた。
お父さんは、少し困った顔を浮かべて、絵の具を出すのを手伝っていた。
雨がバス停のベンチの屋根を強く打っていた。そんなことお構いなしに、
その女の子は絵を描き続けていた。
お父さんの指し出した絵の具を受け取りながら。
その女の子が、お父さんのことを大好きなのは、お父さんから
差し出された絵の具を受け取る表情でわかった。
周遊のバスは、1時間 220円で、展望台まで連れて行ってくれる。
そのバスには、おじいちゃんがボランティアとして乗り込んでいて、
各地のポイントを解説してくれていた。
バスが門司駅前に到着した15時には、青空が戻り、暑い日ざしが
街を覆い尽くしていた。
対岸に見える山口県を見ながら、壇ノ浦の合戦や巌流島の場所を
解説してもらった。外国からの船を攻撃した砲台あとのことも
教えてもらった。もう一度、しっかりと日本史を勉強しようと
いう気になった。途中2箇所の観光スポットで降りて、そのおじいちゃんが
10分くらいの解説をしてくれた。
小倉の北九州メディアドームが見えた。小倉では競輪が日本で初めて、始まった
らしい。そのおじいちゃんが、そのメディアドームを指しながら言っていた。
競輪好きの人の中では、そのことは周知の事実らしい。
門司港、またカレーを食べに来ようと思った。
フェリーで渡った下関側の唐戸市場には、おいしいすし屋さんや
海産魚類が待っているらしい。
よおーし、まってろよお。

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2008/7/27
JRAのCMで、夏の競馬のキャンペーンについての題材で
小倉競馬について流れていたので、小倉の競馬って「全国区」
なんだ、それともローカル地域限定のCMなのだろうかと
不思議に思っていた。ホームページを見て、函館・新潟・福島
などの地方競馬に、いや、その地方競馬を見るために旅行を
しようというコンセプトのシリーズだということがわかった。
今までは、1名〜3名くらのキャラクターで「競馬」の楽しさ
というイメージを演出していたが、今回は、会社のメンバーを
集めた大泉洋が、蒼井優ちゃんや、佐藤浩一、小池鉄平を連れて
CLUB KEIBA というものを立ち上げ、みんなで競馬へいくという
コンセプトのものになっている。そのグループが、夏休みに合わせて
地方競馬へと足を運ぼうというものが、この夏のCMのシリーズ
のようだ。大枠は変わらず、佐藤浩一が、最後のその地方の名産を
振り返るシーンで、それぞれの地域の名産を思い浮かべるという箇所
が異なる。
みんなで、競馬に出かけようというコンセプトで、広い層にアピール
するために4人が選出されているのだろう。
http://clubkeiba.jp/cmstory.go?sd=42923
北海道は寿司で、新潟はそばで、福島は温泉で、小倉は焼きトンだった。
少し違うような気がするが、きっとそんなイメージが全国的なそれぞれの
土地のイメージなのだろう。
競馬には行ったことがないし、馬券も購入したこともない。
そもそも買い方も知らない。
しかし、横浜の野毛にしても、渋谷にしても、神戸の元町にしても、
様々な場所でJRA の大きな場外馬券売り場を見かけてきた
(銀座にもなかったっけ?)。
昔の同僚の中にも、馬自体の凛々しい姿が好きという人はいた。
ギャンブル性が好きという人と、馬自体が好きという人に分かれる
(どちらも好き)のかもしれない。
ギャンブルとしての競馬は、ビギナーズラックといわれるように、
初めて言って、なんとなく当たったりして、癖になってしまったり
する人がいるのだろう。
きっと、たくさんの人が回りにいることで、「この人たちも競馬に
入り込んでいるよ、こんなにたくさんいるんだから」なんて、妙な
安心感を持ったりするのかもしれない。
北九州市には、競馬の他にも、競輪や競艇場があって、結構、ギャンブル
な匂いが漂っている。
まあ、ギャンブルというニュアンスでは、僕は、宝くじを買ったりする
くらいか、それほどの額ではない金額で、ネット上で株を購入している
くらいだ。勿論、株は全体では現在、赤字になっている。2年前くらいは
黒字だった。

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2008/7/24
21日に、3日間続いた「小倉祇園太鼓」が終わり、はっぴ姿の
お祭り人たちは、お祭り「レットダウン」を感じているのだろう。
博多祇園山笠は、7月1日〜15日で結構長く続く。
小倉の街の至るところで、太鼓がドンドコ鳴っていたのは3日間
だった。
25日〜27日には、戸畑祇園山笠が始まる。
小倉祇園太鼓は、400年の歴史を持つ。1602年に小倉城を
築いた細川忠興は、領内の総鎮守として祇園社を創建し、京都の
祇園祭を取り入れた。
小さな神輿と太鼓の音が至るところで聞こえてきていた。
北九州市は、僕が生まれた年に政令指定都市として始まった。
小倉北区、南区、戸畑区、門司区、八幡西区、八幡東区、若松区の
7つの行政地区で成り立っている。
1945年8月9日。小倉市が広島市に次ぐ、原子爆弾の第2の
標的になり、B−29が飛来するが、曇天と前日に大空襲を受けた
八幡市からの煙の為、歯科医が悪く、投下を免れた。
しかし、晴れ間が見えた長崎が「臨時」の投下地区になったのだ。
昨年、8月9日、長崎へと行った。川に灯篭を流した。
今年も行こうと思う。8月9日に行くから、意味があるのだと思う。
そして、おいしいちゃんぽんを食べながら、平和について考えようと
思う。

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2008/7/23
仕事が現場に戻ったので、この時期にイベントが
あったりする。外国人がやって来て、子どもたちと英語で
ゲームを行うというようなものだ。そのアレンジメントや
保護者が来ていたえいすると、司会もやったりする。
こちらでは、首都圏と異なり広い場所で行うので、保護者に
対する挨拶などは結構、重要になったりする。そういった
仕事は得意な方なので、苦にはならない。
しかし、熱い中で、子どものセキュリティや保護者や講師の
動向を気にしながらの仕事を1日中やると、やっぱり疲れる。
しかし、仕事の後のビールが「くっと」おいしい。
手伝いに来ている2人の外国人は、通常は北九州地区の公立
の中学や高校で教えているAETだ。
イギリス人とカナダ人。2人共、結婚して日本に住んでいる。
そのうちのカナダ人の一人が言っていた。
色々なレベルの学校に教えに行っているけれど、本当にレベル
の低い学校の生徒には行く場所がないんだよ。未来がないと
思うよ。小倉辺りには仕事がないんだから。
みんな博多へと出て行くし、最近では、やくざも仕事がないって
言っているらしいよ。
同じ公立であっても、レベルの低い学校では、当然生徒は話を
聞いていないし、堂々とぷかぷかタバコはふかすし、どこに
未来があるんだとも言っていた。
教育が唯一の出口だというのに、とも言っていた。
地方は疲弊してきている。まだ北九州市は、政令指定都市なので
中途半端に都市なのかもしれない。中途半端というと失礼だが、
ある意味、そのこじんまりとした感じが心地よくなったり
することもあるのだと思う。
こじんまりしているからこそ、隣人同士のことは結構、わかって
いるみたいだ。誰が何をしていたってやつだ。
僕は都市に長く住みすぎていたのだろうか。
3日間、小倉祇園太鼓が開催されていた。街は太鼓の音に
溢れいていた。祇園は、勿論、京都がオリジナルだ。
『無法松の一生』には、小倉祇園太鼓が登場する。
原作は、絶版になり、4回くらい映画化された。
2回目の時の映画化には三船敏郎が主人公を演じ、その映画
はヴェネツィアの映画祭で賞を取っている。

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